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第21話 それぞれの新年
「なぁに〜?ニヤニヤしちゃって気色悪い」
フゥがカウンター越しにリョウをじっと観察しながら探ってきた。
「ニヤニヤなんてしてないだろ。・・・いや、してんのかな?」
言われた言葉に反論しながらも、やっぱりそうかも知れない。とリョウは思い直して首を傾げた。最近の自分は妙に浮ついた気分でいると自覚してる。崇人から連絡が来ると思わず顔が綻んでしまうのを隠せないぐらいだ。感情が表に出る様になるなんて、驚きを通り越して自分自身に感心してしまう。
「崇人くんの事、考えてたんでしょ〜?あれから上手くいってんのね、アンタたち。良かったわぁ〜♡で、どうなのよ?」
「どうなのよって、何だよ」
「どうなのが何って、逆に何よ」
「いや、だから俺たちが『何』だよ」
フゥの聞いてくる事がまるで分からない。といった表情を浮かべて聞き返す。そのやり取りに、フゥは大きなため息をついて頭を抱えた。
「出たわぁ・・・アンタのその鈍感淡白。やだやだ。その様子じゃ、まだ崇人くんと付き合ってないのねぇ」
「・・・大体一緒に居るよ。崇人とは。しょっちゅう会ってるし」
「アンタねぇ、しょっちゅう会ってるから恋人って訳じゃないのよ!やることだけやってたら、そりゃただのセフレじゃないの!」
全く分かっていないリョウに苛立ちながら、フゥは説教を始めた。
「好きだよ。普通に。多分、崇人も俺のこと好きだと思うけど。それじゃ駄目な理由ってなんだよ」
「アンタの事だから今言った言葉を直接、崇人くんへ伝えてないでしょ。あんな可愛くて性格良い子、すーぐ誰かに取られちゃうわよ?リョウはいつも言葉が足りなくて勘違いされやすいんだからさ、好きなら早く気持ちを伝えて正式なカップルになっちゃいなさいよ」
プリプリ怒りながらチーズをカットして、ドライフルーツを添えた皿をリョウの目の前に置いた。
「好きって・・・どう言えばいいわけ?」
「なぁに〜。甘酸っぱい事聞いてくるじゃないの!」
そういう話がしたかったのよ。と言わんばかりに、フゥは急にテンションが上がり出した。
「さ、アンタに頼まれてたお待ちかねのジョージア産のオレンジワインが届いたから、開けながらじっくり崇人くん対策しましょ♡」
「おー!やっと来たんだ。ありがとな、早速試飲してみようぜ」
正月三が日の今夜は、フゥの店を開けて二人で新年会だ。俺たちには特に帰省すべき場所が無いから、毎年こうして二人で呑んでいる。別に寂しくてそうしている訳じゃない。三年前までは都築さんの家で一緒に正月を過ごしていたから、その名残と言ったら名残なのかも知れないけれど。
俺は正月も普通に仕事があるし、フゥだって帰ろうと思えば実家は23区内なのだからすぐに帰ることは出来る。でも俺たちはそれぞれ家族に遠慮しているところがあるし、そもそも俺に関しては何年も音信不通の状態だ。だから、こうして二人でいた方が気楽でもある。
「あとこの柚子のドライフルーツ、アタシが作ったの。味見して良かったら武井に持ってって渡してくれない?この前ね、偶然に伊勢丹で会っちゃったのよ〜。で、また作ってくれってお願いされてねぇ」
鮮やかな黄色をしたピール状の柚子をひと摘みしてリョウは口に入れた。
「美味しいよ。武井さんの奥さん、妊娠中だからかな。酸味があるものをやたら食べたがるってそういえば言ってたな。後で包んでよ。渡しとく」
「それにしても、あいつが父親になるなんて。本当、大丈夫かしらねぇ」
チャランポランな武井の顔を思い出しながら、フゥはやれやれと肩をすくめてそう言った。
武井さんとフゥは一時期、同じ店で働いていたことがある。当時はいわゆる犬猿の仲だったけれど、今はお互い腐れ縁みたいになっていて面白い。武井さんの奥さんはフードライターでフゥの料理の大ファンでもあるのだ。
「そういえば崇人くんは今どうしてるの?帰省してるのかしら?」
「あぁ。何か、正月の三が日には実家に挨拶に帰らなくちゃならないとかで、昨日うちから帰ってったよ」
「ま♡元旦から一緒だったのね」
「明日も会うからさ、夜にでも一緒に飯食いに来るよ。お前は?アレックスさんは?」
「今日一緒にどう?って誘ってみたんだけどね。アレックスは連日続いた仕事絡みのパーティーで気張って疲れてるみたい。大人しく家で休んで寝てるって」
「ふーん」とリョウは気のない返事をしてみせた。実際、初めて病院で会ってからアレックスとはこの店で何度も顔を合わせているし、話もしているけれど、彼に対してどうしてもきな臭さが抜けないのは確かだ。完璧すぎるのが逆に怪しい。恋愛モードに入ると、フゥは何も見えなくなって突っ走る事が多いから、変なことにならない様に実はこっそり注視している。彼を否定する訳じゃないけれど、実際、素性もよく分からないのは確かだし、この違和感の正体が判明するまでは気を許すことは出来ないとリョウは密かに思っていた。
***
実家の玄関先で、崇人は立ち尽くしたまま中に入れずにいた。早く入らないと近所の人たちから不審がられてしまう。でも、どうにも足が動かない。玄関のドアに鍵を差し込む手すら伸ばせない。ただ、純粋に家族に会うのが怖くて怖くて仕方がない。今日こそ皆に僕の正体がバレて非難され、『お前は家族の恥だ』と言われてしまうのではないかと嫌な想像で頭の中は埋め尽くされる。
最後に会ったのも去年の正月だ。正月だけは、無理矢理にでも顔を見せに来なければならない。社会人になって家を出る時に、普段は話かけてこない父が珍しくそう言ってきたからだ。実家の外観を見ていると、母の探るような視線を浴びていた日々を否が応でも思い出してしまう。またあれに耐えなければならないと思うとゾッとした。
そうこうしている内に、ガチャリと突然扉が開いた。ちょうど父が出てくる所で、目の前に立っている崇人を見て驚いた。「おかえり」そう言ってくれた父は、いつも通りの調子だった。
「ただいま・・・」
相当ぎこちなかったと思う。まるで他人の家へ訪問しにやって来た様だった。緊張しながら中へ入ると、家の中は何ひとつ変わっていなくて、相変わらず家を出た時のままだった。普通ならそれが安心するのだろうけど、僕にとっては変わっていないことが、これからも母は『変わらない』という事を暗に示しているようで不安な気持ちが湧き上がってきて仕方がない。帰って来て早々、居心地の悪さに胸がざわついて緊張が走る。
「おかえりなさい」
母が台所の方から出迎えに来た。父の手前、何とか平常心を装って極力普通の態度を心掛けるように努めた。
「貴方、少し痩せたんじゃない?ちゃんと食べてるの?大丈夫なの?」
心配そうに崇人を見つめた。こうして別の話題にかこつけて、息子の様子を探りながら全身隈なくチェックしているのを、僕は知っている。何か少しでも母の中で違和感を感じれば、僕を矯正しようと、また変な行動を起こすかもしれない。早くその視線から逃げたくて、崇人は無理に別の話題を探した。
「僕は元気だよ。――そういえば、友莉は?」
妹がいないことに気づく。
「お友達と初詣ですって。夕飯までには帰るって言ってたから心配しなくても会えるわよ。今日は泊まっていくんでしょう」
――いや、帰ります。
そうあっさり言えたらどんなにいいか。
ここでそんな事を口にすれば、母はまた「なぜなの?」と、しつこく食ってかかってくるだろうから、素直に頷くだけにする。
リビングに居るのは気まず過ぎて、早々に両親との会話を切り上げると自分の部屋へ向かった。ドアを開けると、何も変わらない、家を出たその日のままだ。時々、掃除や換気をしてくれているのだろう。母のこういう気遣いを有難いと思ってしまうから、僕は母に対して完全に決別を出来ないでいるのだ。
荷物を置いて、ベッドに腰掛けて一息ついた。まだ帰ってきたばかりなのに、もう疲れてるなんて。ため息をついて項垂れてから頭を上げると、本棚が目に入った。そっと立ち上がって置いて来た本を眺めながら、指で背表紙をなぞった。ピタリと指先が止まる。
中学の卒業アルバム。一度も開いていないアルバム。何度も何度も捨てようと決心して、その度に思い留まる。いつになったら僕はこのアルバムを開いて、『彼』の顔を直視する事が出来るのだろうか。今はまだ無理そうだけれど、でも、何だか悪くない気分だ。このアルバムを見ても心がブラウン管の砂嵐のように騒ついたりはしない。
きっと、それはリョウのおかげだ。リョウと一緒にいるから、僕は自分に感じる劣等感や絶望が薄れて平常心を保っていられる。遠く耳に残るあの夏の蝉の鳴き声をふと思い出して、僕は少しだけ焦燥感に浸った。
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