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第20話 来年も一緒

 ――大晦日。今夜の気温は3度。新宿の街はいつも以上に明るく賑やかで、何処もかしこもお祭り騒ぎだ。 あと数時間で今年も終わる。そんな厳かな気持ちも吹き飛ばされてしまうほどの賑わいが、通りにずらりと並ぶ飲食店から聞こえてくる。夜中でも相変わらず人の多さは変わらない。そんな街の音を耳にしながら、崇人はリョウのマンションへと向かっていた。  新宿一丁目まで来ると、途端にさっきまでの喧騒が嘘のように落ち着いて、静かに夜らしくなるのが不思議だ。既に慣れた足取りで、リョウの家までの道を迷うことなく進んで行く。来年は、この道を目を瞑ってでも行き来出来るようになるかな。なんて冗談混じりに先の未来を思うと、ふふっと、つい頬が緩んで笑みが溢れる。きっと今までの人生の中で一番良い年になる。そんな気がするんだ。確信めいた予感に、胸の内が幸福で満たされてフワフワと高揚してきた。   「お疲れ。寒いな、早く家入ろう」    仕事帰りのリョウが、白い息を吐きながら急ぎ足で帰って来た。同じくらいのタイミングでマンションのエントランスに着いた僕は、持ってきた紙袋を持ち上げてリョウに聞いた。    「お腹空いてるだろ?年越し蕎麦食べない?準備してきたんだ」   「おぉ。嬉しい。年末って感じするな」   「でしょ?天ぷら選ぶのはジャンケンだよ」    ははっとお互い笑い合いながら、リョウの部屋へ一緒に入っていく。  リョウが隣にいる。今年の終わりも、新しい年も。 こうして君の隣にいられるなんて僕にとっては奇跡みたいだ。クリスマスが終わってから、まだそんなに日が経っていないのに急に僕らの距離がグッと近づいた気がするのは、体を合わせた事だけが理由じゃ無いと思う。  リョウは相変わらず口下手で淡白だけど、連絡は密に取るようになったし、会いたい気持ちを遠慮して我慢しなくても良くなった。どちらからともなく年末は一緒に過ごそうって話に気づいたらなっていたし、居心地の良い彼の家で、今こうして蕎麦を茹でているリョウを眺めている。何だか不思議な感じだ。   「今年も終わりか。毎年思うけど、一年って本当あっという間だよな」    蕎麦を啜りながら、リョウが感慨深く天井を見つめて呟いた。上の階から漏れ聞こえる音楽と、時折聞こえてくる足音たち。まだ数える程度しかこの家には来たことがないけれど、今まで上の階から物音なんてひとつも聞いたことが無かった。今日は珍しく騒がしいので、どうしたんだろう。と崇人も丁度思っていたところだった。   「この部屋に住んで4年になるけど、上の階に住んでる人さ、年末だけは必ずパーティー?みたいなのするんだよね」   「ああ、それで賑やかな音が聞こえるんだ」   「普段は静かにしてるし、俺もあんまり家に居ないから特に気にしてないんだけど。まぁ、居ても疲れて寝てるしな」    崇人は話を聞きながら、細かい事を気にしないのは何だかリョウっぽいなと思った。   「だから上の人が騒ぎ出すと、ああ。今年も一年が終わったんだなって感じるんだ。これが年末の合図っていうか」   ぷっ。と思わず崇人は箸を握りしめたまま吹き出してしまった。   「あはは。そんな大晦日の感じ方、初めて聞いたよ。上の人、下の階がリョウで良かったね」   楽しそうに笑う崇人を見て、リョウも一緒につられて笑った。   「うん。だから、今思ったけど騒がしいのは好都合だよな。俺たちだって、これからうるさくしても何も言われないし、遠慮することないなって」   「えっ!・・・あ、う、うん。そ、そうだね・・・あ、うん」    突然の言葉にびっくりして、崇人はしどろもどろになって答えた。リョウって、前触れもなく急に直球を投げてくる。これからうるさくって、こんな深夜にやる事はどう考えてもひとつしか無い。そんなのもう、絶対『する』じゃないか。僕だって勿論そのつもりで来てるけど、こうもサラッと口にされると大きく動揺してしまう。  照れて顔を火照らせる崇人の頬を、リョウは手を伸ばして指先でそっと撫でた。隣に座る崇人の顔を伺うように首を傾げて覗き込むと「お腹いっぱいになった?」と、優しく聞いた。コクコクと頷くので精一杯だった。リョウは自分で思ってる以上に、自分の顔の良さと纏う色気がとんでない破壊力を持っていることに気づいていない。その顔で、その瞳で急に見つめられると、全てを丸裸にされて心臓を鷲掴みにされた気がしてならない。  スラリと長くて綺麗な指。その手が僕の肩に触れて、彼の側までぐいっと抱き寄せられた。唇が近付いて、キスをする。でも、リョウは触れる前に必ず一瞬、躊躇する。それは、遠慮しているようにも、試されているようにも感じてしまう。クリスマスイヴの夜にした、理性が飛ぶような激しく貪るキスは、無い。あの夜以来、何度かキスをしているけれど、いつもこんな感じで僕の様子を気にしている。  きっと、本気になられたら困るんだ。脳天が痺れるような深い情熱的なキスでもされた日には、僕は直ぐに勘違いしてしまうだろうし、もう後戻りは出来なくなる。僕がリョウに必要以上にのめり込んでしまわぬよう、彼の中で探りながら歯止めをかけているのかもしれない。  リョウといると、好きが溢れてやまない。今だって彼の横顔を見つめるだけで、幸せで嬉しくて、そしてとんでもなく胸が苦しい。思いは一方通行だと分かってる。こうして会ってくれているわけだから、僕のことを少なからず好意的には思ってくれてると思うけど、気持ちの比率が圧倒的に違う事実を、こうしたふとした瞬間にどうしても感じてしまう。その度に僕は勝手に小さく傷ついて、彼が離れていかないように自分の想いに慌ててセーブをかける。  重いのも、しつこいのもダメだ。すぐに答えを求めるのも良くない。彼と一緒に居たいのならば、負担になるような事はしちゃだめだ。都合の良い存在でいい。何度もそう自分に言い聞かせる。彼を繋ぎ止められるなら、『リョウが好む崇人』で居ることを喜んで演じるよ――    僕はそっとリョウの背中に腕を回して、無造作に束ねられた髪からヘアゴムを解いた。ぱらりと落ちてきた毛先が、唇を合わせる崇人の頬に触れてこそばゆい。つい、ピクリと反応してしまう。リョウはそっと唇を離すと、目の前で邪魔な髪の毛を掻き上げて見せた。その仕草が息を呑むほどに色っぽくて、思わず心臓が止まりそうなほど緊張してしまった。    早く、したい――はやる気持ちを抑えながら、崇人はリョウの手を重ねるようにしてギュッと握りしめた。事あるごとに彼の表情をチラチラ盗み見しているくせに、いざ視線が合うとまともに彼の目を見れない。僕の気持ちを伝える手段として、今は手を握るのが精一杯だ。  手を握り返しながら、リョウは崇人の首筋に頭をもたれさせた。瞳を閉じて、おでこと瞼をぴたりとくっつけた。触れる部分がトクントクンと脈打って、温かい。   「崇人って、気持ちいい・・・」    満足そうな顔をしながら寄り添うリョウは、何だか可愛い。さっきまではあんなにクールでセクシーな雰囲気を漂わせていたのに、一瞬でこんな事も出来ちゃうんだ。 チラッと時計に目をやると、あと数十秒で0時だった。   「リョウ、ありがとう。来年もよろしくね」    崇人が呟く。「うん。俺も」とリョウも短く返事をした。上の階が、楽しそうにカウントダウンを始める。その騒めきを聞きながら、二人はぴったり寄り添って新しい年を迎えた。  

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