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第34話 二人の事

 晴れて恋人同士となったリョウと僕。  だからといって二人の日常は何ら変わらない。ただ明らかに変わった事と言えば、リョウの感情表現が豊かになったことと、僕の中で自分のセクシャリティにかなり前向きになれたことかもしれない。  リョウは僕に対する愛情をはっきりと言葉にした事で、何かが吹っ切れたらしく、割と情熱的な言葉を突然言ってきたりするようになった。    ――はっきり言って、慣れない。    いや、でもリョウには自分の気持ちを遠慮しないで言葉にして欲しいと、ずっと思ってはいたんだ。けれど、あの整ったビジュアルを目の前にしてグイグイ迫られると、僕の心臓が持たない。余りにリョウが眩しすぎて、実際あんまり直視できずにいるほどだ。  utopiaでの一件からしばらく経って、リョウが僕の家に行きたいと言い出した。   「来てくれるのは大歓迎だよ。でも、本当に何にも無いから、面白くないと思う。リョウの家みたいにおしゃれな感じとは程遠いよ?」    崇人は自分の家の中を思い出しながら、少しだけ気まずそうにした。   「別にどんな暮らしをしてるのか見たいって訳じゃないよ。ただ、崇人の雰囲気?匂い?うーん、とにかく崇人がいっぱい詰まった空間に居てみたいっていうか――」    僕の後頭部を軽く撫でながら、髪の毛をパラパラとすくっては落とす。至近距離でそんな事を言われたら、駄目だとは言えないだろう。目尻を下げて優しく愛おしげに微笑むリョウの色気が凄い。  僕はただ、顔を赤くしてコクコクと頷くのが精一杯だった。膝に置いていた僕の手を取って、指を絡めてギュッと握りしめた。「やった。楽しみ」と、ニコニコ上機嫌になりながら握ったその手を唇に持って行って、リョウは軽くキスをした。   「・・・必要以上にイチャつくの禁止って札、カウンターに置こうかしら」    そんな様子の二人へ、フゥが冷めた視線を向けながら言い放った。その表情には「うざい」と明らかに書いてある。   「あ、ごめんなさい!えっと・・・」    そう言われて、僕はしどろもどろして慌てだした。ここがフゥさんの店の中でも、リョウは全く気にもかけない。堂々と僕の肩に寄りかかってくる。   「ふんっ。アンタが骨抜きにされたそんな姿見たら、叔父さんも腰抜かすわね!」    フゥは意地悪く微笑を浮かべながら嫌味を言った。   「昔さ、誠志郎さんに似たような事を言われたんだ。本当に好きな人が出来たら、お前は腑抜け野郎になりそうだなって。崇人に出会ってから、急にその言葉を思い出したんだよな」   「何なのよ、そのオチ!アンタって奴は結局、惚気に持ってくのね!」    嬉しそうに話すリョウの顔を見て、フゥは大袈裟に突っ込んだ。でも、和かなリョウの姿を見て、何だかフゥさんも嬉しそうだ。   「感情が表情に出て来たのは良い事よ。なんだかんだで叔父さんだってアンタが変わってきた姿を喜んでるはずよ。あぁ、リョウがサイボーグ扱いされてた時代が懐かしいわ〜」   「リョウって、そんなに無表情だったんですか?」    思わずカウンターから身を乗り出して崇人はフゥに聞きだす。   「今だってそれに近いのは崇人くんも分かるでしょ?でもね、もっと若い時は本当に何考えてるか分かんない奴だったのよ。何かあっても喜んでるのか怒ってんのか全然わからなくてね。まぁ、気味が悪い奴だったわよぉ〜。一緒に住んでからはどう思ってるのか、大体は察する事が出来たけれどね」   「え!二人は一緒に住んでたんですか?」   「あら、聞いてなかった?そうよぉ!叔父さんの家でリョウが20歳になるまで一緒に暮らして、その後にこの辺りでルームシェアしてたの」   「おい。気味が悪い奴ってなんだよ。他にも言い方あるだろ」    二人の会話を黙って聞いていたリョウは、聞き捨てならないと言った感じで、じとっとフゥを見つめながら話を遮った。   「あの頃の無感情、無関心よりは人間味が増したわよ。良かったじゃない。本当、崇人くんのお陰よね♡」    ふふふ。と笑いながらフゥは崇人へウィンクした。そんな風に言われると、嬉しいけれど何だか照れる。  でも、そっか。リョウはフゥさんとルームシェアしてたのか。家族同然の間柄なのはもう分かっているから、嫉妬は沸かないけれど、やっぱり羨ましいなとは思ってしまう。リョウと一緒に住んだらどんな感じなんだろう・・・。  すぐに不埒な考えばかりが浮かんできて、「僕らにはまだ早い」と慌てて想像を掻き消した。  お腹がいっぱいになった所でフゥに別れを告げると、二人はお店を後にした。さっそく崇人の家へ向かうため、散歩がてら駅までとぼとぼ歩く。  二月になって、ぐっと寒さが増した。すぐ隣に並んで歩いているのに、人肌恋しくなってリョウに手を握って欲しいなんて思ってしまう。刺すような冷気に、鼻の頭が冷えておずおずとマフラーに顔を埋めた。それからチラッとリョウの横顔を見る。視線に気づいて、崇人の顔を見つめ返しながらリョウは微笑んだ。   「コート、暖かそうで良かったな」    Utopiaに置いて来たコートの代わりに、一緒に新しいコートを新調しに買い物へ行った。カシミアの入った温かなコートは肌触りもよくて防寒もバッチリだ。それなのに、冬の寒さを理由に触って温めて欲しいと思ってしまった自分が途端に恥ずかしくなってきた。崇人は少しだけ動揺しながら、リョウからの視線を外した。   「それでもやっぱり・・・崇人が寒そうだから、温めておこう」    リョウは急にそう言い出して崇人の手を取ると、冷えた指先を握りしめて包み込んだ。リョウに隠し事は出来ないな。自分の気持ちや考えは、直ぐに彼へ筒抜けだ。気づいてくれた事が嬉しくて、胸の奥がじんわりと温かくなった。  新宿三丁目駅までの道のりを、手を繋いで歩く。この時間は人通りが少ないとはいえ、ちょっと前までなら、常に周りを気にしてビクビクおどおどしていた僕だったのに、信じられない。リョウと一緒なら、もう何も怖くない。何でも乗り越えられる気がするんだ。   「冷えるからすぐ入れるように、お風呂沸かしとくよ」 「え、そんなの出来んの?」 「うん。リモート操作出来るんだよね。単身用の部屋なのに、何故かうちはお風呂だけは広さがあるんだよ。オーナーさんのこだわりなのかな?」    ははっと朗らかに笑いながら崇人はスマホを取り出して立ち止まると、隣でぽちぽち操作しだした。リョウは崇人の肩に顎を乗せて、作業するスマホを覗きこんだ。   「広いなら、一緒に入ろう」    耳元でゆっくり良い声で囁いた。リョウは本当に、本当にずるい。崇人は瞬時に耳まで真っ赤に顔を染めて、操作する手が止まってしまった。ぐっと息を呑みこんで、頭を倒すと、すぐ側にあるリョウの耳に唇を寄せて答えた。   「そのつもり・・・だったよ」    ***   「先生。放課後にお時間、少しいいですか?」    数学の授業の後、教室を出て行く僕に向かって、珍しく遠藤眞が自分から話しかけてきた。   「あ、ああ。大丈夫だよ。HRの後に生徒指導室でいいかな」  突然の呼び掛けに少し動揺してしまった。それというのも、謹慎が明けて登校してきた遠藤眞の様子は、休み前と明らかに違っていた。静かに落ちついていて、怖いくらいだった。  その日の午後に、再び面談の機会を持った。大切な面談だったにも関わらず、やはり両親は揃って顔を出すことも、心配して連絡を寄越すこともなかった。  結局埒が空かず、面談は本人に反省の意思だけを再確認して終わるしかなかった。親から預かったと、彼女は一筆書きの封筒を寄越した。そこには、追加の寄付金を送金するので書類を用意して欲しいとだけ書かれていた。彼女を労る言葉や親として娘の一件に謝罪する様な内容は一切無く、極めて事務的な事柄だけが簡潔に書かれてあった。  変わらない彼女の両親の姿勢に、変化した彼女の雰囲気。家庭内でまた何かあったんじゃないかと、崇人の中で一抹の不安が過った。  そんな事を崇人が考えているとは露知らず、当の本人は「ありがとうございます」と丁寧に礼を言ってお辞儀すると、何ごともなかったように自分の席へと戻って行った。    ――放課後。 「それで、生活は変わりない?心配事や不安な事は?もうあの店の人とは連絡を取っていないと信じてるけど、何かあればいつでも相談してくれて構わないから」    生徒指導室で向かい合う眞へ、崇人は少し遠慮がちに話を切り出した。少しだけ静寂が流れた後、眞はようやく口を開いた。   「・・・三月から、おばあちゃんの家で正式に暮らす事になりました。祖母も叔母も、あの家にはもう帰らなくていいって。一緒に暮らそうって言ってくれました」    ほんの少しだけ気まずそうに、でも少しだけ前とは違って晴れた顔をしていた。   「全部、話したんです。父と母の事。私、自分は大丈夫だと思ってました。別に二人がいなくても私は独りでちゃんとやれるって。でも、祖母と叔母が泣きながら心配してくれて――薄々、あの二人も私の状況を分かっていたんだと思います。それで、真剣に話をしたら、私自身ずっと寂しかったんだって。誰も居ないあの家に独りで居る事は、もう限界だったって、気づきました」    冬休み前に生徒指導室で話した時とは、まるで別人のように素直で落ち着いていた。   「そうだったんだ。話してくれてありがとう。それで――話しづらいだろうけど、ご両親はなんて?」   「『分かった』しか言わなかったです。実際、話を付けてくれたのは祖母ですが――多分これで二人は、離婚の手続きを進めると思います。私の存在だけがネックだったと思うので、これで厄介払いできたと思ってるんじゃないでしょうか。どちらも私を引き取る必要が無くなったし」    親子の遺恨はいまだに続いているようだった。簡単に解決なんてできる訳がない。自分以上に、遠藤眞の親子関係は深刻だ。回復は容易じゃない程に深く亀裂が入っている。僕は何と励まして良いか分からなかった。適切な言葉が思い浮かばず、口をつぐんでしまった。   「それで、この件について叔母から担任の雪元先生へ連絡が行くと思います。その電話の前に、本田先生には直接伝えておきたいなと思って」    思わず崇人は顔を上げて眞を見た。   「本田先生だけが、私がやらかしてからもずっと心配してくれた。他の先生や友達からは、まるで私が危険物みたいな扱いされるし、なるべく関わらないようにしてるのが凄く分かった。でも先生は、本気で私を心配してくれたし、怒ってくれた。同情もしてくれたし、親身になってくれた。だから、ありがとうってお礼を言いたかったんです」   「遠藤さん・・・」    眞からの思いがけない言葉に、崇人の目頭は熱くなった。ようやく本来の高校生らしさを取り戻して、まだあどけなさの残る少女の顔つきになった彼女を見て、心から安堵した。   「放課後の面談。正直ずっとめんどくさいなって思ってました。でも、歌舞伎町で先生とバッタリ会った後から、ずっと祖母の家に居て気持ちが少し落ち着いたら、ここで話した事をたまに思い出したりしてました。なんだかんだで先生と雑談するの、ちょっと楽しかったなって思って」    照れ臭そうに眞は、はにかんで見せた。   「僕とのたわいもない会話で、少しでも君の心が軽くなってたのなら、僕も嬉しいよ」    崇人も釣られて微笑む。   「あの時に先生と一緒に居た人って――」   眞は言いかけて、探るように崇人の顔をじっと見た。  急にリョウの事を振られてギクリとした。さすがに生徒へ向かって本当の事なんて言えない。不本意ながら『友達』とでも言って誤魔化すしかない。  あれだけリョウに食ってかかったくせに、心の中で『ごめん』と平謝りする。一瞬だけ躊躇ってから、口を開いて答えようとしたその時、眞が言葉を被せるようにして言ってきた。   「先生。私、進路変えます。医学部目指します」    脈絡の無い急な発言に、崇人は拍子抜けした。  リョウの事はもういいのだろうか。   「どうしたの、急に?」   「・・・歌舞伎町に入り浸ってた時、病んでる子たちをいっぱい見たんです。今が辛くて、薬に逃げてる子も。なんとかして助けられないかなって気持ちがずっとあって。だから、医者になって辛い気持ちを抱えた皆を救いたい」    真剣な眼差しだった。実際、僕の知り得ぬ所でこの子は危ない目にも遭ってきたのかもしれない。たまたま運良く大事には至らなかっただけで、目も当てられない悲惨な現場も目撃していたのだろう。   「だから、先生。数学見て下さい。私の成績、悪くないと思うけど、やっぱり医学部目指すにまだまだ足りないと思うから。よろしくお願いします!」    思ってもみないオファーに崇人は驚いて目を見張った。本人は覚悟を決めた顔をしていた。この子は本気なのだと、伝わってくる。   「うん。協力するよ。やるからには全力で挑もう。僕も遠藤さんの力になれるように尽力します」    お互いに見合って、力強く頷いた。眞は指導室の壁にかかった時計を見上げると、バイオリンのレッスンがあるからと席を立った。部屋から出て行く際、ドアノブに手をかけてから、一瞬何かを思い出したらしく立ち止まった。 再びじっと崇人の顔を見上げると、微笑を浮かべながら言った。   「お似合いですよね。先生と、あの人」    それ以上は何も言わず「失礼します」と一礼して足早に去っていってしまった。残された崇人は驚きのあまり絶句していた。途端に照れて顔がみるみる内に真っ赤になってゆく。   「参ったな・・・」    口に手を当てて、眞から言われた言葉を反芻した。喜んでいる場合じゃない事はわかってる。でも、純粋に『お似合い』だと言われて嬉しかった。いまだに僕とリョウは不釣り合いだという思いがずっと払拭出来ずにいた。そんなモヤモヤした自分の気持ちが、彼女の言葉ひとつで、少しだけ緩く溶けてゆく。やっとリョウの隣にいる事が許されたような気がした。  赤い夕焼けが生徒指導室の中を照らすと、その眩しさに崇人は目を細めた。もうすぐ今日が終わる。  一日の終わりに、リョウへ嬉しい報告が出来そうだ。返事は何て返ってくるだろう。女子高生の言葉を鵜呑みにするなんて、なんだか少し照れくさいけど、きっとリョウも僕と同じ気持ちを感じてくれるはずだ。  そうだ。フゥさんに頼んで作って貰ったパテを取りに行かなきゃ。お店でワインを飲みながら、リョウの仕事が終わるのを待っていようかな。  崇人は指導室を施錠すると、今夜の事を考えながら軽い足取りで職員室へ戻って行った。          

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