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第25話 交わらない僕と君

 SNSで送ったメッセージを何度もスクロールしては、更新してみる。リョウは渋い顔をしながらスマホと睨めっこしていた。けれど、何度試しても崇人へのメッセージに既読の表示が付く事はなかった――    今日は土曜日にも関わらず珍しく一日オフの日だ。崇人とフゥの店で昼食を取ってから映画を見に行こうと約束していた。部屋に置く観葉植物も一緒に選びに行きたいと考えていて、珍しく丸一日を二人で過ごせると浮き足立っていた。  出かける支度をしている時に、崇人から「急用が入ったので遅れる」とメッセージが来た。いつもと違う、だいぶ素っ気ない雰囲気だったので、リョウは少しだけ違和感を感じた。だけれども、新学期も始まったし、あいつ忙しいもんな。と大して気にもせず、フゥの店でのんびり時間を潰して待つことにした。  どんなに待っても、崇人は一向に現れない。――かれこれ6時間は過ぎている。  これはもう、遅れるとかそういった次元じゃ無い。崇人に何かあったはずだとリョウは確信して、落ち着かない様子でソワソワしだした。   「ねぇ。そんなに心配なら家に行ってみたら良いんじゃないの?だって電話も出ないんでしょ?」   「家?そういや、知らないな。崇人がどこに住んでるのか」   「え!嘘でしょ?彼がどこに住んでるかも知らない訳?アンタ達って本当、謎だわぁ・・・」    フゥが少し引いた表情を見せながら、呆れた様に言った。   「えーっと、確か池袋から何駅か過ぎたとこだとか言ってた気するな。あ、でも何線だっけ。わかんねぇな・・・」    リョウは眉を寄せて思案した。フゥは「信じられない」とげんなりした様子でリョウを一瞥した。   「そういう細かいところは本当に無頓着よね、アンタ」 「・・・今度聞いとくよ」    崇人に関する情報力の無さに、思わずリョウは萎縮した。自分の家で過ごす事が当たり前のようになってきて、彼の自宅の事など気にもかけていなかった。考えてみれば、俺は崇人の日常を殆ど知らない。知ってることと言えば、職業と妹がいる事。それに、ゲイである事を周りにカミングアウトしていない事くらいだ。フゥは店の時計に目をやってからカウンターに頬杖をついた。   「もう夕方の4時よ。これじゃアンタ、今日はアタシの店にバイトしに来たみたいじゃない。ランチ手伝ってくれて助かったけどさ」   「確かにこれ以上ここに居てもどうにもならないな。一旦、家帰るわ。もし崇人が来たら家にいるって伝えて」   「分かったわ。アンタ達――」    フゥが言いかけたその瞬間、店のドアが開いた。崇人がゆっくり扉を押して、気まずそうに店内へ入ってきた。  リョウは座っていたスツールを回して振り向くと、ハッとした。   「崇人・・・お前、大丈夫か?」    崇人は真っ青な顔色をして、今にも倒れそうな程にやつれていた。ほんの数日会わなかっただけなのに覇気が無く、まるで別人の様な雰囲気を醸し出していた。   「・・・リョウ。ごめん。今日の予定、台無しにしちゃった。本当、ごめん・・・」    俯いて翳った表情。曇った瞳。消え入りそうな声で謝ってきた。   「いや、それは別に・・・。それよりどうしたんだよ。何かあったのか?」   「ちょっと色々あって・・・。でも、リョウに迷惑かける様な事はないから」   「顔色が悪過ぎるだろ。体調悪いんじゃないのか?」    視線を一向に合わせない崇人に、リョウは不安を覚えて間髪入れず質問攻めにする。   「・・・大丈夫だよ。リョウが心配する事なんて何ひとつないよ。気にしないで。でも、今日はごめん。どうしても外せない用事があって・・・」    何にも無い訳が無い。こんなに辛く苦しそうな表情をしておいて、ひた隠すのは一体何なんだ。俺に言えない事って何だよ。  急に一線を色濃く引かれた様な気がして、リョウは妙な胸騒ぎと苛立ちを感じながら崇人の目をじっと見つめた。何て声をかけたら良いのか分からない。話そうとしても言葉に詰まる。  微妙な空気の中、押し黙る二人を目の前にしてフゥはハラハラしだした。   「ま、まぁまぁ。とりあえず二人とも一旦座ったら?何か温かいものでも飲んだら落ちつくはずよ」    そう言うと、急いでエスプレッソマシーンでコーヒーを落とし始めた。崇人はフゥに言われた通り、スツールを引いてカウンターに座った。リョウも無言のまま隣に座る。   「問題無いなら、無理には聞かない。でも、大丈夫だって言う割にはそんな風には見えない」    ジッと崇人の横顔を見つめながら、リョウは納得がいかない顔をしていた。   「そりゃ、そうだよね。リョウがそう思うの、当然だよ。でも、これは僕自身の問題でリョウを巻き込むつもりは微塵も無くて・・・」 「だから、さっきから何で俺は関係ないって突き放すんだよ!」    思わず感情が昂って、語気を強めて崇人の話を遮った。  俺は、何があったのか話すら聞かせて貰えないのか?俺は崇人にとって、それほど信用に値しない奴なのか?  それまで信じていた二人の関係が急に希薄に感じられた。仲良く手を繋いでいたはずなのに、一方的に振り払われて置いて行かれる。そんな疎外感が一気にリョウの胸の内を占めた。   「ち、ちがっ!そんなつもりじゃ・・・」    珍しく感情を露わにした彼に驚いて、崇人は隣に座るリョウの顔を見上げると、やっと視線を合わせた。   「おう。入るぞー」    突然、店の扉が開いて、武井がぬっと顔を出した。並んで座るリョウと崇人の姿を見て、一瞬ハタと立ち止まった。それから変に緊迫している張り詰めた空気を察知して、武井が顔を顰めて気まずそうに聞いた。   「・・・出直した方がいいか?」    一瞬の間を置いてから、フゥが手招きして武井を中へ入る様に呼び寄せた。気まずさを打破する助け舟が来た!とばかりに急かす。   「武井さん、どうしたんです?」    リョウも何事も無かったかの様な素振りを見せて、いつも通りに振る舞った。   「都築へ嫁からの御礼届けにきた。柚子のやつ、すげぇ美味かったみたいでバクバク食ってたぞ。食欲なかったから助かったよ。ありがとな」    そう言って、フゥにでかい紙袋を手渡した。中にはおしゃれで肌触りが良い、有名なブランドのバスローブが入っていた。   「きゃあ!これ、欲しかったやつよ!前に話したのを、やよちゃん覚えててくれたのね♡」    ルンルンで中身を取り出して身体に合わせる。「お前の体型でそれ入んのかよ?」と、フゥの様子を見てすかさず武井が軽口を叩く。その発言に「五月蝿いわね!」ときつく睨んで一蹴すると、「何か飲んでいきなさいよ」と崇人の隣の席を勧めた。   「酒飲みたいとこだけど、これから出勤だからよ。あったかい紅茶頼むわ。――で、君さ、えらいイケメンだね?」    崇人の方へ振り向くと、馴れ馴れしく肩に手をぽんと置いて話し始めた。武井があまりにも自然に距離を詰めてくるものだから、崇人も思わず「あ、ありがとう・・・ございます・・・」と驚きながらもすんなりと返事が口から出た。   「良次郎とはまた違うタイプのイケメンじゃないの。こいつはいつもスカしてて可愛くねぇけど、君は愛嬌あるね。で、二人はどういう知り合い?友達?」    「こいつ」とリョウの方を指差しながら皮肉ると、ニコニコと微笑みを投げかけながら武井は気さくに話しかけてくる。青ざめて元気の無い崇人の様子など一向にお構いなしだ。   「・・・『友達』ですよ。変に絡むのやめて下さいよ」    ずけずけと入り込んでくる姿勢に、リョウは少しムッとしながらカウンターに身を乗り出して制止した。 崇人はゲイバレに慎重だ。正直、『友達』という言葉を彼に対して使うのは気が引けるところだけれど、俺の発言で武井さんに勘づかれて、変に詮索されても困る。   「まじか!お前の口から『友達』なんて言葉初めて聞いたな。せっかくなんだから話くらいさせろよ。こいつの周りの人間なんて、デブの都築とどっかから湧いて出てくる綺麗な女の子たちぐらいしか知らないんだから俺は」    崇人のこめかみがピクリと動いて反応した。   「あ、俺は武井ね。こいつの職場の先輩なんだけど――」    武井がペラペラと隣で何かを話しているが、崇人の頭には全く内容が入ってこない。物音がぼんやり聴こえてくる程度で、耳が話を聴くのを拒否してる。    リョウの口から発せられた『友達』の単語  何気なく武井が言った『女の子たち』の意味    両方の言葉が一気に崇人へ突き刺さって、胸を抉ってくる。薄々感じていた疑惑が確信に変わる。  やっぱり、リョウはゲイじゃない――  完全にゲイの僕とは違う。僕とセックス出来ているのだから、バイなのかもしれない。それとも、興味本位で男を抱いているだけで本当はストレートの可能性だってありうる。  だって、現にこうして僕のことを『友達』だって目の前ではっきりと口にされた。わかってた。わかっていたよ、僕とリョウの気持ちの大きさは違うって。『恋人』とはっきりこの人へ言って欲しかった訳じゃない。でも、そんなに焦りながら『友達』だと強調して伝えなくても良いじゃないか。そんな言葉を本人から今ここで、直接聞きたくなかった。   リョウにとって僕は、僕の存在は――    急にずんっと心が鉛のように重くなり、目の前が真っ白になった。ずっと確かめるのを避けていた、考えたくもなかった胸の奥底に隠した「不安」の答えが、思いもよらないタイミングで突然降りかかって来た。ただでさえグチャグチャな心理状態な今の僕に、追い打ちをかける様な仕打ち。崇人はいよいよその場に耐え切れなくなって、急に立ち上がると、何も言わずに店を飛び出した。   「崇人!」    出て行く瞬間、リョウが名前を叫んだ。急いでスツールから立ち上がると、脇目も振らずに彼の跡を追って出て行ってしまった。突然の展開に武井とフゥは一瞬何が起こったのか分からず、固まってしまった。それから武井は気まずそうな顔をしながら恐る恐るフゥに向かって聞いた。   「もしかして俺、何かヤベェ事言った?」   「・・・『ヤベェ事』になったのは間違いないわね」    フゥは呆れた様子でカウンターに片手をつきながら横目でジロリと武井を見た。   「これ以上、抉れないと良いけど」    すっかり日の暮れた窓の外を見ながら、今の今まですれ違ったままの二人の姿を思い出して、フゥは心配そうに呟いた。                            

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