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第31話 対峙

 la table Fの看板の灯りが消えると、フゥはホッと一息をついた。   「今日も賑やかだったね。それにしてもレンレンは無事に帰り着いたかな。だいぶ酔ってたみたいだけど」    アレックスはカウンターの端に広げたPCを閉じると、グラスホルダーに吊るされたワイングラスを2脚取りながら、フゥに話しかけた。   「ワイン3本も空けちゃって。調子良い時と悪い時がはっきりしてるわよね、あの子。まぁ、寄り道してなきゃ徒歩圏内だし、大丈夫でしょ」   「そう願うよ。でも人はハッピーな時こそ注意が必要なんだ」    気にもかけず素っ気ないフゥに向かって、アレックスは肩をすくめてそう言った。急にいつもと様子が違って用心深い事を言い出すものだから、フゥは心の中で「そうかしら」と思いつつも、小さな引っかかりを感じた。  レンレンはフゥのLGBT仲間でオカマのショーパブで働く、いわゆるドラァグ・クイーンだ。豊胸手術こそしているものの、下半身はまだ男のまま。早く手術を進めて完全に身も心も女になりたがっているので、資金稼ぎに余念がない。そのため無理な過重労働によってストレスが溜まり、突拍子もない問題行動をしばしば起こすので、周りからはトラブルメーカー扱いされていたりもする。  誰かに話したい事や良い事があると、その度にフゥの店にやって来る。値の張るワインを頼んで食事をしながら、周りの客たちも巻き込んでドンチャン騒ぎになるのが常なのだ。今日も閉店時間を1時間以上もオーバーして盛り上がったあげく、かなりの量を飲酒していた。   「そうねぇ。良い事と悪い事は代わり代わりに来るものね。あの子が千鳥足でふらついて転んで骨折ってたりとか・・・していない事を祈るわ」    頭の中でレンレンが何となくしでかしそうな失敗のイメージが流れて、フゥは唇をへの字にしながら言った。それから、ふと一昨日のリョウと崇人の事が頭に浮かんだ。  結局あれからどうなったのか気になる所ではあるわね。まぁでも、その内ひょっこり二人で仲良く店に来てくれるでしょ。リョウの事だから上手く感情表現出来てないだろうけど、誤解だけは生じて無いと良いわね。フゥはそんな風に楽観的に考えながら、アレックスが注いでくれたワインで乾杯した。  土曜の夜はアレックスがカウンターの片隅で仕事をしながら、お客様へドリンクや食事をサーブしてお店を手伝ってくれるようになった。常連にも受け入れられているし、彼目当てで英語でおしゃべりがしたいからとやって来る客もいる。みっちは未成年の妹と二人暮らしなのもあって、なるべく土曜日の夜は入らせず、夕方までのシフトにしている。  そういう訳もあって、アレックスが手伝ってくれるのはすごくありがたい。お手伝い分の給料を出してあげられない事が本当に申し訳なくて心苦しいけれど、なんだか二人で築き上げている夫婦のお店みたいな感じになってきたんじゃない?と思えて、フゥは何気にこの状況を微笑ましく思っていた。  照明が落ちた店の暗い扉をノックする音が聞こえて、談笑していたフゥとアレックスは入り口の方を振り返った。  扉の外にある窓ガラスから見慣れた顔が見える。リョウと崇人が手を繋いで立っていた。リョウが中に入っても良いかジェスチャーで合図するので、フゥは手招きして二人を店内へ入る様に促した。   「閉店してるのに悪いな。ちょっと話いいかな?」    リョウは珍しく真剣な面持ちだった。    (この子のこんな顔を最後に見たのは、まだ叔父さんが生きていた頃だったわね)    状況を察したフゥはカウンター席に二人を座らせた。一瞬の沈黙が流れた後、リョウは隣の崇人の方を向いて視線を合わせると、お互い黙って頷き合った。  「頼みがあって――」  リョウは単刀直入に話を切り出した。    ***   「貴方達の事情は分かったわ。出来る限り、アタシも協力させてもらう。でも、初めから警察に相談しなくて良いの?れっきとした犯罪よ、これ」    崇人の身に起こったutopiaでの一件について、リョウはフゥたちへ正直に説明した。  遊羽人からは今月中に300万を用意する様に言われている。勿論、払う気なんてない。話が通じる相手じゃない事は分かっている。でも、面と向かって、毅然とした態度でNOと意思表示する事が何よりも重要だ。 リョウと崇人はあれから何度も話合って、明日の日曜日、18時にutopiaへ出向く事に決めた。反社会的組織と関わっている可能性も否めないので、万が一何かあった時の事を考慮してフゥに協力を求めたのだった。   「危ない事をしようとしてるのは分かってる。でも、できれば日常生活に支障をきたさないように穏便済ませたい。だから俺たちだけで解決するのが望ましいんだ。こんな風に言ってはいるけど、もし21時を過ぎても俺たちから連絡がなかったら・・・さっき伝えた通り、迷わず警察へ連絡して欲しい」    Utopia側の状況が分からない今、無理矢理にでも拘束される可能性も視野に入れて行動しなければならない。 リョウも崇人も出来ればフゥ達を巻き込みたくないけれど、信用して依頼できるのは、実際フゥしか該当する人がいない。   「・・・申し訳ありません。フゥさん。僕が浅はかなばかりに、こんなご迷惑をかけて」    崇人は終始申し訳なさそうに項垂れていた。   「やだっ。謝らないで、崇人くん。それに、Utopiaの悪評は前々から聞いて知っていたしね。だからこそ、様子がおかしいと思ったら直ぐに逃げるのよ!」    いつも冷静なリョウが一緒だから大丈夫と信じてはいるけれど、もしもの事を考えてフゥは念を押した。  カウンターの隅で一緒に話を聞いていたアレックスは、押し黙ったまま固い表情で会話する3人を眺めていた。  その視線に気づいた崇人が彼の方へ視線を向けると、目が合った。いつも通りの口角がキュッと上がった欧米スタイルの笑顔を見せてくれる。  それがなぜか不思議ともの悲しく見えた。崇人は急にどうして良いか分からない気持ちになって、ぎこちなく口元を緩ませて微笑みを返すしかなかった。    ***  店に来る際は、事前に連絡するようにと伝えられた番号へ崇人は電話をかけた。日曜日は定休日だけれど店自体には誰かが必ず居るようで、遊羽人の名前を出せば本人へ繋いでくれたり、伝言してくれるという。少年のような若い声の店員が出て、夕方6時にそちらへ向かう旨を伝えてもらうように頼んだ。店員は慣れているようで、二つ返事で電話を切った。  もう後は、成るようにしかならない。リョウは仕事を早退して帰ってきてくれるという。迷惑をかけて申し訳ない気持ちと、一緒に来てくれる事がこんなにも心強く感じられることに感謝してもしきれない思いが混ざる。決意はしていたものの、独りで向かった所で、もしかしたら怯んでいたかもしれない。リョウと二人なら、きっと乗り越えられる。そう信じてる。  崇人は腕時計の時間を見た。秒針の進む音が心臓の鼓動と合わさって耳の奥に深く鳴り響く。ひと呼吸置いてから深く深呼吸をした。ゆっくり息を吸って、吐く。それから立ち上がって、崇人はリョウの家を後にした。  ***  Utopiaの店の前に着くと、遊羽人ともう一人、見知らぬ男が煙草を燻らしながら談笑していた。 やって来た二人に気づくと、遊羽人は取ってつけた様な笑顔を見せながら、こちらに向かって歩いて来た。   「あ、本田先生!・・・と、彼氏さんかな?久しぶりだね。会いたかったよ」    電子タバコを握りしめたまま、わざとらしく両手を広げて歓迎するような素振りをしてきた。一緒にいる男はこちらをじっと見つめながら、その場から動こうともせず黙ってそのまま煙草を吸い続けていた。  ふと、どこかで見たことがある様な気がした。  崇人の記憶の中に、この黒い影を纏った男の残像が頭をよぎる。  友好的に見せながらも、得体の知れない気味の悪い空気がその場を取り巻いた。崇人は何も言えないまま、その場で立ち尽くすしなかった。何て言って良いか分からない。どう切り出したら良いのか。 目の前にいる二人の男を黙って見ていた、隣に立つリョウが口を開いた。   「あんたが遊羽人って人?」 「そうだよぉ。ところで彼氏さん、めちゃくちゃイケメンだね。ゲイなの?それともバイ?うちの店で働いたらすっごい人気出そうだよ」    リョウの醸し出すピリついた空気に全く臆する事なく、遊羽人は茶化して話かけてきた。リョウは相手の言葉を無視して話を続けた。   「単刀直入に言うけど、崇人から手を引いてもらう為に今日は話し合いに来た」 「話し合い?・・・って、何を? 話すも何も、本田先生とはもう約束しちゃってるんだけど」   ニコニコと気味悪く微笑み続ける遊羽人の様子に、崇人は得体の知れない恐怖を感じて体全体が萎縮した。冷や汗が次から次へと流れて止まらなかった。 リョウは食い下がる事なく、真っ向から対峙して行く。   「300万は払わない。そんな責任は無いはずだ。そもそも動画なんて撮っていないだろう。あんたがやってることは紛れもなく恐喝だ。今すぐに警察に通報して、この場に呼び出す事だって出来る」   「ふーん。警察ねぇ」    片眉を吊り上げて、遊羽人は鼻で笑った。   「そう言えばビビるとでも思ってんのアンタ?こっちはガキの遊びやってんじゃねぇんだ。それに警察が介入して困るのはそちらでしょ。有名お嬢様学校のゲイ教師のエリート転落破滅ストーリーなんて、週刊誌の格好の餌食だよ?」   それを聞いた崇人の顔色は、ますます青ざめて血の気が引いた。この男はどこまでも追い詰めてくる。   「あんたの妄想を週刊誌に売るのは勝手だけどさ。そもそも証拠が無いんだ。何も出来やしないくせに、大口叩いて吠えてんのはそっちだろ」    リョウはギロリと鋭い睨みを利かせて言った。遊羽人はパンツの後ろポケットからスマホを取り出すと、何度もスクロールしながら何かを探し始めた。   「あったあった。これだ♡」    自信満々に遊羽人はスマホ画面の内容を読み出した。   「10月23日。アイスティー2杯、支払金額3800円。10月25日。コーラ1杯、ビール5杯、支払金額2万6800円。10月30日。アイスティー1杯、ワイン1本、シャンパン1本、支払金額20万2600円。11月2日。蓮バースデーイベント、シャンパンタワー2基、支払金額60万円――」    つらつらと間髪入れずに読み上げる。   「最近のJKって凄いよね。このお会計明細、凄くない?羽振りが良すぎるよねぇ、お宅の生徒ちゃん。でもさぁ、あーあ。未成年なのにお酒代まで支払ってるよ。ご丁寧にイベントの写真まで綺麗に残しちゃって。これ、どーすんの?本田先生」    呆れたような顔を崇人へ向けて、遊羽人は語気を強めた。  ――惨めだった。生徒と自分、それぞれの弱みを握られ、好き勝手に結びつけられて弄ばれ、彼は僕に対してある筈のないカードをどんどん切って増やしてゆく。  リョウは僕のために目の前で必死になって奮闘してくれている。 でも、もう手遅れだったのかもしれない。始まる前から決着はついてしまっていたのではないか。蛇の様に狡猾でしたたかな、得体の知れないこの男に、僕は勝てるわけがない。戦意が喪失しかけた崇人は、もはや二人のやり取りをただただ呆然と見ているしかなかった。  その時、大きな体躯の人影が視界の端に見えた。   「Relax, guys. 落ち着いて下さい、二人とも」    どこからともなく突然現れたのは、フゥの彼氏であるアレックスその人だった。向い合うリョウと遊羽人の間に立って、軽く微笑を浮かべていた。   「は?あんた、何で・・・」    遊羽人を目の前にして気が立っていたリョウは、アレックスの突然の登場に目を丸くして驚いた。  誰にも気づかれずに気配を消して、一体どうやって目の前までやって来たんだ。全く意味がわからない。それにしても偶然通りかかったにしては出来過ぎている。何故、今ここにアレックスがいるんだ?   「私は、タカヒトさんの助太刀に来ました」    にっこり笑顔でそう言うと、萎縮する崇人に顔を向けて、穏やかに目を合わせて頷いた。少し離れた場所で煙草を吸っていた遊羽人の連れの男は、吸い殻を地面に落としてざりざりと靴の裏で踏み潰しながら、こちらの様子を変わらずジッと凝視していた。   「何だ、この外人。こいつもあんたらの仲間ってわけ?本田先生はさぁ、一体何人連れてくる気?」    思いっきり遊羽人は不機嫌な表情を見せた。苛立ちを隠せず、下唇をギリリと噛んで見せた。 それからリョウとアレックスを無視して、真っ青になって血の気が引いている崇人の側へ近寄ると、無理に腕をぐいっと引っ張って店内へ引きずりこもうとした。   「おっと。それはいけません」    咄嗟にアレックスは崇人の腕を掴む遊羽人を制止して目の前に立ちはだかった。首を振りながら駄目な行為だと否定する。崇人が掴まれた腕を解こうとへ手を伸ばした。「話は外で――」そう言いかけた瞬間、後ろに控えていた男がその手を素早く掴み上げた。  「遊羽人に触るな」そう代弁するかの如く、手首をきつく握りしめる。握力は強く、アレックスの腕は完全にロックされてしまっていた。まさかこの男が出て来て制止されると思ってもみなかったアレックスは、フッと軽く笑って吐息を漏らすと、反対の手で男の腕を掴んで無理矢理に自分の手首から剥がした。  男の腕は、折れて粉々になったかと思うほど、骨が軋んだ。無理矢理に掴まれた腕は余りの強引な力の反動で小刻みに痙攣しだした。振り払う事も、引き抜く事も、動かす事すら出来ない。涼しい顔をしながら易々とそれをやってのけるアレックスの姿に、その場に居る誰もが息を呑んだ。    (こいつ、何者なんだ――)    フゥの店で会うアレックスとは別人の姿に、リョウは一抹の不安を覚えた。思わず崇人の方へ振り返って何か言いたげにアイコンタクトを取る。すかさず崇人も頷いた。  この不可解な状況に困惑している気持ちは同じようだった。男とこう着状態になっているアレックスを、手も足もだせないまま、二人はただその場で立ち尽くすより他なかった。                                

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