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第28話 親友
「急なのに悪かった。おかげで助かったよ。ありがとうな、良次郎」
会食メニューとワインのセレクトが決まると新堂はホッとしたように胸を撫で下ろした。
「お前も大変だよな。仕事の延長とはいえ、上司のプライベートの飯のことまで手配しないといけないなんて」
テーブルにずらりと並ぶ試飲したワイングラスを片付けながら、リョウは新堂に同情めいた眼差しを向けた。
「お前がホテルに勤務してくれているおかげで本当に助かってる。知識ゼロだった僕がこうしてワインにも詳しくなったし、頼りにしてるよ」
「まぁ、俺もこのご時世にめちゃくちゃ羽振りの良い顧客を紹介して貰ってるんだからwin-winだよ。いつもご贔屓にしていただき真にありがとうございます」
リョウは半ばふざけるようにして丁寧にお辞儀をして見せた。お互い軽く笑い合ってから、新堂は資料を丁寧に鞄へ仕舞うと席を立った。
「それじゃあ、今日は忙しい所どうもありがとう。請求書はいつも通り、省庁の僕宛で頼むな」
にこやかに微笑んでそう告げた。立ち去ろうとする新堂に向かってリョウは「悠一」と切羽詰まった声で引き留めた。いつもと調子が違う声で呼び止められて、新堂は「どうした?」と少し驚いてリョウの顔を見上げた。
「あ、いや・・・」
「他にまだ何かあったか?」
「・・・お前さ。この後、時間ある?」
曇った表情と気まずさに満ちた雰囲気。混乱と困惑が混ざったような、とにかく新堂がこれまでに見たことの無い様子の良次郎がそこに居た。
***
「――それで、今はそういう状態になってて。崇人へ今だに何て言っていいかわからないままなんだ。時間だけが過ぎて、行き詰まってるっていうか・・・」
崇人とすれ違う今の状況を、一から順を追って新堂へ説明した。少し疲れた様子で複雑な表情のまま語るリョウの話を聞き終えると、新堂は無言のまま下を向いて小刻みに肩を震わせ出した。
「え、何だよ。どうした?」
隣に並んで座る新堂の様子に、リョウはギョッとして聞いた。
新宿西口のオフィス街に在る中央公園――都会とは思えないほど静かで、深夜ともなると人の姿は殆ど見かけない。
無機質な街灯だけが、ただ一定の場所を点々と明るく照らしていて、ビジネスマン達が颯爽と行き交う昼間の忙しない風景がまるで嘘のように思える。
新堂はもう耐えられないと言った感じで、ようやく顔を上げると、吹き出しながら声を出して笑った。
「いや、悪い悪い。だってさ、お前のそんな情けない姿、初めて見たからさ。百戦錬磨の池之端良次郎も本気の相手となるとそんな顔すんのな」
「おい、情けないって何だよ」
その言葉に聞き捨てならないとリョウは反論してみせたた。同時に、かつて都築さんから言われた言葉が頭をよぎる。それが思いがけず新堂の言葉とリンクしていて、口元が緩んで小さな笑みが溢れた。
「都築さんにも似た様なこと言われたの今、思い出した。好きな奴が出来たら俺は情けねぇポンコツ野郎になりそうだなって言われたよ。俺、正に今そうか?」
「――誰だって、好きな人には情けなくなるだろ」
ピタリと笑い声が止んで、新堂は少しだけ真顔になった。目の前に聳え立つ、西新宿の高層ビル群の夜景を見つめながら、コンビニで買ってきた缶ビールをぐいっと流し込んだ。
「何だよ。お前も誰かいんの?」
リョウも釣られて手にしていた缶ビールをグッと流し込んだ。その質問に新堂はただ苦笑いするだけだった。ビールを一気に飲み終えてしまうと、ビニール袋から新しい缶を取り出してプルトップに指をかけながら言った。
「俺たちはガッチガチに勉強しかしてこなかった進学校の男子校出身だろ?恋愛の偏差値なんて低いに決まってんだろ。相談する相手、間違ってないか?」
また一気にビールを煽ると、新堂は冗談めいて笑った。
「俺にはお前しか友達いないの、知ってんだろ」
リョウは眉を寄せてジロリと横目で新堂の顔を見た。
「・・・なぁ、僕たちいつから『友達』だ?」
急に新堂が言い出した妙な質問に、リョウは思わず首を傾げた。
「え、そりゃ高校からだろ」
「可笑しな風に聞こえるかもしれないけど、高校時代の僕は良次郎の口からはっきりと、僕たちは『友達』だって言って欲しかったんだ」
「・・・は?」
何だ突然。と、思いっきり顔に書いたような表情をしてリョウは新堂を見た。
「変な勘違いはするなよ。純粋な気持ちでお前にそう言って欲しかったんだ僕は」
新堂はリョウを指差して念を押した。
「・・・よく分かんねぇけど、俺たち昔から友達なはずだろ。お前の中で高校の時は違ったってことか?」
「いや。僕はそう思ってたよ。ずっとね。けど、卒業式の日、覚えてるか?あの時のお前は都築さんの所で働くって人生を決めていて・・・卒業したら高校の奴らとはもう二度と接点なんて持つ事ないと思ってたろ」
リョウは黙ったまま新堂の横顔を見つめた。
「10代なんて未来の事は漠然としか考えられないし、精神的にもまだ未熟だ。あの時の僕は将来に対して楽観的だったし、お前の本当の進路の事だって、何も知らなかった。でもな。お互いどんな道に進もうとも、これから先二度と会う事が無くても、僕たちは一生『友達』だよなって胸を張って言いたかった。短くても良次郎と一緒に過ごした時間は大切で対等だったから。あの瞬間、お前からも面と向かってはっきりそう口にして欲しかったんだ」
懐かしんでいるような、今にも泣きだしそうな、どちらにも取れる表情を見せながら、新堂は穏やかな調子でそう伝えた。
卒業式の日――早々に帰ろうと正門を出ようとした時、そういえば新堂から呼び止められたのを覚えている。
「学部違うけど、キャンパスで会えるよね?」
卒業生が名残惜しそうに学園内で写真を撮る群れを掻い潜って俺を探したのか、走って息を切らしながら聞いてきた。自分の中ですぐにでも大学へ退学届を出して都築さんの所で修行すると覚悟を決めていたから、新堂から真っ直ぐにそう聞かれても、何も答えられなかった。
「僕たち、大学に行っても『友達』だよな?」
必死な形相で間髪入れずに聞いてきた。俺は最後の最後まで、あの時の新堂へかける言葉が見つからなかった。余計な事を口にすれば、これからの計画に支障をきたすかもしれないと恐れた。誰とも話さず、存在をひた隠しにしてひっそりと卒業して行きたかったんだ。結局、何も言わずに、胸の内であいつへ『元気でな』と返事をしたのを覚えてる。社会人になってから再会するなんて思ってもみなかったし、まして親友の間柄になるなんて、あの頃の俺には到底想像できない展開だ。
「・・・そうか。俺、あの時お前の事、傷つけてたんだな。悪かった」
過去を振り返ってみて、新堂に対する申し訳ない気持ちがじわりと湧いてきた。
「今はちゃんと『友達』だってはっきり言ってくれて嬉しいよ。まぁ、あれだよ。『友達』と『恋愛』じゃ訳が違うけど、大事な局面ではちゃんと言葉にして欲しいもんさ。例えそれがお互い分かりきった事だったとしてもね」
少し肩を落としてシュンとしていたリョウへ向かって、新堂は横を向いて小さく微笑んだ。
「お前みたいに色恋沙汰が経験豊富な奴でも、本気で誰かを好きになれば情けなくてもヘタレでも、その人へ嘘偽り無く全力でぶつかって行くしか気持ちを伝える事は出来ないんじゃ無いか?」
冬の澄んだ冷たい寒空に、チカチカと点滅する夜景群が目の前で鮮明に浮かぶ。誰もいない真冬の公園の石階段に座って二人並んで飲む缶ビールは、寒さや冷たさを通り越していつも以上に苦味が増して感じる。
「・・・崇人さ、いつも何かに怯えた様に目を瞑るんだ。その瞬間、俺だけが自分勝手に欲望をぶつけていて、崇人は、本当は――こんな事望んで無いんじゃないかって不安で居た堪れない気持ちになる」
無表情のままリョウも新しい缶ビールを袋から取り出すと、プルトップに人差し指をかけた。その様子を新堂は静かに見守りながら耳を傾ける。
「いつも受け身だったから――正直、どうしたら崇人が喜ぶとか、嬉しいと思うのか正解がわからないんだよ。でもそれって、逃げてるって事なのか?わからないまま期待外れな事を言ったり見当違いな行動したりして、がっかりされるのが怖いのかな」
「お前の事だから、どうせ頭で思うだけで殆どの感情を言葉にして伝えて無いんだろ。以心伝心なんて現実的じゃないぞ」
「言葉に、ね・・・。俺にはハードル高けぇんだよなぁ」
リョウは眉間に皺を寄せてビールを口に運びながら天を仰いだ。
「僕もフゥちゃんも他人の心の機微には敏感だから直ぐに察することが出来るけど、崇人くんも僕たち同様と思っちゃ駄目だろ」
「・・・そうだな。思い返してみれば、いつも崇人は俺に気を遣った言い方するんだよな。何をするのも聞くのも、俺が大丈夫かどうかの念押しがすげぇの」
「そりゃ、お前の事が好きだからだろ。嫌われたく無いって気持ちが働くんだろうな。崇人くんにちゃんと好きだって面と向かって言ってないだろ。気持ちが一方通行だと不安に思ってるんじゃないか?」
「何かフゥにもおんなじ事言われたな」
はぁぁ。と、リョウは深いため息をついた。
「付き合うって何だ?お互い好きで連絡取り合って、会いたい時に会えるのが付き合ってるって事なんじゃないのかよ。武井さんの目の前で『友達』って言ったのは崇人を守る為に言った訳で、ただの友達じゃ無いことぐらい分かってくれてもいいだろ」
眉を吊り上げて、リョウは埒が開かない表情をした。
「・・・お前はさ、『好きだ』って相手に堂々と想いを伝える事が許されてるんだ。想いを口にしたくても出来ない奴だって世の中にはいるんだぞ。言葉にして、されて・・・初めて気づく感情もあるんだ。もう、受け身はやめろよ。察してくれなんて思うな。崇人くんが大切なら、自分の殻を破ってみろよ」
初めて気づく感情――凍えるほどの寒空の下、崇人を見つけた時に感じた、あのハッとした衝撃を思い出した。俺たちは出会ってまだ数ヶ月だ。でも、年月なんて関係ないと思うほど、俺たちは自分の中にお互いを色濃く投影し合ってる。崇人を知ってからは、あいつの事を考えるだけでまるでジェットコースターに乗っているような、信じられないくらい感情が揺さぶられる毎日だ。都築さんが亡くなってから、無機質で暗かった俺の毎日が、今、こんなにも色付いて明るく見えるのは、崇人。お前のおかげだよな。
「・・・ありがとうな、悠一。俺、崇人へ正直に気持ち言うわ。上手く言えるかはわかんないけど、ちゃんと向き合うよ」
「うん。お前と崇人くん、二人は一緒にいるべきだと思う。お似合いなんだ、君たちは」
そう告げると、新堂はほんの一瞬だけ寂しそうに遠い目をして再び目の前に聳えるビル群の夜景を見上げた。
「偉そうに色々言ったけど、自分の事に関しては僕だってポンコツなんだ。ただ好きなだけじゃどうにもならないなんてな」
まるで自分自身に言い聞かせている様な口調だった。
「大人になっても恋愛だけは苦手なままだよ。数学の問題解いてる方が遥かに簡単で楽だって感じるのは、他の事を蔑ろにして勉強ばっかりしてきたツケが回って来たのかもな」
「そうだな。でも、こんな風に堂々と公園で酒呑む不良になったんだから、俺たち人生経験値は上がったんじゃないか?」
すかさず言い放ったリョウの言葉に、お互い顔を見合わせて声高く笑い合った。
寒空の下で、買い込んだ缶ビールが全て空になるまで二人は時間を忘れて話し込んだ。透明で澄んだ冬の夜は、純粋でひたむきだったあの頃の懐かしい匂いとどこか似ていて、少しだけ心が軽くなった。
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