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第33話 残された想い

 急いでフゥの店に到着すると、店の灯りが消えていた。定休日である日曜日は、夕方にはお店に来て深夜まで必ず仕込みをしているはずだった。 リョウは不安に駆られて、フゥに電話をかけた。いつもなら直ぐ出るはずなのに。何度もコールを鳴らしながら、このまま連絡がつかなかったら・・・と、嫌な考えが頭に浮かんで目の前が翳る。   「・・・もしもし?」    小さな声で元気がない。いつもの様な威勢はないけれど、フゥがやっと電話に出た。   「おい!フゥ。お前、今どこに居るんだよ?」    思わず大きい声になる。焦るリョウは間髪入れずに問いただした。   「え?・・・あらやだ。真っ暗じゃない。電気もつけずにアタシったら。店にいるわよ!」    驚いた様子でそう話すので、リョウは少しだけホッとした。「店の前に居るんだ。ドア開けてくれよ」と伝えて、店に灯りが付くのを崇人と胸を撫で下ろしながら見つめた。    ***   「――そう。やっぱりアレックス、行っちゃったんだ」    伏し目がちでフゥは静かにそう言った。  リョウと崇人は一通り起こった出来事をフゥへ正直に伝えた。アレックスの介入をどう説明したら良いのか、迷うところではあったけれど、フゥ本人は至って冷静に話を聞いていた。   「行っちゃったんだって、お前、あいつの正体知ってたのかよ?」    リョウは真剣な顔でフゥに詰め寄った。   「ううん。知らないわ。というか、今も詳しくは分からないままよ。ただね・・・初めて会った時から、訳ありなのは承知の上だったの。それが分かってた上で、敢えて何も聞かず、気づかない振りをして一緒にいたのよアタシ達」    フゥは少し悲しげな表情をして、バツが悪そうにしながら答えた。   「俺たちだって、あの男が何者かなんて正直分からない。でも、恐らくチャイニーズ・マフィア関係なのは刺青と話の流れから何となく察しがついたよ」   崇人も隣で静かに頷く。いつもの明るさが見えないフゥの様子が心配で堪らなくなる。   「面と向かってね、『さようなら』と言われた訳じゃないの」    フゥはゆっくり話を切り出した。   「ただ、アタシの大切にしているものを守りたいって。そう言って出て行ったの。直ぐにピンと来たわ。ああ、彼は貴方達を助けに行ったんだって。だから、もうアレックスは二度とここへは帰って来ないつもりだって、何だか分かっちゃたのよね、アタシ」   自分で話をしながら、自分を納得させているようにも見えた。   「Utopiaの件が無かったとしても、遅かれ早かれいつかこういう日が来るんじゃないかって思ってたから、覚悟は出来てたわ。正直、涙も出なかった。案外平気なのよ、アタシ。・・・ただ、ちょっと疲れてカウンターで座ったまま寝てたの。だからリョウからの電話で目が覚めて、店の中が真っ暗闇でびっくりしたわよ」    虚勢を張っているじゃないかと、崇人は複雑な思いでフゥを見つめた。そもそも僕が問題を持ち込まなければ、フゥさんとアレックスさんが別れる事にはならなかった。 アレックスさんのお陰でUtopiaの問題が解決したことは、感謝してもしきれない。実際、相手は想像以上に危なかったし、僕らだけじゃ到底太刀打ちできなかったと今改めて思う。  全ての責任と傷を負う覚悟で臨んだ割には、結果的に自分は無傷で、フゥさんとアレックスさんに多大な犠牲を払わせてしまった。罪悪感で胸が張り裂けそうだった。 今にも消え入りそうな様子で青白い顔をする崇人に気づいたフゥは、立ち上がって肩にそっと触れて撫でた。   「崇人くん。自分が悪いだなんて絶対に思わないで。誰のせいでもないの。アレックスが貴方達の力になりたくてしたことなのよ。強要された訳じゃない。彼が自分で選択したことなの。正直、彼が居なかったら解決出来なかったとアタシも思う。話を聞いて、確信したの」    力強く、真っ直ぐに眼を見てフゥはそう伝えた。崇人はぐっと瞳の縁に涙を溜めて、湧き上がってくる感情に堪えながら、震える声で言葉を返す。   「でも・・フゥさんの気持ちを想うと・・・」    隣で見ていたリョウが崇人の手を取って、ギュッときつく握りしめた。   「寂しいと言ったら嘘になるわ。でもね、大丈夫。二人に詳細は言えないけど・・・アタシはアレックスから『とっておき』を貰っているの。だから、大丈夫なのよ」    そう言うと、ニコリとフゥは優しく微笑んだ。    *** 「あいつは大丈夫だよ。あの感じ、心配いらない」    フゥの店からの帰り道で、依然心配そうにする崇人に向かってリョウは改めて伝えた。崇人に気を遣っている訳ではなく、フゥとの付き合いが長いリョウだからこそ、彼の事をよく分かっていた。   「・・・そう信じるよ。リョウが大丈夫って言うんだから、その通りだよね」    すっかり暗くなってしまった夜道を歩きながら、崇人は少しだけ顔を上げて、遠くを見ながらリョウに問いかけた。   「アレックスさんからの『とっておき』って、何だったんだろうね」   「さぁな。でも、あいつにとっては特別で、元気でいられる何かだったんだろうな」    きっと二人にしか分からない事――二人だけが分かっていればいい、想いがこもった言葉を超える特別なもの。 そう考えると、崇人は少しだけ笑顔を取り戻した。  いつもと変わらない表情で前を向くリョウの雰囲気は、少しだけ和らいでいた。フゥからアレックスに対しての気持ちを聞くまでは、リョウも彼なりに、部外者のフゥを巻き込んでしまった事に引け目を感じていた様だったから。  あんなに緊張して不安だらけだった一日が、まるで嘘のように静かに終わろうとしている。感情の変化が著しくて、目まぐるしい日だった。  お互い黙ったまま少しだけ静かに歩いた所で、崇人が立ち止まった。改まって向き合うと、リョウの手を取って握りしめた。   「――リョウ、ありがとう。君が居てくれて、どんなに心強かったか。味方になってくれて、支えてくれて・・・本当にありがとう」    気持ちのこもった声で、リョウへ心からの感謝を伝えた。かじかむ崇人の指先は、信じられないほど冷たかった。リョウは思わずたまらない気持ちになって、その手を包み込む様にして握り返した。崇人だって、恐怖と絶望が隣り合わせだったあの状況に、ずっと耐えていたはずだ。   「フゥには迷惑かけたけどさ。正直、俺は今、ホッとしてる」    リョウは素直に今の気持ちを吐露した。   「一緒に全てを背負う気持ちなのは、今までもこれからも変わらないけど、俺が予想していた以上にあいつらは危ない感じだった。実際、アレックスがいなかったら崇人に危害が加えられていたかもしれないって思うと、今更ながら、すげぇ怖くなった。二人だけでどうにかしようだなんて、俺の考えは無謀だったかもしれない」   複雑な表情を浮かべながら、utopiaでの出来事を思い出した。思わず握り返した手に力がこもる。 こんな切ない顔をしたリョウを知らない。崇人はハッとして、彼を真っ直ぐに見つめた。その様子に、胸がギュッと締め付けられる。   「俺たち、アレックスには感謝してもしきれないな」    白い息を吐いて、リョウは苦笑しながら穏やかな口調でそう言った。   「うん。心から感謝しているよ。でも・・・本当にもう、会えないのかな」   「覚悟決めてたみたいだからな。本来なら俺たちみたいな一般人と、あの人に接点が合った事自体が、有り得ない事だったんだと思う」   アレックスさんに待ち受ける未来は、きっと僕らには想像もできないほど困難で複雑なのかもしれない。でも、彼の安全と幸せを願わずにはいられなかった。助けてくれたからそう思うんじゃない。友人として――心からの感謝と尊敬を込めて、崇人はそう願った。 「リョウ」崇人は小さくポツリと名前を呼んだ。  もう言葉はいらない。二人とも気持ちは同じだった。手を解いて抱き合うと、どちらからともなく唇を重ねた。穏やかに、情熱的に。そして、今こうして無事に二人、一緒にいられる喜びを噛み締めながら。   「帰したくないな」   珍しくリョウは我儘を言った。   「僕も・・・帰りたくないよ」    おでこを擦り付けて、崇人は嬉しそうに微笑みながら返事をした。  明日の事は、明日また考えよう。日付が変わるまで、あとまだ何時間もあるのだから。            

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