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第二十六章:『天国と地獄』

【第二十六章:天国と地獄】 1 (ライラside) その翌日のことだった。 ベルブと一緒に公園に来ている…。 穏やかな陽だまりに包まれた公園。時折吹き抜ける風は冷たいが、その中に僅かな暖かさを感じ取る。長く感じられた冬の終わりが近づいてきている気配に思えた。 昨夜の情熱的な情事とは真反対過ぎるほど穏やかな状況だ。まだ違和感の残る腰をさすりながら、疲労感よりも満足感を覚えている自分に内心苦笑いしている。 思い出すと恥ずかしいことばかり言っていた気がするから、脳裏に蘇る記憶を振り払うように小さく首を左右に何度か振った。 今は栄養補給のための甘い物を…! 噴水のある広場で、俺はキッチンカーの中から顔を覗かせていた店主に注文を告げる。 「ホットコーヒーを2つ。イチゴのとチョコのを1つずつ、あとは…」と、言葉を続ける。 辺りにはワッフルの生地が焼かれていく香ばしい香りが漂っていた。甘い匂いにつられて、ベルブを噴水の前のベンチに待たせながら、メニューをもう一度見つめる。 ベルブには甘くない物を…と、ハムと卵を挟んでホワイトソースのようなものがかかった惣菜系のワッフルを頼んでみる。 鮮やかな水色をしたキッチンカーの傍で両腕を前に組む。店主の男が慣れた手つきで焼型からワッフルを外して折り畳み、その上へとトッピングを盛り付けて包装紙に包んでいくのを眺める。 美味そうだな…… と、唾液を飲みながら見とれていると。 「えっ!ちょっと、見てよあの人…」と、背後から女性の声がする。驚いたようなその声に反応し、どうしても背後の様子が気になる。しかし、他人の話を盗み聞くのはよくないな、と、振り返ってしまいそうなこの衝動を抑えた。 「わ…!…格好良すぎない…?」 「ねぇ、アンタ声かけてきてよ…!」 「無理よ、恥ずかしい…!」 複数の女性たちの会話が繰り広げられて、聞こうと思っている訳では無いのに、嫌でも耳に入ってきてしまう。 「みんなで声を掛けましょうよ…」 「それ、いいわね…!」 などと会話が続き…。 まさか彼女たちは俺のツレであるベルブのことを言っているのだろうか、と眉を顰める。 「チッ……どこでもモテモテだな…」と、小さく呟いていると、「お待ちどうさん!」と、ワッフルを3つ差し出される。キッチンカーに設置された細長いカウンターのテーブルには紙コップが2つ置かれ、そこからは湯気が立っている。 「ありがとうございます」と、美味そうなワッフルを早速受け取る。右手では下から支えるようにコーヒーの入った紙コップを2つ持ち、左手では指を最大限活用して紙に包まれたワッフルを器用に挟んで持つ…。 これは慎重にベルブの元へ行かなければ……と、ホットコーヒーがこぼれないように注意し、ゆっくりとベンチへ向かうため、振り返ろうとしていた。 そのころ既に俺はワッフルに気を取られていて、背後の女性たちのことなどすっかり忘れていた。 「えっ…えっ……来た…」 「コッチに来るわよっ」 「アンタ、声かけるのよ…!」 そんな会話は最早、耳に入ってこない。このコーヒーとワッフルを如何にして無事に運ぶかが重要だ…。 しかし、背後の女性たちがワァキャァとさらに騒ぎ始めているから、集中力を切らさないように努めて後ろを振り返っていく。 こぼさないように… 落とさないように… と、ワッフルと紙コップを必死に両手で支え続けていた。 その時…… 「ライラ。持ち過ぎだよ、危ない。火傷したらどうするの?」 そんな声とともに、右の手のひらの上で据わりの悪い状態のコーヒーへと、綺麗な手が差し出された。その肌は透き通るように白く、爪先は黒い。右手の甲には見慣れた契約印が刻まれている。 「ぁ、ベルブ……」 パッと顔を上げたら、優しく微笑みながらコーヒーを受け取るベルブの美しい横顔があって、俺は思わずポッと顔が赤くなる。 「俺の分もあるの?美味しそうだね。ベンチに行こう」と、ベルブは呟き、俺の前を歩き始めた。俺もベルブのすぐ後を追って歩き始める。 しかし… 「あぁ…行っちゃうよ…」 「早く追いかけてよ、アンタ…!」 「えっ、ちょっと…!皆で声をかけるって話じゃ……」 と、背後から先程の女性たちが近づいてきていることが分かる声が聞こえて、俺は口を尖らせた。 「ベルブ…お前、また狙われてるぞ…」 「うん?興味無い」 即答で返すから、俺はその嬉しさで照れてしまって……素直になれずにちょっとムキになる。 「…興味無いっつったって……追いかけてきてるんだぞ…。邪魔だろうが…」 「追い払えって?キスでもしようか」 ベルブは悪戯に微笑んでそんなことを言うから、俺はさらに耳まで熱くなる。 「っ……馬鹿野郎…。キス…は、悪くねぇが……」 「人前でキスするの、嫌がらなくなったんだね?」 「…恥ずかしいが、お前がしたいときには…応じる……」 ベルブから目を逸らしながら、だんだんと小さく消え入りそうになっていく声でそう返す。 しかしすぐに反応を伺うようにチラッとヤツへと視線を戻してしまうと、吹き抜けた風でベルブの白く長い髪がふわりと舞っていた。その間から穏やかに微笑むベルブの横顔が見える。 ベルブは右手と左手にそれぞれコーヒーの紙コップを持っていたが、その右腕が俺の腰にグルっと回されて… 「お、おい……」 赤くなっている俺をその体の方へと抱き寄せられ、腰に巻き付けられたヤツの右腕に力強さを感じ……恥ずかしいはずなのに、なぜか安心感が増す。口先では文句を言うが、素直に体を預け、ベルブの歩幅に合わせて歩き始めた。 「ちょ、ちょっと…隣の男と近くない…?」 「いーから!ほら…早く…追いかけて…」 「あんなイケメン滅多に居ないって、名前だけでも…!」 背後から以前として女性たちが追いかけてきているらしい。恐らく3人か4人くらいか…? 呆れながら、ベルブのほうを見つめる。 「なぁ、俺から彼女たちに言ってやっていいかよ?」 「君らは俺たちの邪魔だ、って?」と、ベルブは目を細めてクスッと笑う。その微笑みにドキッとして、それを悟られまいとムッとした表情を向ける。 「そ、そうだよ…!」 「ふふ、そっか。でも、わざわざ話す必要もないでしょう?今はデート中なんだ、俺だけを見ててよ」と、ベルブが言う。 そんなことを言われたって、と困った顔を向けてしまうと、ベルブはフッ、と鼻を鳴らして、何かを企むかのような妖しげな笑みを浮かべる。 ま、まさか…キスする気か!?と、少しだけ身構えた。 しかし、ベルブは、俺の腰に回していた腕をそっと離す。そして奴は右手にもコーヒーを持っているくせに、空いている残りの指を器用に使って、俺のケツをムニムニと撫でて揉むような仕草をし始めた。 「ひっ…!?お、オイッ!」 茹でダコのように顔を真っ赤にしてベルブを睨んだのも束の間、ずっと気になっていた背後が騒がしい。 「げっ…!お、お尻…揉んでる…」 「キャア…!」 と、悲鳴のような声が上がり。ヤベェ、と思って振り返ると、走り去る女性4人の姿があった。すぐさまベルブに詰め寄る。 「ば、ばか!何やってんだ…!公の場で尻を揉むのは違うだろう…!」 沸騰しそうなほど体を熱くさせてベルブに声を荒らげると、ベルブは俺の反応を愉しむように口角を上げて挑発的にニヤリと笑った。 「あぁ、つい…。手が当たっちゃった」 「っ……ワザとだろうが…!」 「ふふ。後ろが静かになってよかったね。二人でゆっくりワッフルを楽しもう」 そう言った途端に、その整った顔が柔らかく破顔してふにゃりと笑うから、俺はベルブに見とれて何も返せなくなる。 「ベルブ…」 ベンチに腰掛けようと腰を降ろすベルブに、俺はまだ立ち尽くしたまま声をかける。 ドキドキとうるさい心臓の音を耳の奥で聞きながら、自分の顔が熱くて、顔はきっと赤くなっていることを察していた。 「どうしたの?」と、呟くベルブは小さく首を傾げ、長い脚を組んでベンチにもたれかかる。 「す、……」 「…す?」 「…好き」 消え入りそうなほど小さな声で、自分が今感じている気持ちを素直に吐き出す。 ベルブは平常よりも少し大きくその目を開けて、その赤い瞳にキラキラと太陽の日差しが美しく反射していた。ベルブはちょっと驚いたような表情を見せたあと、ふふ、と微笑む。 「…俺も好きだよ、ライラ。愛してる」 柔らかな声色でそう返してくれた。 甘い幸福感が胸の中にじんわりと広がって、俺も思わず唇を緩ませる。 「あぁ」と、短く返事を返し。ベルブの隣に腰掛けて、ワッフルを差し出した。 ーーーーーーー 最後の一口を食べ終わって、口の中に残る甘さをコーヒーで流したその時。 「えええぇぇん!」と、子供鳴き声が響き渡る。 反射的にパッと顔を上げると、向かいのベンチの近くで、男の子が泣いている。男の子は顔を腕で擦るようにして泣き声を漏らしつつ、その傍に生えている木の上で青い風船が引っかかっていることに気づいた。 「ライラ…」と、引き止めるベルブの声が耳に届く前に。俺は空になったコーヒーをベンチに置き、数歩踏み出しながら、「風船か?」と、声をかけていた。 「うん……風船……引っかかって取れないよ…」 「そうか。待ってろ」 ポンポン、と男の子の頭を撫で、チラリとベルブを振り返った。ベルブは呆れたような表情を見せるが、俺に微笑んでいる。 木の枝に膨らんだ丸い球体が引っかかっているだけだ。手を伸ばせば糸の部分には十分届くはずだ。 「よっ…」と、声を漏らしながら、木の幹に片手を付いて支え、背を反らせて手を伸ばす。 「っ……クソ…微妙に届かん…」 木を登るしかないな、と、そばにあるベンチの背に足を乗せ、ヒョイと木の枝に腕を回し。つま先をベンチにギリギリで預けながら左手を伸ばし、もう少しで届きそうだ… ベルブが心配したのか、俺のそばに近づいてくる。いつでも俺を受け止めるような体勢で下にいる気配を伺いつつ、体に力を入れながらなんとか風船を掴む。 「よし…」と、漏らしつつも、片手は風船で塞がっている。余っている片腕で枝にぶら下がりながら、飛び降りようとしたその時。 びょん、と目の前に毛むくじゃらの虫がぶら下がってきて… 「どわぁっ!」 不意をつかれて、ズルッと滑り落ちた。 「ライラ…!」と、声を漏らすベルブに受け止められて、無事に地面に両足をつく。左手には絶対に離さなかった風船がある。 「ほら、どうぞ」と、苦笑いしながら風船を男の子へ返すと、その子は嬉しそうに笑った。 「ありがとう!」と、元気よく返されて、「もう離さないようにな」と、微笑む。 走り去るその小さな背中をみながら、ベルブの方を向いた。 「悪いな…ありがとう」と、後ろ頭を掻きながらベルブに伝えると、ベルブは微笑む。 「ライラだったら無事に着地できたかもしれないけど、心配で。手を出しちゃった」 「いや、尻もちついてただろうな…助かったよ」と会話を交わす。しかしその時、ピリッと右手にむず痒いような痛みが走った。 「ん…?」と、右手を見ると、所々手のひらが腫れている。 「どうしたの?ライラ…」 「あぁ、たぶん、虫に刺されたかな…。ちょっと痒いくらいだ。手を洗ってくる」 「大丈夫…?見せて…?」 過保護なくらいに俺を心配するベルブを見て、困ったように笑う。 「平気だって…洗い流しておけば良くなるぜ?」と、返すと、ベルブは眉を顰めている。 しかしその時…。 「"飢えた者に食を与え、乏しい者に水を飲ませ、旅人を宿し、裸の者に服を着せ、病気の人を見舞い、牢にいる人に会いに行く"」 と、突如、背後からそんな声がして、驚きながら振り向く――。 これは……聖書の言葉…? 福音書、第25章、35節から…… ……かつての俺が、ガキの頃から何度も読んだフレーズ。染み付いたその文言に、体が勝手に反応して、どのページのどの箇所をよんでるのかさえ、手に取るように分かってしまう。 俺とベルブが振り返った先に、背の高く短い金髪の男が立っていた。 この男が、今の言葉を…?敬虔な信者か…? そしてヤツはクルリ、とその身体を捻り、俺の方へ向き合うように体を向けた。 「っ……」 な、なんなんだ…!? この男は…! 俺は言葉を失っていた……。 ソイツの整った目鼻立ちは人間離れしている。まるでベルブのような、いや、しかし、ベルブとはまた違った、正反対とも言えるような……魅力と容姿だ。 「常に慈悲深く、" 無私の愛 "…。君はそれを体現したような魂だね」と、奴は柔らかな笑みを浮かべながら俺を見ている。 短く切り揃えられ無造作に跳ねている金髪が風で柔らかく揺れていた。美しい水色の瞳の周りには、髪と同じ色をした金の睫毛が生え揃い……まるで、絵画から飛び出してきたような端正な作りの顔だ。 ま、眩しい…… 思わず目を細めたのは、太陽の光がソイツの金髪にチカチカと反射したからではなかった。透き通るように黄金色に輝く金髪と、微笑むその顔つき、眼差しが、あまりに真っ直ぐで…。曇りの無い蒼い瞳は祝福を受けた快晴のように澄み渡っていた…… ……思わず、呼吸さえも止まる。 誰かを見て、このような清らかさを目にしたのは、生まれて初めてかもしれない……急に空気が澄んだようにさえ感じる。 ――天から落ちてきたんじゃないのか…? そんな馬鹿な考えが、自然と浮かんだ。 コイツが普通じゃねぇってことは、俺にも分かった…。その時、俺を現実に引き戻したのはベルブだった。 「カイル…。貴様、何の用だ…」 ベルブの低くて威圧するような声が響き、途端に肌をジットリと刺すような緊張感がまとわりつく。 ベルブが、異常なほどに反応している… カイル…だと…?ベルブが知っているなら、悪魔なのか…? 一体誰なんだ……この、地上に舞い降りた天使のような男は…。

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