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第3話

蓮が部屋を出て行ってから、どのくらい時間が経ったのだろう。 すっかり暗くなった部屋の明かりを点ける。 肌寒さを覚え、蓮のベッドから毛布を借りて体にかけると、彼の匂いがした。 抱きしめてもらえているような錯覚に、思わず毛布を強く抱きしめる。 「湊?」 「ごめん、少し寒くて毛布借りちゃった」 「窓、開いてたか? 寒かったら閉めてくれよ」 「ううん、季節の変わり目だからかな? ちょっと寒くて」 「ウチに来て湊が風邪ひいたなんてなったら、お前の親父さんとお袋さんが怒鳴り込んでくるだろ」 「うちの両親ならやりかねないかも」 「だろ? 俺、ぼこぼこにされちまう」 ははは、と笑いながら蓮は俺の体に毛布を掛け直した。 その顔は、怒りとも悲しみともつかない表情で、何かを必死に堪えているように見えた。 「蓮、どうかした?」 「……いや、冬真さんが“夕飯食べていくか”って」 「遠慮しておくよ。僕もそろそろ帰らないと、過保護な親たちが心配しちゃうから」 「……そうか」 少し残念そうに言う蓮。 彼にとって安寧の場所だったこの家は、もうそんな場所ではないのかもしれない。 「蓮がウチに来る?」 「陸翔おじさんに殴られそう」 「そんなことしないって」 笑って言うと、氷のように冷たい指で俺の額にかかる髪を払った。 少し震えるその指先は、いったい誰を求めているのだろう。 彼に触れられ、口の中が渇いていくのが分かった。 心臓の音が鼓膜に響き、視界が揺れる。 僕を見てほしい。 でも、今は影でも構わない。 唇が触れ合いそうなところで、蓮が俺の肩に手を置いてうなだれた。 「湊……悪い。今日は帰ってくれ」 「……うん」 「勉強見てくれて、ありがとうな」 「……うん。また明日ね」 「ああ」 かたかたと震える蓮の手を両手で包む。 「大丈夫だよ。僕なら大丈夫だから」 泣きそうな顔で頷く蓮の手を優しく撫でた。 身支度をして彼の部屋を出ると、隣の部屋から晴臣さんが出てくるところだった。 「よぅ、湊。帰るのか?」 「ええ、そろそろ夕飯みたいなので」 「食っていけばいいのに」 「母が待っていますので」 にっこりと笑うと、晴臣さんが蓮の姿がないことに気づき、部屋の扉を見やった。 「あいつはどうした?」 「小テストでちょっと残念だったので、今必死に勉強してますよ」 「そうか。コンビニ行きがてら送っていくか?」 「心配いりません。母が買い物しているみたいですから途中で合流します。晴臣さんも会って行かれます?」 ポケットからスマホを出して見せると、晴臣さんが「ん~」と唸る。 「紫(ゆかり)さんかぁ…あー…会わなくて大丈夫!」 「そんなに怖がらなくても」 怯えるように眉を寄せる晴臣さんの姿が可笑しくて、思わず笑った。 その瞬間、蓮の部屋の扉が勢いよく開かれた。 「湊、何やってるんだよ」 「晴臣さんが送っていこうかって」 「おばさんが買い物してるんだろ? 早く行ってやれよ」 「蓮、今まで勉強見てもらってたくせになんつー言い草なんだよ」 「一日中、部屋でダラダラしてた人に言われたくねぇ」 「んだよ、ウチの息子は万年反抗期だな」 「アンタは中年で反抗期だろ」 蓮が呆れた声で晴臣さんに言うと、晴臣さんは大げさに悲しむふりをして蓮と俺を追い払うように手を振った。 「親を労わらないと、ピーマンを大量に食べさせられるんだからな! 湊、気を付けて帰れよ!」 なんとも子供じみた台詞を言いつつ手をひらりと振る晴臣さんに、小さく会釈をする。 「なんだよ、あの人」 大人の余裕というものだろうか。 それを見せられた蓮が、羨望にも似た眼差しで晴臣さんを見ていた。 「……おばさんのいる店まで一緒に行くよ」 手を伸ばしても届かない存在。 その隣には、どう足掻いても勝てない相手がいる。 だからこの家に居たくないのかもしれない。 「うん。ありがとう」 蓮と一緒にこの家を出ると、肌を掠める空気がひんやりとしていた。 深く息を吸い込むと、鼻の奥がツンと痛む気がした。

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