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第23話 雑踏の余波

 「崇人!」    名前を呼ばれた気がして、カフェのガラス張りの窓を見上げると、リョウが手を上げて合図しながらこちらへ向かって歩いて来ていた。崇人はカウンターの椅子から立ち上がると、急いでコートを羽織って店を出た。   「リョウ、お疲れ様」   「お待たせ。すごい腹減った」   「お昼は?何も食べてないの?」   「今日忙しくてあんまりちゃんと休憩取れなかった。早くフゥに飯作ってもらおうぜ」    たわいもない会話をしながら、肩を並べて靖国通りを歩く。僕らは一緒にいるのが当たり前のように慣れた様子で歩調を合わせる。時折、向かい側から歩いてくる女の子たちが、リョウに視線を向けて凝視する。  ハーフアップにした髪型が、彼の輪郭や顔の造形の良さをより際立たせているし、無地の白いロンTに黒いパンツ。黒いダウンジャケットを羽織っただけのシンプルなモノトーンコーデで堂々と闊歩している彼は、ランウェイを歩くモデルを彷彿とさせる圧倒的な存在感を漂わせていた。  『ずるいよな』崇人は、ついついそう思わずにはいられない。そりゃ、皆見るよ。リョウ、かっこよすぎるもん。一気に視線が集まっても本人は全く動じないし、気にもかけない。そんな彼の隣に居る優越感や幸せ。それに嫉妬や不安、色んな感情が入り混じった気持ちが降っては湧いてくる。    (僕じゃ不釣り合いだって事ぐらいは分かっているけど・・・)    複雑な気持ちを燻らせたまま、僕はただ皆と同じように遠い存在に感じるリョウの横顔を見つめて歩いた。  新しい年を迎えての三が日最終日、街はいつも通りの調子を取り戻して動き始めていた。混雑する人の群れの中で信号待ちをしていると、雑踏を掻き分けながら見覚えのある顔が道路を隔てて横切って行った。   「遠藤さん?」    崇人は目を凝らしてその姿を追う。お菓子のパッケージが覗くビニール袋をぶら下げて、遠藤眞は軽快に歌舞伎町の方へ向かって小走りに歩いて行く。  嫌な予感がした。これから夜を迎えようとしている夕暮れ時の歓楽街に、高校生が一人で何の用事があるんだ。冬休みから続けて、彼女は一週間の停学処分を受けている。休みが終わる前から反省どころか更に問題を起こそうとするなんて。生徒指導室で向き合った時間は一体何だったんだ。   「リョウ、ごめん。うちの生徒を見つけたんだ。ちょっと、見過ごせない」    そう伝えて、先にフゥの店に行ってもらおうとしたけれど、リョウも一緒に眞の後を追うと言ってついて来てくれた。   「遠藤さん!」    区役所通り近くのバーやスナックがひしめく、とある雑居ビルのエレベーター前で、崇人は力強く背後から彼女を呼び止めた。眞はビクッと体を震わせて、素早く後ろを振り返った。   「本田先生・・・」    『ヤバい』彼女の表情が如実にそう物語っていた。   「君、このビルに何の用事があるの?この街は高校生が一人でうろうろして良い場所じゃない。それに、今は冬休みだけど、来週からは停学処分の身だろう。反省もせずこんな所に居たら、今度は本当に退学だよ!」    珍しく怒った顔をしながら、強い口調で説教をしてくる先生を見て驚いた眞は、バツが悪そうにして反論もせずただ下を向いた。   「さぁ、帰るよ。ご両親かお祖母様に電話できる?無理なら先生がするよ」   「・・・ゃだ」   「え?」   「嫌だ。帰らない!別に私、悪い事なんてしないし!キャバはもうやってないし、友達へ会いにカフェに行くだけだもん!」    泣きそうにも怒ってるようにも見えた。感情が昂って眞も声を荒げた。その時丁度、エレベーターが開いて、降りて来た数人の若い男たちがチラリとこちらを一瞥して様子を伺う。   「カフェって・・・こんな場所に?」    崇人は怪訝な顔を浮かべてビルに入るテナントの看板を見上げた。どういう媒体の店が入っているのか正直よく分からないけれど、5階にメンズコンセプトカフェを謳っている店の看板が目に入った。    (さっきエレベーターから出て来た男の子たちといい、間違いない。遠藤さんはこの店に通ってる)   「こんな場所だけど未成年入れるから違法じゃないし、怪しい店じゃないです。ドリンクはジュースだし・・・みんな普通に行ってるし」    眞は納得行かない気持ちで崇人へ歯向かって来た。   「正直、店のことはよくわからない。でも、例え未成年が入れるカフェだとしても歌舞伎町に一人で出入りしている事自体が問題なんだ」    真剣にことの重大さを伝えようとするが、何を言っても彼女には響かない。このまま行けば埒があかなくなりそうだ。だんまりを決め込む彼女に向かって、崇人は毅然とした態度で言った。   「君がご両親に連絡しないなら、僕からするよ」   「・・・したって、どうせ出ないから」   「それじゃあ、お祖母様へ電話させてもらう」    鞄の中から手帳を出して、眞を迎えに来てくれたときに彼女の叔母からもらった名刺を取り出した。本当に連絡されると悟った眞は咄嗟に崇人へ駆け寄り、腕を掴んで懇願した。   「分かりました。帰ります。だから、叔母さんやお祖母ちゃんには電話しないで。これ以上、迷惑はかけられないから・・・」    彼女の曇った瞳に、複雑な感情が見え隠れした。それと同時にがっかりして気落ちしていた。ふと顔を上げると、崇人の後ろでじっとこちらの様子を伺っているリョウの存在に気づく。眞は目を見開いてしばらくリョウを凝視した。そのまま何も言わず崇人の方へ視線を戻すと、友達に店へ行けない連絡だけさせて欲しいとお願いした。  スマホを取り出してタタタッとメッセージを素早く打つ。打ち終えると、崇人とリョウは駅まで眞を送って行った。改札でふと疑問に思ったことを彼女に投げかけてみた。   「遠藤さん。もしかしてお正月も家に独りなの?」   「・・・。でも『今日は』お祖母ちゃんの家に行きます」   「そう。気をつけてね。何度も言うけれど、冬休みも停学中も、こんな所をフラフラしては絶対だめだ。わかったね」    不本意ながらも眞はこくんと頷いた。再びリョウの方に視線を向けて、目玉をキョロキョロさせながら崇人と見比べた。何かを言いたげにしながらも、「さようなら」と一言だけ挨拶を口にすると、そのまま改札にICカードをかざした。 改札を通り抜けた彼女に向かって、崇人は声をかけた。   「冬休み中も僕は学校に出勤しているよ。何かあれば、すぐに学校へ連絡するんだ。独りで全てを抱え込んじゃ駄目だよ!」    遠藤さんはどこまで分かってくれるだろうか。彼女だって心の何処かで気づいているはずだ。このままでは取り返しのつかない所まで、どんどん落ちて行ってしまう事くらい。彼女は一瞬、立ち止まって崇人を見た。涙で瞳が潤んでいる様にも見えた。それから肩を落として、軽く会釈だけしてホームへ消え入るように歩いて行った。  崇人とリョウは彼女の姿が見えなくなるまで改札の外で見守っていた。本当に電車に乗ったのか正直、心配ではあるけれど今出来るのはここまでだ。崇人は隣に並ぶリョウの方へ振り向くと、申し訳なさそうに謝った。   「ごめんね。付き合わせちゃって。あの子、前にキャバクラでバイトしてたって話した問題抱えてる子なんだ。まさか今日、こんな所でばったり会うなんて」   「あの子、またあの店へ行くと思うよ」   「うん・・・僕もそんな気がしてる。根本的な問題を解決しない限り、駄目なんだ」    崇人は節目がちに険しい表情を見せた。彼女が置かれた状況を打破する事が出来ない自分が歯痒くてくやしくて、不甲斐ない。リョウは何を言うわけでもなく、崇人の顔をじっと見つめた。   「本田先生も大変だな」   「あっ、もう。やめてよ。先生って呼ぶの」    突然、何気なく『先生』と呼ばれて急に気恥ずかしくなってきた。リョウは眉尻を下げて、ははっ。と軽く笑う。    「とりあえず今日の所は解決したし、フゥのとこ早く行こうぜ。崇人さ、俺が腹減ってんの忘れてるだろ」    そうだった!リョウのお腹の具合をすっかり忘れていた。崇人は「ごめん、ごめん」と苦笑しながらリョウの腕を引っ張った。外は陽が落ちかけて、墨色をした夜の帳が空を覆い始めていた。    ***   「チッ」    開店前の店のカウンターに座って、廉がスマホを見ながら渋い顔をして舌打ちをした。   「廉〜、どしたの。何あったの?」   「あ、遊羽人さん!お疲れ様です!」    眞のメッセージにイラついていて、遊羽人が店に入って来ていた事に全く気づかなかった。いつもなら、このどぎついピンク色の髪の毛がすぐ視界に飛び込んでくるのに。   「いや、今日30万のシャンパン開けてくれるって子がいたんすけど、何か来れなくなったみたいで」   「へぇ・・・まさか他店とか行ってないよね?お前ちゃんと女の子管理できてる〜?ねぇ。こっちでもまた『やらかす』ようなら・・・わかってるよねぇ?」    遊羽人は目をカッ開いて、蛇のように冷たくねっとり絡みつくように廉の肩を抱いて耳打ちした。ゾクッと背筋に悪寒が走る。   「あ、大丈夫っす・・・。この子JKなんすけど、何か親からネグレクトされてるみたいなんですよね。でも金だけは定期で結構渡されてるみたいなんで、貰えたタイミングで今回分と合わせてまた来るように言っときます」   「その子さぁ、違法でキャバやらせてた子?」   「そうです。何かそれも学校にバレたらしいんすけど、すげぇお嬢様学校だから騒ぎにしたくないらしくて。結局何も問題にならなかったみたいなんで、まぁ、また頃合い見てバースデーとかイベントの時にやらせますよ。貢ぐ体質っぽいから強く押したら、今度はパパ活か立ちんぼもできそうっすけどね」    メンズコンセプトカフェで人気トップに君臨する廉は、金への執着が人一倍強い。元々は系列のホストクラブでナンバーを張っていたが、お客から直接金を受け取る、いわゆる『裏引き』を常習していたのがばれて退店に追い込まれていた。  けれど、ビジュアルが群を抜いて良かったのでこのまま失くすのは惜しいと、コンカフェ新店が軌道に乗るまでのあくまで最初の宣伝用として入店させていた。短期間ヘルプという形で罪滅ぼしも兼ねていたので、暫くすれば除籍させるはずだったが、結局なんだかんだで店を取り仕切り、キャスト達の中でも顧客に金を落とさせる額が桁違いの店の看板キャストになっていた。  ただ、接客方法が際どい。ホスト時代も姫に無理をさせると有名だっただけに、コンカフェでもルール無視の独自のスタイルだ。売り上げ至上主義。それに尽きる。 本当ならクビ対象だが、廉の営業スタイルに関して遊羽人は目をつぶっている。この男が大人しく金を生み出し続けている限りは、優遇されるのだろう。   「学校にバレても余裕だなんてその子、度胸あんじゃん。今度、俺も会ってみたいなぁ」    遊羽人は目を細めて胡散臭く微笑んだ。こういう表情を見せる時の彼は、いつも『使える捨て駒』が見つかった時だ。金蔓を逃すなとでも暗に言いたいのだろう。   「白桜女子学院ってすげぇ金持ちのお嬢しか入れない学校らしいですよ。こいつの親が学校に多額の寄付してるみたいなんでやりたい放題出来るみたいな事言ってましたけど。実家は太そうっすから、後はどう引っ張り出すかって感じですけどね」   白桜女子学院・・・?   遊羽人は学校名を聞いて一瞬だけ考え込むような素振りを見せた。それからニヤっと口元を緩ませると、何かを思い出したらしい。   「へぇ・・・良い事聞いた」    さも楽しげにニタニタと笑い出した。珍しくご機嫌になったのが、一目で分かった。   「早く来週にならないかな。楽しみすぎるなぁ」    廉に聞こえるかどうかギリギリの小声で独り言を呟くと、来たばかりの店をフラフラと抜けて、これから目覚めて動きだす日の暮れた歌舞伎町のどこかへと消えていってしまった。

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