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第6話 本田崇人②【R18】

 サッカー部のエースと地味なメガネのガリ勉。  この二人が夏の間、誰にも言えない秘密を共有しているなんて思いもよらないだろう。建前上は部活と勉強。でも実際はお互いに会いたくて、触れたくて堪らないから、夏休みも学校に登校する。  図書室の二階――地図帳がずらりとならぶ本棚の近くは、どこから見ても死角になっていて、密会の場所に相応しい。夏休みにわざわざ地図を借りに来る奴なんていないから、誰にも邪魔されない。この場所で、山本の部活が終わると示し合わせて落ち合っていた。  山本が宿題をする隣で崇人が静かに本を読む。けれど直ぐに山本はちょっかいを出して来て、結局気づいた時にはお互いの手を絡ませあったり、太ももあたりを触り合ったりしながら、何度もキスをしている。    誰かに見られたらまずい――    そんな背徳感がより一層、二人の気持ちを堪らなくさせていた。好きな人と触れ合う事がこんなにも心地良く、頭の中が甘く痺れて蕩けそうになるなんて。  重ねた唇をゆっくり離すと、崇人は山本によりかかって彼の首筋に顔を埋めた。   「制汗剤の匂いがする」    ほんのり汗ばんだ山本の首すじをクンッと嗅ぐ。   「え、臭い?」    山本も鼻をクンクンと鳴らして、少し焦った顔をする。   「あはは。臭くなんてないよ。良い匂いだなって。山本の匂い、落ちつくんだ」   「この香り好きなの?良かった、付けといて。部活が終わった後は汗だくだからさぁ。自分でもたまにクセェなって思うもん」   「それが良いんだよ。制汗剤と山本の汗臭さが混ざった匂い」   「ははっ!変態だな、崇人って」   「変態とこういう事してる、山本も変態だろ?」    崇人は腕を首と肩に絡めながら、山本の顔をグッと引き寄せて目を開けたままもう一度キスをした。何度もしているのに、山本はまるで初めてキスしたかの様に悶えながら顔を火照らせ、蒸気した。   「崇人って、本当、とんでもねぇよな」   「えー、そうかな?」    ふふっ。と崇人は悪戯に笑って見せる。  硬派な振りして、山本はこういうちょっと強引で甘えた駆け引きが好きなのだと段々わかってきた。揶揄う訳じゃないけれど、自分の一挙一動が彼の感情を揺さぶって、更に自分へ夢中にさせているのだと思うと、意識せずにはいられない。  崇人は山本の肩にぴたりと寄り添うと、サッカーで培われた山本の筋肉の張った太ももにそっと左手を置いた。ビクッと震えて思わず山本は体を硬くする。熱いくらいの体温が嫌がってはいないと教えてくれるので、指をゆっくり動かしてなぞってみる。  山本はソワソワ落ちつかなくなり、大股を開いていた足を急に閉じて机に突っ伏した。   「……崇人さ、いつもどーやってんの?」    山本は相変わらず頬を赤くしながら顔を崇人の方へチラリと向けて、タジタジになりながら聞いてきた。   「どーやってって、何を?」   「や、だからさ、その……オナニー……どうやってんのかなって」    崇人は瞼をぱちくりする。  そんな質問をされるとは思いもよらなかったので、一瞬驚いて固まってしまった。   「あ、えっと……ごめん、崇人!今の忘れて!俺、何言ってんだろうな?マジでどうかしてたわ。本当、ごめん!」    山本は一瞬にして顔面蒼白になった。  質問への理解が追いつかず困惑する崇人の表情を見て、自分はとりかえしのつかない事を言ってしまったと勘違いしたらしく、急に早口で捲し立てた。自分でもどう取り繕えば良いのかわからなくなって、思わず半べそをかきそうになっている。   「ふはっ。ごめん、ごめん。ちょっと思いがけない質問だったから驚いただけだよ」    崇人は満面の笑みで吹き出した。それを見た山本は少し安心して口元が綻んだ。   「あ、いや……本当、ごめんな。なんでか思わず頭にパッと浮かんだ言葉言っちゃったんだ。悪かったよ」   「どうやってるか、山本になら教えるよ」   「え……」   「山本の匂いを嗅いだ日は必ずしてるよ」    崇人は山本の首筋にぴたりと手のひらを沿わせた。細い指先が冷んやりと山本の大動脈に触れる。   「こうして、山本の肌に触れた日はその感触を思い出して興奮するんだ」    指を滑らせて山本の手の甲に重ねる。上から彼の指の隙間に自分の指をするりと差し込んでキュッと握りしめた。   「山本の事を考えながら触ってると、それだけでとてつもなく気持ちがいいんだ」    恥じらいながらも嬉しそうに言葉を溢す崇人のその唇を、山本は視線を逸らさずじっと見つめていた。  恥ずかしいとか、気まずいとか、そんな事はいつの間にかどうでも良くなっていた。脳内に自分の事を思いながら夢中で扱いている崇人の姿が想像されて、山本は思わず理性を失いかけた。体が熱い。   「あの、さ……明日、俺ん家に来ない?」    山本は喉の奥からやっとの事で声を絞り出して聞いた。   「え、山本の家?」   「明日は部活無いんだ。両親二人とも働いてるから昼間は誰も家にいなくて……。一緒に勉強しないかなって。たまには図書室じゃないのもいい気がして……」    しばし間があった後に崇人は静かに口を開いた。   「山本の家、確か学校から近いんだったよね。……いいよ、行く。明日、山本の家にお邪魔する」    崇人の山本を見つめる瞳の熱が、蜃気楼のようにジリジリと揺らいで見えた。  ********** 「あっちぃ。直ぐエアコン付けるな!何か飲み物持ってくるから適当に寛いでて」    アスファルトに灼かれながら、二人並んで学校から歩いてやって来た山本の家の中は、外とはまた違うムッとした湿気を纏った暑さがあった。家の中には誰も居ないけれど、彼が育った家らしい温かくて明るい気配が家中に満ち溢れていた。  彼の部屋は15歳の少年らしい、明るくて健全な部屋だった。サッカー選手のサインの入ったユニフォームが壁に飾られていて、本棚には少年漫画の本が綺麗に並べられていた。  山本はグラスに氷の入った麦茶を持って来て、崇人に手渡した。   「ありがとう。……なんか、山本の部屋って感じだね」    崇人は部屋の中を見渡して微笑んだ。   「え?そうかな。友達が家へ遊びに来るなんて小学生の時以来だからなぁ。なんか緊張するな!」    山本は二ヒヒと無邪気に笑った。崇人が自分の部屋にいるなんて変な感じがする。なんて事ない普段の風景に突然、神々しい何かが降りたったような、そんな気がしてならなかった。   「友達……」    崇人は声にもならない小ささでポツリと呟いた。それから背負って来たリュックから勉強道具を取り出すと座卓に並べた。山本はハッと正気を取り戻して勉強机から宿題のワークを持ってくると、崇人の前に腰を下ろした。  黙々と二人で勉強する中、山本は問題に詰まると崇人へ解き方を聞いた。   「崇人って勉強教えるの上手いよな。すげぇわかりやすい」   「そうかな?そんなこと初めて言われた。今まで妹くらいにしか勉強なんて教えたことないよ」   「へぇ。妹いるんだ?いいなー!俺は姉ちゃんと兄ちゃんだから、下に欲しかったなぁ」   「僕は逆に上が欲しかったよ。山本みたいにスポーツ万能なカッコいいお兄ちゃんがね」   「っつ!急にカッコいいとか言うなよ!」    山本は瞬間で照れて笑った。   「本当だよ。山本はカッコいいよ。僕は部活で一生懸命にサッカーしてる山本が眩しいなっていつも思ってた」   「うわっ、待って待って。マジで照れるから!ていうかさ、教室からいつも見てたのってサッカーじゃなくて……実は俺?」    山本は探るように、でも期待を込めた表情で聞いた。   「山本以外、誰を見るっていうんだよ」   「そっか。じゃあ、気のせいじゃなかったのか。いつも視線を感じるなって思ってたんだ。3Cの教室からグランドを見てる崇人を見上げても、目が合ったことないし、普通に部活の様子だけ見てるのかと思ってた」  山本は驚きつつも安心した感じで眉尻を下げた。   「……やば。なんか、嬉しいな」と山本は顔をくしゃくしゃにして笑った。   「山本とこうやって話すようになるなんて、正直思ってもみなかったんだ。だから、僕の方が嬉しいよ。ずっと……すれ違ったままで終わると思っていたから」   「……崇人、こっち来て」    山本は崇人の腕を掴むと、ぐいっと引き寄せて唇を食んだ。滑らかで弾力のある崇人のぷくりと膨らんだ形の良い唇を自分の唇と擦り合わせては、甘噛みする。そのうち、どちらからともなく熱くて柔い舌が押し寄せてきて、お互いを絡め合う。  山本はそっと崇人のメガネを外して、愛おしそうに頬を撫でた。また、キスをする。その繰り返しをどれだけしただろう。体温がいつもより熱い。図書室にいる時よりも、二人で並んで歩いている時よりも、もっと昂った熱だ。  それに何よりも山本の気配と匂いが充満するこの部屋は、崇人の体を落ち着かなくさせた。下半身が疼いて仕方がない。恥ずかしいという気持ちの前に、唇が、手が、勝手に動いて自分自身を差し出してしまう。  お互いに確認しなくとも分かる。  ズボンの中のペニスがきつい。山本は崇人の体を引き寄せてから腕を腰に回して、もう片方の手でズボンの上から張り出している膨らみを触った。 「あっ……」か細い声が崇人から漏れる。擦り寄せていた唇は咄嗟に離れ、崇人は体を小刻みに震わせながら前のめりになって額を山本のおでこに当てた。目をギュッと瞑って敏感に感じているのが何とも可愛い。   「……さすると、気持ちいい?」    コクコクと唇を噛み締めながら崇人が頷く。ハーフパンツのジッパーを下ろして、山本は崇人の下着に触れる。先端からじゅくじゅくと溢れる液がボクサーパンツを色を変えるほど濡らしていた。下着の上からくっきり盛り上がったペニスをなぞると、ヌチャッと音を立てて糸を引いた。  昂る僕を目の前にして、ズボンの前を窮屈そうにしている山本に気づく。崇人は手を伸ばして、自分にされたように彼の膨らみを撫でた。自分の勃起した状態とはまた違った彼の硬さとシルエットに興奮して、早くズボンを取っ払って山本のソレが見たい気持ちが逸る。山本が崇人の下着に人差し指を引っかけて、くいっと下げると、元気よく勃起した濡れるペニスが顔を出した。一旦唇を離して、山本はごくりと喉を鳴らしてそれを凝視した。    「山本……恥ずかしいよ」    崇人は遠慮がちに呟いた。無意識のうちに下半身を隠そうと前のめりになって、彼の肩に顔を埋めて置こうとした。   「――かずま。和真って名前で呼んでよ、崇人」    うなじにそっと手を置いて、おでこ同士を擦り合わせる。山本は熱視線で恥ずかしがる崇人を見つめながら、剥き出しにされた屹立するペニスへ再び手を伸ばした。    ――ガチャガチャ。バンッ!   「あれ?カズいるのー?ただいまー!」    若い女性の声が玄関から響いた。  二人は顔を見合わせて、一目散にお互いから離れた。トントントンと軽快に階段を登る音が近づいてくる中、慌てて身支度を整える。   「カズ〜、お母さん今日の夕飯なんだって言ってた?てか、誰か来てんの?」    早口で捲し立てながら、部屋に近づいてくる。山本は大急ぎで服の乱れを直すと、少しだけドアを開いて廊下へ顔を出した。   「おい。今日、夏期講習なんじゃなかったのかよ?友達来てんだから静かにしろよ」    姉へ向かって勢いよく苦言を呈した。  咄嗟に取り繕ったせいでドアノブを押さえる手が僅かに震えているのが見えた。   「友達?え!誰誰?」   「ちょ、やめろよ!」    姉は好奇心旺盛に弟を押しのけて部屋の中を覗きこもうとした。気がつくと、何事もなかったように崇人が自分の後ろに立っていた。   「こんにちは。お邪魔しています」  ニコニコ微笑む崇人に、山本の姉は目を見張った。てっきりサッカー部のむさくるしい仲間かと思いきや、場違いなほど穏やかな表情をした美少年が弟の後ろに立っているので、思わず返す言葉に詰まってしまった。   「宿題も終わったので、僕はそろそろ失礼します」    そう告げると崇人は元いた場所へ戻り、机の上を片付け始めた。山本も慌てて姉をドアから締め出すと、一緒に作業へ加わった。  山本は「駅まで送る」と申し訳なさそうに言った。二人で急いで家を出たものの、秘め事をしていた緊張と動揺がぶり返してきて、何と無くギクシャクした雰囲気のままだった。太陽が容赦なく照りつける暑さの中を、二人並んでとぼとぼと歩いた。   「ごめんな。姉ちゃんがまさか帰ってくるとは思わなくて。今日は……その……」    山本はバツが悪そうに口籠る。  隣で肩を並べて歩く崇人の横顔を恐る恐るチラリと見てみる。崇人は山本の方へ顔を向けて、「楽しかったよ」と柔らかく微笑みながら静かに伝えた。落ち着いていて、余裕たっぷりな崇人は妙に色っぽかった。その色香に当てられて、さっきまで恥ずかしがりながらも自分を求めて乱れる彼の姿が瞬時に山本の脳裏に蘇ってきた。   「あ、そ、そうだね」    ぎこちない返事を返しながら、思わずニヤけてしまう。正直、邪魔が入ったせいで崇人を怒らせてしまったかもしれないと、内心ヒヤヒヤしたけれど大丈夫そうだ。  駅までの道を黙って歩いていると、お互いの手の甲が何度も当たって触れた。崇人のほっそりとした白いその手を掴んでギュッと握りしめたい。本当は二人とも手を繋ぎたい気持ちが同じなのに、出来ない焦ったさが今は何だか愛おしくも感じる。いつもは鬱陶しい事この上ない、つんざくような鳴き声で大合唱する蝉すらも、今この瞬間が何よりも特別な存在に思えて仕方がなかった。  駅に着くと、崇人は名残惜しそうにしばらくその場でじっと動かずにいた。手を伸ばして、山本の着ているTシャツの裾をキュッと掴んでから体を近づけると、肩におでこを付けて頭をもたれさせた。Tシャツ越しなのに、触れた部分がまるで愛撫されたみたいに、どうしようもなく熱い。ほんの一瞬の出来事が、永遠にも感じる瞬間だった。頭を離して顔を上げた崇人の表情が、一瞬なぜか切なく苦しそうに見えた気がしたけれど、こちらを真剣に見つめるのは綺麗な顔立ちをした、いつもと変わらないあどけない表情の彼だった。    「それじゃあ、また学校で」  崇人は遠慮がちに別れを告げて改札へ向かって歩き出した。   「またすぐ図書室いくよ!」    咄嗟に山本は早口で答えた。崇人の後ろ姿を見送りながら、不思議な焦燥感に駆られた。 『また家に来てよ』とは、なぜか口に出せなかった。胸の内がザワザワと音を立てて、胸騒ぎに感情が掻き乱された。   (崇人!こっち向けよ。振り返れ!)    知らず知らずのうちに心の中で必死に叫んでいた。通じたのか、改札を抜けた崇人はピタリと足を止めて山本の方を振り返った。ほんの一時、こちらを見つめながら唇を動かして何か言葉を発した。   「え?何?」    駅構内を行き交う人々の雑踏の音と、背後から聞こえる蝉の声で何を行っているのか全く聴こえない。山本は急いで改札の近くまで走り寄って崇人の言葉をもう一度聞きに行く。崇人はそこから動くことなく、キラキラと溢れそうな程の眩しい笑顔で山本へ手を振りながら帰っていった。  結局何を言われたのかは分からず仕舞いだった。けれど、崇人は自分へ満面の笑みを向けたはずなのに、なぜか今にも泣きだしそうだったのが気になった。  もう二度と会えないような、遠く離れて行ってしまうような、寂しくて悲しい不思議な感覚だった。すぐに学校で会えるはずなのに、何でだ?と変に思いながら、山本は踵を返して自宅への道を戻っていった。  帰り道で携帯が鳴ってメールの新着を開くと、山本はその場から動けなくなって立ち尽くした。あんなにうるさかったはずの蝉の声が、一切聞こえなくなってしまった。  *******    夏が終わる――  季節が移り変わっても、僕らの関係は変わらない。  それどころか、能天気で単純な僕は、山本との関係が更に親密になって、彼の事を堂々と『彼氏』と呼べるのもそう遠くないと勝手に考えを飛躍させていた。  僕が山本を『好き』なように、山本も僕のことが『好き』なのだと自信を持っていたし、そうじゃなければ会う度にをする訳がないと信じてやまなかった。  以心伝心なんて嘘っぱちだ。  大切な気持ちは、面と向かってちゃんと目を見て言葉にしないと、人の心を理解するなんて到底出来ない。15歳の僕はなんて安直で、素直で、そして無垢だったのだろう。  僕たちは同じ世界の中心で想い合っていると、なぜ盛大に勘違いしていたのか。人気者のサッカー部のエースと地味なガリ勉の立場だということをすっかり忘れていた。僕は恋に浮かれてこの秘密の関係に溺れ切っていた。  次の瞬間、もう二度と元には戻れない、奈落の底に突き落とされるとも知らずに。  

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