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(ライラside)
マーレはひたすら感覚を研ぎ澄まし、自分たちのほうへ近付いてくる悪魔、ベルブやルゼブ、その他の家来たちが戻ってくる気配に集中していた。
四方へ遠く散らばった彼らの気配を1度に全員分追い続けることは既に難しくなっている。まとめて感知するには彼らが離れすぎているから、個々を追うことはせず、帰ってくる気配、つまりこちらに近づいてきている仲間がいるかどうかにだけ彼女は集中していた。
ベルブや他の魔族たちは無事だろうか…。
そんなことを思いながら俺はただひたすら周囲を警戒し続け、時間が流れていく…。
俺の片眉がピク、と跳ねたのは、微かに足音が聞こえた気がしたからだった。空耳かもしれないが、周囲を確認するように首を左右に捻り、その場で数歩足踏みしながら辺りを見回す。
ランタンで照らされたこの場所を中心にして、周りに広がっているのはどこまでも続くように感じるほどの深い闇だけだった…。
「…ライラ様、いかがなさいましたか」
俺の動きを目の端で捉えていたらしいマーレが、地面へ伏せていた目線を上げて尋ねてくる。
「空耳かも、だが足音が…」と、自分の唇に人差し指を当てて、ヒソヒソと端的に伝える。マーレも直ぐに口を噤み、俺たちは耳をそばだてた…。
コツ…
コツ…コツコツ……
不規則な足音が…どこからか微かに聞こえてくる。俺とマーレは視線をかち合わせた。
「…仲間じゃないな…?」と、周囲に消え入りそうなほど小さな声で尋ねる。マーレはその気配を感じ取って判断しているのか、数秒の間を作った後、フルフルと左右に首を振った。
そうだよな、仲間だったら、マーレが先に気づいたはずだ。となればここに来ているのは仲間以外の、悪魔か、あるいは人間か…。
「悪魔か…?」と、再び囁くように尋ねる。するとマーレは即座に、もう一度その首をフルフルと横に振った。
そうか、人間か…。
ならば、見つかると少々面倒だ。
俺は、ランタンから漏れる光を隠すようにコートで覆い、音を立てずにそのガラスの蓋をそっと開ける。そして、「隠れるぞ…」と、忍び声でマーレに短く告げ、彼女に手を伸ばす。
ランタンの中の蝋燭にフッと息を吹きかけた。光源の灯りはスッ、と消えてしまい、燃え終わった煙が鼻先を掠める。暗闇の中で手を伸ばした先に居るマーレの、皺だらけの華奢な手を右手で包んだ。
足音を立てずに彼女の手を引き、左手で消えたランタンを持ってジリジリと歩く。数歩先に壁があり、少し小さめの横穴があったはず。
額に汗を滲ませながら、慎重に動く…。何も見えない…足元の窪みにも気をつけなければ…。
コツ…コツコツ…
…コツ…コツ…
一方で、暗闇のどこから聞こえているか分からない誰かの足音は不規則に音を立て続けている。足音は重なって聞こえた…。何人か居るのか…?
やはり、点検か何かで地下へ…?
そんなことを思いながら、ゆっくりと前に出していた俺のつま先が、コッ、と何かに当たる。
……あぁ、壁だ。
ランタンを壁に当てないようにしながら、その壁に自分の肩を押し当てる。真っ暗闇の中をゆっくりと壁伝いに移動し始め、マーレの細い手は変わらずしっかりと握っていた。
そして壁の感触が消える箇所が現れ、そっと指先でその輪郭を探ると……
ビンゴだ、俺のイメージ通りだった。
屈めば身を入れることができそうな穴が開いている。この狭い通路に身を隠せば凌げるかもしれない…。
「…マーレ、ここに…」と、低く小さな声で告げる。顔さえも全く見えない、握っている手の感触だけが頼りだった。グッと力強く引っ張り寄せ、彼女を穴の方へと寄せる。
「ライラ様が奥へ…」と、マーレの囁く声が聞こえてくるが、「いや、君が先に」と、同じように音量を下げた声で返す。
すると彼女が戸惑い、躊躇っているのを感じとった…。俺の護衛として動きたいマーレに対して、逆に俺が彼女を守るような言動を取っているからだろう。
だが、そんなことは言ってられない、誰が居るのか分からないから、人間たちから彼女を守らなければ…。
モゾモゾと布が擦れる音と共に、繋いだ手の先で彼女が動いているのが分かる。穴に入ったような雰囲気がして、そっと手を離す。
「隠れました、ライラ様も…」と、小さな声が返ってくる。「あぁ…」と、小声で返し、俺も左足を穴の方へ上げる。真っ暗な視界の中、彼女の気配を隣に感じている。湿った狭い通路の中でこの身を縮こめた。
そして、コツコツと響き渡っている足音はもう既にかなり俺たちのほうへと近づいていた。俺は息を潜めつつ、先にこの穴に入ったマーレの方へ首を傾けて呟く。
「人数まで分かるか…?」
「…3人、感じ取れます」
「点検のためか…?何かを探しているかのような、立ち止まったり歩いたりを繰り返す足音だな…」
「…左様でございますね」
そんな会話をヒソヒソと続けながら、再び俺たちの元いた場所の方へと顔を傾ける。依然として真っ黒い視界で何も見えない…。
しかしその時、奥の右手から僅かな灯りが漏れ始めた。壁に開いている向こうの通路から、こちらへ向かってきているのが分かる。足音と共にその灯りは強くなり、通路からその先の広い空間へ広がるように灯りが溢れ出す。
――その次の瞬間、足音の主の1人と思われる声がした。
「…もう、帰りましょう?何も無いですよ、こんなところ…。もう4日目ですよ…地下の通路ばっかり…」
そんな声がこちらまで反響しながら響いてきて、俺は咄嗟にマーレを庇うように右腕を彼女の方へ伸ばし、その体を壁に押しつけた。
そして、丸く狭いこの通路に沿うように体を貼り付けながらも少し身を乗り出す。
男の声だ…
年老いては居ない、20代から30代くらいか…?
4日目、だと?コイツらは4日間も地下通路で何かを探しているのか…?
そして遂に、灯りと人影が通路からヌウッと現れるのが見えた。右奥の方で彼らが手元に持っている光源が真っ暗の中で周囲にぼんやりと広がり、逆光でその姿形まではよく見えない…。
必死に目をこらす…
「そうですよ。この場所暗くてジメジメしてるし…下水臭いし…。俺たちも暇じゃないんですよ…。上からの命令とは言え、なんで俺たちがこんな場所まで同行しなきゃならんのか…」
そんな2人目の声が聞こえる。1人目同様に年老いているような声ではなかった、そしてこれもまた、男の声だ。灯りを持った2人と、もう1人が逆光の中に黒い人影を作っている。合計3人、マーレの言った通りだった。
その時…
「っ……」
俺は、思わず目を細めた。
灯りを持っていない男の手の中にある何かが、彼らの光源を強く反射させ、ビガビガッ、と強く輝いて目に飛び込んできたからだった。光の残像が目に残り、ますます彼らの姿がよく見えない…。
何を持ってるんだ…?と、目を擦りながらもう一度彼らをよく見つめる。
「…すみません、付き合わせてしまって…」と、3人目の声が響いたその途端……俺は目を見開いた…。
この声……
アダムじゃないか…。
「どうやら穴を掘って地下に潜む悪魔のようなので、地下を探せば何か手がかりになるのではと思って…。警察の皆様の手を煩わせて申し訳ないですが、私一人ではここに入る許可を得られず。もう少し探させてください…。確かに反応はあるんです…」
あぁ、これは確かにアダムだ。あの人影…3人目はアダムだった。
そしてアダムの言葉を聞くに、残り2人は警察か…?
アダムはあのトラック事故と穴の事件の真相を追っているはずだ。そしてアダムの言葉のとおり、アイツも地下に来ればなにか掴めるのではないかと感じ、地下を探し回っているということか…。
しかしアダム、4日間も根気強くこの場所を…?
アダムが必死に動いていることを知って、俺は身を隠している状況でありながらも、フッ、と小さく笑う。
アイツも根性が座ってきたらしい…。いいじゃねぇか…。
「あっ、また反応が…。やっぱりこちらです…」
「おっと神父様…ここいらは足元が穴だらけだ…。気を付けてくれよ」
そんな会話と共に、彼らの灯りと人影がまた動き始める。
待てよ…。アダムのやつ…悪魔の気配を探ってるってことは…。
俺はそこまで考えて、ギクリとする。
俺がアダムに渡したエクソシストのあの道具…。聖句が刻まれた針を使ってるなら…今ここで反応しているってのは…
「マーレ…。まずいな、奴らに君の居場所がバレてるぜ…」
「…ライラ様、それは…」
「アイツはエクソシストだ…。俺の元後輩みたいなもんで……。悪魔の気配を探る道具を持ってんだよ…」
アイツに預けた道具がまさかこんな風に作用するとは、と頭を抱えながら、この場から逃げる術を考え始める。
「ライラ様、私たちはここに留まらねばなりません。いつ、坊っちゃまたちがここに戻るのか分かりませんから」
「あぁ、そうだよな…。だがこのままでは確実に俺たちの居場所が奴らにバレるぞ…」
「…では、私がお相手を…」
「いっ…、ま、待て…。アイツを傷つけるのは…。しかもアイツはエクソシストだ、まだ未熟だが、マーレにも影響が…」
「大丈夫ですよ、ライラ様。坊っちゃまが私をライラ様の護衛に置くほどには、私も貧弱な悪魔ではありませんので…。それに傷付けなければよいのでしょう?少し眠ってもらうことにしましょうか…」
「マーレ、早まるな…。見ろ、アイツが持ってるモンが見えたぞ…」
俺はギュッと目を細めて再びアダムを見つめている。アイツが手に持っている物が再びランタンの火を受けてキラリと反射し、目に残る残像は十字の形をしている。
「十字架だ、あのデカさは俺の渡したモンだろうな、特注品なんだよ。裏にビッシリ聖句を入れて、素材もただの銀じゃねぇ。悪魔の嫌う物を詰め込んでる、ベルブでも嫌悪感を抱くくらいの…」
俺はそう告げながら、アダムと司祭が俺の家に押しかけてきた日のことを思い出していた。アダムたちはドアを突き破って玄関に押し入り、あの十字架を俺たちへ向けた。咄嗟に背後を振り返ったのは、その場にいたベルブが心配で…
ベルブは瞬時に犬に変身して素性がバレないようにしていたわけだが、奴は犬の姿のまま異様なほどに威嚇し吠えたてていた。それはアダムたちが押し入ってきたことへの反射的な反応でもあるだろうが、それだけじゃない…
あの十字架を真正面から向けられた悪魔の典型的な反応も現れていた。
「…確かに、強烈なようですね…。ですが、私たちははこの持ち場を離れることはできない。そして最も重要なことは、私にはライラ様を守るという坊っちゃまからの命令がありますから」
マーレの顔は見えなかった、そしてヒソヒソと話しているはずなのに、彼女の声は低くハッキリしていて、揺るがない強い意志を感じ取れた。
マーレを庇うように右腕を彼女に押し付けていた訳だが、そんな自分の行動にまたハッと気づいて、少し恥ずかしくなる。
マーレを守ろうとしていたが、俺はマーレに守られる立場だ…。聖職を棄てた今の俺は、ただの無力な人間なのに。それでも、自分が守らなければという気持ちが息をするように自然と込み上げてしまう。
「…こっちです、反応してる…。この場所に出てから気配が強くなってる…」と、アダムの声が響く。
「ヤバいな、来てる…」と、俺が呟く。
「ライラ様、私が行きますから、貴方様はここで…」と、マーレが切迫した様子で俺の左手首を、空いている方の彼女の手が強く握った。
その力強さに少し驚くが、俺は頭をフル回転させてこの状況を打破する方法を咄嗟に考えている。マーレのことも、アダムのことも傷つけない…なるべく穏便なのがいい。
アダムにはマーレに影響のある祝詞を唱えさせたくないし、マーレにはアダムたちを暴力的なやり方で一掃させたくない。
マーレが魔術で彼らを眠らすことができるとは言え、アダムが反撃を始めると厄介だ…。アダムは悪魔との対決にも備えて準備してきているはず…。眠らせるなら反撃の隙も与えず、確実に…だ。
よし…
「マーレ、待て。俺に作戦があるぜ…」
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