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第4話 Utopia【R18】
リョウさんに介抱して貰ったあの日から、あっという間に一週間が過ぎた。
『御礼に行きます』と伝えた約束を守る為に、僕は猛烈な勢いで仕事を片付けてきた。全てはそう。今日この日、金曜の夜のために。
そう意気込んだ割には、いざマンションまで来ると緊張で足が震えた。だけど、勇気を出してインターホンを押してみる。何度押しても返事はなくて、中にリョウさんがいる気配も感じられない。仕事かもしれないからしばらく待ってみようと、正面玄関の前で時間を潰してみた。一時間経っても、二時間経っても彼は姿を現さなかった。
連絡先を聞いておけば良かったと、今更ながら自分の要領の悪さに頭を抱えて後悔する。
(そうだよな。金曜の夜だからこそ、留守の可能性の方が高いよな)
崇人は暇を持て余して、何気なく、ぐるりと建物を見渡してみた。マンション入り口の植栽のへこみが目につく。意識を失って寄りかかっていた痕跡を目の当たりにして、思わずあの日の自分の失態が蘇ってきた。申し訳なさに縮こまって目を逸らす。
(寒いな……)
出会った日ほどの寒さではないけれど、今夜の夜風は刺す様に冷たい。羽織ってきた手持ちの薄手コートじゃ暖は取れない。日中はやり過ごせても、夜の寒さにはかなり堪える。
「新しいコート、やっぱり新調しないとな」
静かな夜に、鼻の頭を赤くしながらポツリと呟いた。
マンションの住人が帰宅してくると、オートロックのドアを開けながら、玄関前に突っ立つ崇人を見て訝しげな表情を向けた。とっさに気まずくなって、崇人は下を向いてサッと表情を隠す。
(もしかして、今日は帰ってこない?仕事は不規則そうな気もしていたけれど……)
ふいに『今日は会えない』可能性が頭をよぎって胸がギュッと締め付けられた。それでも辛抱強く待ち続けてみたけれど、いよいよ終電の時間が近づいて来てしまった。崇人はガックリ肩を落としながら、仕方なくマンションを後にした。
あわよくば、今夜はこの前の続きがしたい――
正直、そうなる事を期待していただけにショックも大きい。御礼という大義名分にかこつけて、そんな邪な気持ちを抱いているからこんな事になるんだ。
ああ、きちんと連絡先を聞いておけば良かった。
あの時は恥ずかしさと動揺で頭が混乱し過ぎていた。どうするべきか分からなかったから、「御礼に行きます」とだけ伝えるのが精一杯だったのは確かだ。それに、僕はリョウさんへ運命めいたものを不思議と感じていたから、僕たちは必ずまた引き合うはずだと勝手に信じ込んでいたのもある。
でも蓋を開けてみればそんなもの、一方的すぎた上に、自分にとって都合の良い解釈に過ぎなかった。
これじゃあ、僕が教えている10代の生徒たちと同じ思考だ。20代半ばにもなる大人が女子高生と同じ考えだなんて……幼稚すぎる!
今更ながら後悔しても遅い。崇人は悶々とした気持ちを払拭でないまま、ため息をつきながら駅へ向かって歩きだした。
********
正直、彼に出会ったあの日から、僕はズブズブの性欲に囚われていて、すっかり自慰行為の虜になっていた。
すっぽり抜け落ちていると思っていたはずの記憶も、冷静になってくると、驚く事に体がぼんやり感覚を覚えていた。彼が僕の下半身に触れたという確かな感触が蘇ってくる。
彼はどんな風に触ってた?いや、どんな風に僕は、彼に触られたかったんだろう・・・・・
微かな記憶を辿りながら、あえて利き手じゃない方の左手で自分のペニスへ手を伸ばす。
自分が作業的に触っているのとは明らかに違う。ぎこちなくて新鮮なこの感覚は、他の誰かに触られていると連想せずにはいられない。勿論、頭に浮かぶのはリョウさんの手だ。
彼の骨ばった大きい手で僕のペニスをすっぽり包みこむ。親指を少し立てて、先端の割れ目へググッとゆっくり食い込ませると、プクプクと興奮の雫が次から次へと溢れ出してくる。指の腹と擦れて、グチグチ、グチュチュッとすぐにいやらしい音が耳に入ってきて、思わず夢中になって手を動かしてしまう。
更にガチガチに緊張したペニスを忙しなくニチャニチャ擦り上げながら、後ろにもそっと指を忍ばせてみる。
(リョウさんに、ここも触って欲しかったな)
崇人は湿る秘所に自分の中指を根元までゆっくり挿入して、リョウの姿を想像しながら出し入れした。彼のすらりとのびた指で優しく触って拡げて、愛でて欲しい。
焦らされながらトロトロに蕩けさせられて、彼の硬くそそり立ったペニスで、僕のこの中を深く貫いて欲しい。もしも――もしも彼と繋がれられたら、きっと僕は幸せすぎて泣くかもしれない。
前も触られながら挿れられるのは、どんな感覚なんだろう……前も後ろも、自分の悦いように弄りながら、崇人は息を荒くして想いを馳せた。
実体験も無いくせに、リョウさんでこんな卑猥な想像ばかりして自分を慰めているのが知られたら、彼はどう思うかな。幻滅されるような気もして怖いけれど、案外すんなり受け入れてくれるかもしれない。
そんな風に考えを巡らせながら、ここ最近の僕の夜は更けていくばかりだ。
早くリョウさんに会いたい。彼を想う度にじんわり胸に広がるこの甘い気持ちの答えは、次に彼と会えた時にはっきり言葉に出来るのかな。
********
ぼんやり考え事をしながら歩いていると、《Utopia》の文字が光る電飾の看板が見えた。
まずい。手前の道を曲がって、この道を避けて帰るべきだった。考え事をしたまま歩いていたせいで例の店がこの辺りだったことをすっかり失念してしまっていた。
引き返そうと急いで向きを変えようとしたその時、店から見覚えのあるピンクの髪色にボディピアスだらけの、細身の男が出てきた。「あっ」と、崇人の顔を見るや否や、近づいて声をかけてきた。
「あれ?この前のオニイサンじゃん。あの時は逃げる様に帰っていっちゃったけど。何?どうしたの?やっぱり、名残惜しくなって戻ってきたの?」
男はニヤニヤしながら声高々に崇人へ話しかけた。
「ち、違っ!たまたま通りかかっただけで、あなた達の店に行くことはもう無いです」
内心、冷や汗を掻きながら崇人は必死に答えた。
男は先程とは打って変わった素っ気ない態度で「ふーん」と言いながら、持っていた電子タバコをひと呑みしてフーッと煙を吐いた。
「それはそうとさ。あの寒い中、コート忘れて帰ったでしょ?まだ預かってるよ。受取りに店へ入って。また一緒に飲もうよ」
眉間にまぶた、鼻と唇。おまけに舌にまで。顔中ピアスだらけで、顎下から鎖骨までの首元にがっつりとタトゥーも入っている。威圧的な姿のその男は、蛇のように音もなく滑りながら、狡猾に近づいてくる。いつの間にか距離を詰めていて、崇人の肩を抱いていた。
妙に甘ったるい、頭痛がしてきそうな香水の匂いが崇人の鼻をついて、あの夜の風景をまざまざと思いださせた。彼と目を合わせるのを避けているのに、視界にピンク色の短髪が否が応でもチラついて不快だ。
「……行きません。もう、店にお邪魔することはありませんから!すみません。コートはそちらで処分してください。僕、急ぐのでこれで――」
崇人は早口でそう伝えると、必死に早くこの場を立ち去ろうとした。男の腕を勢いよく振り払って、歩いてきた道へ踵を返す。数歩踏み出したところで男が崇人の背に向かって喋り出した。
「取りに来た方がいいと思うよ?じゃないと、OK貰ったと思って、この前の動画、勝手にネットに挙げちゃうよ。こっちは君がまた来てくれるのを信じて待ってたんだからさ。ほら、話し合いって大事じゃん?」
「……は?……動画?」
「え、まさか忘れちゃったの?」
急ぐ足がピタリと止まる。身に覚えのない、彼が発した『動画』の単語に思わず崇人は動揺して振り返った。
「初めて自分の性癖を隠さずに居られる場所へ来たって、感動してたじゃん。うちのメンバーとめちゃくちゃ呑んで盛り上がってたよね?まぁ、盛り上がり過ぎて別のこともおっ始めてたけど。それで記念に動画撮るってなったじゃん。あんなに楽しかったのに。うわ、覚えてないのショックだわ〜」
「嘘付かないで下さい。確かに会話は盛り上がったかもしれないけど、僕は一杯しか呑んでないし、動画なんて撮ってない!」
「なんでそう言い切れるの?その一杯でヘロヘロになってたのに。酒が弱い奴ほど我慢して呑むし、記憶飛ばしやすいんだよ。他のメンバーにも直接聞いてみたら?みんなあの時、君の乱れた姿が本当に凄かったって今でも話題にあがってるよ?」
不思議な圧力を感じた。感情をぶらす事なく淡々と話す彼の言葉には、不安を煽りながらも、妙に納得させる何かがある。
けれど、ここで流されてはいけない。動画なんて、真っ赤な嘘だ。崇人はぐっと拳を握りしめながら必死にBarで過ごした夜の記憶を掻き集めた。
あの日、初めてのゲイバーを訪れた僕はガチガチに緊張していた。そんな僕を優しく迎え入れてくれた店内のみんなは明るくて親しみやすくて、直ぐに打ち解けられた。
それにも関わらず、親切を装った店員から飲み物に何か細工されたことに気づけたのは、眠気を感じ始めた時に辺りを見回すと、あんなに沢山いたはずの他の客が消えて店内には店員たちと僕ひとりだけになっていたからだ。本能で身の危険を感じて、ふらつきながら必死で店から飛び出してきた。あの時の青ざめた恐怖と心臓のバクバクは忘れ様にも忘れられない。
「動画なんて、あり得ない。変なハッタリをかますのはやめて下さい」
睨みつける崇人を目の前に、男は無言のまま後ろポケットからスマホを取り出すと、スイスイと操作して音声を流した。
「……んっ、あっ、ああっ!や、やだっ!やめっ……!はぁ、はぁはぁ……」
雑音混じりの男の喘ぎ声が流れた。
崇人は、まさか!と思い、走ってスマホを奪い取ろうとしたが、男は俊敏にスマホを持つ腕を高く上げて難なくかわされてしまった。
「ね?君の喘ぎ声、ちゃんと録音されてるでしょ♡」
笑っていない瞳。目尻を細めて、口角をあげて楽しげに微笑んでいるのに、奥に潜む瞳は冷血そのものだった。
突然の出来事で頭が真っ白になる。
もしかして、本当に撮られているのか?
急に自信がなくなってきた崇人は、何も言えないまま、思わずその場で立ちすくんでしまった。その時、高く掲げていたスマホが急にけたたましく鳴り出した。男は崇人の存在を一瞬にして忘れ、着信に慌てて出る。二言三言、返事をすると、すぐに通話を切って崇人の方を見た。
「とにかくもう1回、店に来て。待ってるから。俺は急用が出来たからもう行くよ」
急に真剣な顔つきになって早口でまくしたてると、男はその場から足早に去って行った。崇人のことはもはやどうでも良いと言った感じで、スマホをいじりながら他のことに気を取られている様だった。
その場に残された崇人は茫然とするしかなかった。思いもよらない展開に、考えが追いつかない。
「僕は、どうしたら……」
小さな掠れた声で独り言がポツリとこぼれた。頭の中で答えはすぐに見つかるはずもない。そのまま地に足つかぬ感覚のまま、ただ駅へと向かうしかなかった。
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