13 / 35
第13話 淡雪の中で
リョウと家族同然のフゥさんとイケメン彼氏のアレックスさん。リョウの親友・新堂さん。そしてアルバイトのみっちくん。みんな温かく僕を受け入れてくれて、今日初めて出会ったとは思えないほど短時間で僕らは打ち解けた。
とにかくフゥさんの話とツッコミが面白くてずっと笑いっぱなしだった。それに、フゥさんの料理はその辺のお店とは比べ物にならないくらい美味しい。それでいて見た目も美しくて上品なのだから、料理人って本当に凄いと感心せずにはいられない。リョウの周りは温かい人たちばかりだ。
最初の緊張は気づかぬ内にどこかへ行ってしまっていた事を崇人はふと思い出す。肝心のリョウはまだ来ないけれど、彼をよく知る皆に出会えたことで、別の角度からリョウの一面を見た気がする。今日は来て良かったと心から思った。
「あの、さっきから気になってたんですけど……『良次郎』って、リョウの事ですよね?」
ずっと引っかかっていた疑問を、話が落ち着いたところで問いかけてみた。崇人の質問にその場の全員が「え!」と驚いて目を丸くする。
「まさか、あいつの本名知らないの?」
新堂は嘘だろう?と言わんばかりの顔をした。
「あなたたち、付き合ってるの、よね……?」
ほろ酔い気味だったフゥが急に目をシャキッと覚まして、「まさか」と言った表情で恐る恐る聞き返す。
「あ、えっと……リョウとは全然そんな関係じゃなくて、なんていうか、知り合ったのもつい最近で。正直、彼のことはまだ何も知らない感じで……」
崇人はしどろもどろになって答えた。
何気なく聞いたつもりだったけれど、聞いてはまずかったのかなと、一瞬慌ててしまった。一同は黙って目を見合わせた。崇人の質問を聞くや否や、皆それぞれ頭の上に疑問符が浮かんだ表情をする。
「それじゃあ、あなたとリョウはまだ……えーと、友達?ってことになるのかしら」
フゥが人差し指を頬に当てて、うーん。と少し頭を捻って考えてから言った。
「友達……なんですか、ね……」
急に痛いところを突かれてしまい、崇人は苦笑いしつつも、少ししょんぼりしてしまう。隣で見ていた新堂は、今しがた切り分けられて皿に盛られたローストビーフを慰める様にして目の前に差し出した。
「あいつは自分の名前へのコンプレックスが凄いからね。自ら張り切って名乗るタイプじゃないよ。でも別に秘密にしてるって訳じゃないと思うから、君から聞いたら普通に教えてくれると思うよ。ほら、食べよう」
優しくニコリと微笑んで、新堂は「どうぞ」と皿を勧めた。濃いピンク色の肉の断面に、美味しそうなグレービーソースがたっぷりとかかっていた。
「フゥさん秘伝のレシピを元に、僭越ながら本日は僕が作らせていただきました!皆さんに合格いただけるか緊張するなぁ」
みっちくんが目を輝かせながら、みんなの食べる姿を見守っていた。アレックスが「amazing !」と大袈裟な位に舌鼓を打つ。
「よく出来てるわよぉ!腕を上げたわね、みっち♡」
すかさずフゥも隣でウィンクする。それから崇人の方へ振り返って、優しい眼差しを向けて伝えた。
「そうね。名前は私たちから教えるより、本人に直接聞いた方がいいわ。あーん、早く二人の恋バナをもっと聞きたいわ♡」
フゥはうふふ♡と微笑んで、おかわりのローストビーフを大口開けて頬張った。
リョウの名前――コンプレックスがあると新堂さんは言っていたけれど、一体どんな本名なんだろう。崇人の胸の内に、何だかモヤっとするような、それでいて好奇心に駆られる不思議な気持ちが入り乱れた。
――ガチャ
「悪い!遅くなった」
リョウが息を切らしながら忙しなく店に入ってきた。
「やだもー!やっと来た!宴もたけなわも通り越して、待ちくたびれたわよ!」
フゥが大袈裟なくらいにリアクションをとって突っかかる。リョウは真っ先に崇人を見つけると「大丈夫だった?」と気遣って、息を整えながら隣に座った。
「うん。すごく楽しいよ。ありがとう。今日はいつも以上に大変だったよね。仕事、お疲れ様」
柔らかく微笑む崇人の様子に、リョウも思わず安堵して笑みがこぼれた。一息ついてダウンジャケットを脱ぐ。外気の寒さを纏ったリョウから冷たい空気が伝わってきた。走ってここまで来てくれたんだ――僕の為だよな。そう感じると、崇人はじれったくて、くすぐったいような嬉しさがぐっと込み上げてきた。
「まぁ、毎年のことだから慣れてるよ。思ったより遅くなって悪かったな」
腕時計を見ると、いつの間にか日付が変わっていた。楽しさにすっかり時間を忘れていたことに崇人は驚く。それと同時に、先週ぶりに見るリョウを間近にして、嬉しさを通り越して感動すら覚えた。隣に座る彼の横顔に思わず見惚れてしまう。
(やっぱり、リョウはかっこいい……)
「腹減ったな。まだ何か残ってる?」
リョウはキョロキョロと辺りを見回す。
「アンタ用にちゃんと残してあるわよ!さぁ、たんと召し上がれ♡」
フゥはアラカルトを盛った皿とシャンパンの入ったグラスをすかさずリョウへ差し出した。嬉しそうに受け取りながら、崇人越しに新堂へ話しかける。
「それはそうと、悠一。すごい久しぶりだな。下手したら夏以来じゃないか?」
「はは。実はお前だけ久しぶりだよ。しょっちゅうここへ来てご馳走食べさせてもらってるからね。相変わらず忙しそうだな。飲食店のこの時期は特に、だよな」
新堂はワイングラスを差し出して、リョウと乾杯した。
「いや、忙しさはお前の比じゃないよ。今日だってお前のことだから、PC持ち込んで多忙アピールしながら仕事の片手間に渋々参加してるのかと思ってたよ。本当、よく来れたな」
「お前のその嫌味すら久しぶり過ぎて新鮮に感じるよ」
新堂はくしゃりと顔を緩ませて苦笑した。
「今日は良次郎の特別な人が来るって聞いたからさ。何がなんでも行かなきゃって。クリスマス・イヴだし、無理矢理に仕事を終わらせてきたんだよ」
すかさず崇人を横目でチラリと見て、新堂はふふっと微笑んだ。
新堂さんが『特別な人』なんて急に言い出すものだから、崇人は思わず口に含んでいたワインを吹きそうになってしまった。慌ててゴクリと一気に呑み込む。
「崇人とは最近知り合ったんだ」
リョウは崇人の方を振り返って嬉しそうに伝えた。
「だ、か、ら、よ!」
フゥが甲高い声で割って入る。
「初めましての崇人くんを困らせて!みんながみんなアンタみたいに図々しく心臓に毛が生えている訳じゃないの。ちゃんと今日はどういう会でどういうメンバーが集まるって説明を事前にきちんとしときなさいよ!」
リョウの説明不足をフゥが勢いよく叱った。
「え、俺言ってなかったっけ?」リョウはポカンとした表情を浮かべながら、どんな内容をメールで送信したか記憶を辿りつつ崇人に聞いた。
「ったく、もう!変な所が抜けてるわよね、アンタって。でも、リョウが来る前にアタシ達すっかり仲良しになっちゃったもの♡アンタよりもアタシ達の方が崇人くんの事詳しくなっちゃったわぁ〜♡」
ふふん!と、自慢げにフゥは言って見せる。
「おい。お前、余計な事言ってないだろうな?」
リョウはフゥへ訝しげな表情を向けた。
「さぁ?どうかしらねぇ〜。リョウの秘密ならアタシいーっぱい知ってるしね♡」
「あ、僕もいくつかある」
新堂も真面目な顔してフゥに加担した。
「お前ら……本当怖いわ」
リョウは顔を引き攣らせながら呆れた表情を見せた。その様子に、みんなでドッと声を出して笑いあった。
「さぁ、お待ちかねのtoday's special!フゥのクリスマスケーキの時間だよ」
アレックスが丁寧にカッティグしたクリスマスケーキを乗せた皿を皆に配って回った。
苺の上に粉砂糖が本物の雪の様にふわりと柔らかく積もっていた。ホールのクリスマスケーキを食べるのなんて何年振りだろう。そういえば、中学2年までは毎年家族でクリスマスは外食していたな、と昔の記憶がふと崇人の頭に蘇ってきた。いつの間にか、クリスマスだけでなく家族全員が揃って食卓に着くことは殆どなくなってしまったけれど……
「今更何を」と思いながらも、急に少しばかりの焦燥感に駆られてしまった。崇人は気まずそうにしながら無理に笑顔を作ってケーキを頬張った。甘くて優しい、どこか懐かしい味がした。その様子を見て、隣に座る新堂が何かを察したらしかった。
「もうこんな時間か。楽しい時間はあっという間だな。僕は明日...いや、もう今日か。早朝からゴルフ接待があるからそろそろ失礼するよ」
「クリスマスにゴルフかよ。仕事とはいえ、お前もタフだよな」
リョウは関心しながらも新堂に同情する。
「お偉いさんは言い出したら聞かないからね。ま、これも出世の為と思えば楽なもんさ。ゴルフに付き合えば機嫌が良くなるなら安いもんだよ」
新堂は苦笑しながら皆へそれぞれ挨拶して店を出た。みっちくんが下まで送ります。と言って、ダウンジャケットを急いで引っ掴むと一緒に店外へ出て行った。
扉の向こうは雪が降りはじめたらしく、開いたドアの隙間から冷気が一瞬ヒヤリと流れ込んだ。
「俺たちも、もう出ようか」
リョウは崇人の様子を伺いながら、熱のこもった視線を向けて聞いた。
『俺たちも』その言葉にまだ一緒にいられるんだと崇人は静かに胸を震わせた。リョウはかなり疲れているはずだ。なのに自分とまだ一緒にいてくれるなんて嬉しすぎる。けど、本当にいいのかな……戸惑いながらもフゥとアレックスにお礼を言ってから二人並んで店を出た。外は淡雪が音もなくゆっくりと空からふわりふわりと舞い降りていた。
「やっぱり降ってたんだ」
崇人は思わず手のひらを差し出して、子供の様に無邪気な笑顔で空を見上げた。月明かりに照らされた淡雪は崇人の手の中にゆっくり優しく落ちながら、瞬間に消えて無くなった。
「初雪でホワイトクリスマスなんて珍しいよね」
崇人にそう言われて、思わずリョウも夜空を見上げた。夜の深い蒼の中に綿毛の様な雪が舞う様子は、幻想的で美しく見えた。
「雪をちゃんと意識して見るなんて、何年振りだろう」
リョウがポツリと呟いた。ただ何気なく呟いただけかもしれない。けれど、空を見上げる彼の横顔が、なんだかとても愛おしくて心が震えた。ずっと前から知っているようで、温かくて安心する。思わずリョウの腕を掴んで崇人は近寄った。
「リョウ……あのさ、今日ありがとう」
崇人が急に近づいてきたので、リョウは少し驚きつつも穏やかに微笑んでお礼を言う彼を見つめた。
「何か……悪かったな。俺、言葉が足りなかったみたいで。仕事とはいえ、来るのもかなり遅くなっちゃったし。あいつらの相手を崇人に押し付けちゃって」
そんな事ないよ。と崇人は首を横に振った。
「でも、来てくれてありがとう。俺が大事にしてる場所に、崇人が笑顔で座ってて……なんていうか、すごい嬉しかった」
腕を掴む手の上に、リョウは自分の掌を重ねてから崇人の手を取った。ギュッと握り直して離さない。
シンシンと降る雪の中、どちらからともなく二人はキスをした。身体の芯まで凍りそうな冷たい空気の中で、唇に宿る熱だけが現実味を帯びている。互いにずっと触れたがっていた胸の内が、言葉にしなくとも伝わる。そっと重ねたはずの唇は、いつしか熱い口内を掻き回して、蕩けそうなほど深いキスへと変わっていた。二人の重なる部分だけが、妙に熱い。白い息を吐きながら、名残り惜しそうに一旦唇を離してリョウが聞いた。
「家 に行こう?」
リョウは崇人の手を引っ張って自宅の方角へ歩き出した。悴む指と対照的に、結んだ掌が熱い。はやる気持ちを何とか抑えながら、二人は足早にリョウのマンションへと向かった。
ともだちにシェアしよう!

