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第3話 知らない感情

 誰かと寝たら、大体はそれっきりだ。  時々、留守電やSNSにメッセージが残されていたりするけれど、特に返事もしない。またその相手に会いたくなれば、その時に連絡して会えばいいだけの話だろ。何の生産性も無い会話をダラダラする気にはなれない。  そもそもセックスをしただけだ。刹那的な快楽を求めて、ほんの一瞬お互い夢中になったってだけで、特別な繋がりなんてはなから持ち合わせていないはずだ。事が済めばそれで終わり。いちいち相手の気持ちを推し量ったりする面倒な関係なんて俺には必要ないし、恋だの愛だの、正直だるい。  ずっとそう思ってきた。これからもそのはずだった。   『本田崇人(ほんだたかひと)』  なんでだろう。あいつが頭から離れない。介抱をしたついでに見た目が好みだったから、欲しがるままちょっと遊んで気持ち良くさせただけで、別に彼を抱いたわけじゃない。  出来心で家に招き入れただけの、あの日に初めて出会った赤の他人だ。それなのに、ふとした瞬間にどうしてもあの夜を思い出してしまう。  ひっかかりの無い白く滑らかな肌。触れた瞬間から彼の中に溶けてしまいそうな熱っぽい体温。無意識にこちらを煽ってくる蠱惑の瞳。  崇人が帰る間際、俺に向けた名残惜しそうな熱のこもった眼差しが、今も脳裏に焼きついて忘れようにも忘れられない。 『必ず御礼に来ます。この家へ。リョウさんに会いに。……それじゃあ、また』  控えめに照れながら、何かを訴える様にじっと見つめてそう言った。その視線の先に、彼が俺に向かって『抱いて欲しい』と口にしたのかと思わず勘違いしそうになった。そんな風に錯覚してしまったのは、崇人から自分を求めて欲しいと願う、俺の都合の良い願望に過ぎなかったのかもしれない。  胸の内に何かが居座って暴れている。その『何か』が俺にはわからない。ただひとつ、はっきり自覚しているのは、崇人にまた会いたいという気持ちだけだ。  どうしてあいつがすぐにまた会いに来てくれると勝手に信じて、安心していたんだろう。よくよく思い返してみれば、社交辞令だったのかもしれないのに。・・・・・今更ながら、連絡先を聞いておけば良かった。 『それじゃあ、また』って、一体いつだよ。    ******** 「・・・・・ョウ。ちょっと!リョウったら!」  フゥが目の前でパチパチ指を鳴らした。 「なんだよ。ぶってぇ指だな」  カウンター越しにリョウがうざったそうに顔を上げた。考えを邪魔されて思わずムッとした表情をする。 「まっ!失礼ね!ぶっとい指だなんて。その指でこんなに美味しいご飯作ってあげてるんだから、むしろ感謝して欲しいくらいだわ。ほら、せっかくの出来たてが冷めちゃうでしょ!」  目の前で美味しそうな湯気が立っていたはずのナポリタンは、いつの間にか皿の上で静かになっていた。どれだけ考え事をしていたのか。リョウは慌ててフォークを掴んでナポリタンを掻き込んだ。 「アンタがだらし無い気の抜けた顔でボーッとする日が来るなんて・・・・・。いよいよ世界も終わりかしら」  腕組みして頬に手を当てながら、フゥは珍しいものを見たと言わんばかりにからかった。忙しなく食べるリョウの為に、好物のクランベリージュースをなみなみ注いであげる。馬耳東風さながら、無言のまま黙々とパスタを口に運ぶ。そんなリョウにはお構い無しにフゥは独りで勝手に喋り出す。 「ねぇ、そう言えば知ってる?LINKSグループってあるじゃない?キャバとかホスクラ何軒も経営して、手広くやってるとこ。そこで長いことナンバー張ってたホストが最近この辺りでゲイバーを始めたらしいんだけどさ――」  リョウは全く興味ない。といった感じで、食べる片手間に聞いていた。フゥはため息をつきながら話を続ける。 「薬物が蔓延してるらしいのよね。おぼこくて可愛いハッテン場慣れしてない子たちを見つけると、言葉巧みにお店に引き入れて、ドラッグ入りのカクテルで酔わせるんですって。それで意識をなくしてる間にレイプAVを撮影して、それをネタに彼らを強請って、強制的にノーギャラで系列のメンコンとかホスクラで働かせてるらしいのよ」  ――『薬物』  その言葉に思わず反応して、リョウは食事する手をピタリと止めた。 「そこ、何て名前の店?」 「んー。確か・・・・・『Utopia』って言ってたと思うわ。そのオーナーやってるホストの源氏名が、確か『遊羽人(ゆうと)』だからそこから付けたとか何とかって。最近出来たラブラブの彼氏が教えてくれたのよ〜♡でも、怖いわよねぇ。新参者が勝手に私たちの領域を穢らわしい手口を使って荒らさないで欲しいわ!」  フゥは鼻息荒く憤慨する。界隈の異質さは理解しているものの、やはりフゥにとってゲイ達が集うこの場所は居心地の良い『実家』みたいなものなのだ。それが傷つけられ、粗雑に扱われることに対して敏感に反応してしまうのも無理はない。 「は?お前、男できたの?」  リョウはびっくりして目を丸くした。話の内容よりもフゥに彼氏が出来た事に驚く。 「そ・う・な・の〜♡珍しくデブ専じゃない男よ。体目当てじゃなくて、アタシの優しい心を好きになったんだって♡」  突き出た胸か腹かわからない豊満な体をゆすって、自分自身を短い腕で抱きしめながら惚気出した。リョウは「物好きって本当にいるんだな」と言って声を出して笑った。「んまっ!ひどいわ!」と、フゥも大声で反論してはみせるが、幸せそうな笑顔を溢れさせて、リョウと一緒に大声で笑い合う。 「そうそう。叔父さんの三回忌、再来月の七日に決まったから。空けといてよ!」  フゥに言われて、リョウの笑い声がピタリと止まった。唇をキュッと結んでまつ毛を伏せ、寂しそうに下を向く。今の今まで楽しく笑っていたフゥも、思わず神妙な顔つきになる。 「もう三年か。・・・・・早いな」 「・・・・・うん。早いよね・・・・・」  俺の大恩人である、都築誠志郎さんが亡くなってもうすぐ三年が経とうとしている。  フレンチの巨匠と呼ばれ、日本のみならず世界でもその名を馳せる三ツ星シェフ。同業者のみならず、食通の人々からも尊敬される皆に愛された料理人だ。  その人の甥っ子であるフゥと俺は、血は繋がらなくとも兄弟みたいな間柄だ。10代の頃から職種は違えど、飲食業界でずっと一緒に切磋琢磨してきた。  巨漢で金髪姿のオネェであるフゥは、その風貌からは想像もつかないほど丁寧で繊細な味の料理を作る。山あり谷ありあって、今は新宿でフレンチレストラン兼、Barの店『la table F』を開いている。普段忙しすぎて全く料理をしない俺はそこへ飯を食いに通っていて、自分にとってフゥの店はもはや第二の自宅みたいな存在になっているのだ。 「まぁ、しんみりしてても誠志郎さんは喜ばないよな。あの人、派手好きだったし。不謹慎でも三回忌は賑やかにやるんだろ?空けとくよ。後で時間と場所送って」  リョウはそう言うと「ごちそうさま」と口を拭ってから、クランベリージュースを一気に流し込むと、皿の横にお代を置いて足早に店を立ち去ろうとした。 「ちょっと、ちょっと!アンタのボケっとしてた様子の理由をまだ聞いてないわよ!何があったのか教えてから帰りなさいよ」  フゥがカウンターに身を乗り出してリョウを引き止める。それほどまでにいつも鉄壁のポーカーフェイスを崩さないリョウが放心状態であったのが珍しい。瞳をキラキラ輝かせながら、フゥは、何があったの?と、ゴシップネタを待ちきれない様子でソワソワしながら返事を待った。  リョウはしばし上を向いて考え込むと、急に真剣な表情になってフゥに質問した。 「なぁ。連絡先を知らない奴と連絡取るの、どうしたら良いと思う?」 「……はぁ?」  フゥは予想していた返答と違って拍子抜けした。まるで訳が分からないといった感じで、片眉を吊り上げてリョウの質問に困惑するしかなかった。

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