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第7話
目が覚めると、部屋の空気が薄い。
うだるような暑さの季節が鳴りを潜め、朝夕が冷え込んできた。
布団の中で小さく身震いをすると、体が妙に軽いような気がした。
昨夜はよく眠れなかったのに、泣くということは体の、心のどこかを空にするらしい。
窓の隙間から白い光が差し込み、ゆっくり漂う埃が反射している。
キッチンから水の音、朝食の匂いが少しだけ広がっていた。
いつも通り、朝食の準備を母さんがしている姿が見える。
洗面所で顔を洗い、水滴をタオルで拭きながら鏡を見る。
そこにいるのは、紛れなく僕だった。
昨夜、母さんに叩きつけられた言葉をもう一度、自分に言い聞かせる。
「おはよう」
ダイニングに入ると、母さんがコーヒーを片手に視線を向ける。
「おはよう。味噌汁は薄めだ」
「ありがとう。父さんは?」
「陸翔なら仕事が終わらんと言って、朝早くから家を出た」
「そう」
「帰ってきたら、顔を見せてやれ。酷く心配していた」
「うん、そうする」
椀を受け取ると指先に熱が移る。その熱だけで、母さんとの会話だけで泣きそうになる。
「今日は?」
「終わったら図書室に寄って帰ってくるよ」
「そうか」
それだけ言って、母さんはカップに口をつけた。叱責するでも慰めるでもない、母さんなりの優しさの温度だ。
食器を流しに置いて、自室に戻る。
制服に袖を通しながら、机に置きっぱなしのスマホを見る。
あれからスマホは震えることはなかった。
ロックを外してメッセージの画面を開くと、彼の名前が表示される。
それだけで胸が少し痛んだ。
昨夜の自分なら、言い訳や祈りの言葉を打っていただろう。
もしかしたら、もう一度会いに行こうとしていたかもしれない。
でも、今朝は短くていいと思った。
――おはよう
ただの挨拶を入力して指が止まる。
送るか、消すか。
送った瞬間に、彼の時間に、あの家族に僕が入り込む気がして怖い。
けれど、これは僕の言葉であり、あの人の影ではない。
送信ボタンを押すと、指が震えた。
青い吹き出しが画面に収まり、既読がつくまでの間だけ息が浅くなる。
玄関で静かに扉が閉まる音がした。母さんが出勤をした。
家の中が僕だけの朝の音になる。
鞄に教科書を詰めていると、スマホが振動し、画面が光る。
――おはよう。あとで、話せるか?
たったそれだけ。短いのに、指先が痺れる。
“あとで”。その言葉が、とても恐ろしい。
空は青いのに、霞がかかっているように見えた。
――僕は僕だ――
靴を履いて、玄関の鏡を見る。
「行こう」
自分を鼓舞するように、鏡の中の自分に言葉を投げかける。
玄関の扉を開けると、光が差し込む。
僕はこの光に迎え入れられるだろうか、それとも……。
そんなことを一瞬考えて、緩く頭を振る。
「いってきます」
誰に言うでもなく、小さく言って家を出た。
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