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第9話

いつもなら長く感じる授業が今日はやけに早く終わった気がする。 教室の窓から外をみると空が薄い水色から赤く染まり始めていた。 先生から頼まれていたプリントを職員室へ持っていくのに手間取り、クラスメートの大間に呼び止められたりして思ったより遅くなってしまった。 彼は校門で待ってくれているだろうか。 もしかしたら、帰ってしまっているかもしれない。 片付けをして、彼との待ち合わせの場所へと急いだ。 放課後の校門は朝と違って少しだけ騒がしい。 部活動の掛け声、遠くから聞こえる誰かの笑い声、チャイムの余韻など色々なものが交じり合っている。 その中で蓮がこちらを見つけて、少しだけ首を傾ける。 夕日が逆光になって、表情の輪郭が読めない。 それだけで胸のあたりがざわついて、ポケットの中で指先が汗ばむ。 「ごめん、遅くなって」 「いや、そんな事ない」 それだけの言葉を交わして、足並みを揃え学校を後にする。 通い慣れた道ではなく少し外れた道を、蓮の半歩後ろを歩く。 いつもの商店街ではなく、住宅が多く立ち並ぶ道。 幼い頃、この辺りの公園まで来ていた気がする。 「外の方がいいだろ?」 信号で立ち止まった蓮が、顔を真っ直ぐ向けたまま僕に問いかける。 「うん。そうだね」 僕も歩行者用の信号を見つめながら答える。 夕方の匂いがする。どこかの家で夕飯の支度をしている音や、洗剤の匂いが混じって鼻先をかすめる。 信号が変わり、蓮は顎で前を示した。 やっぱり、あの公園だ。 僕たちがよく遊んだ場所だった。 遊具の周りで遊んでいる小学生を見て懐かしい気持ちになる。 僕らだって、ああやって遊んでいた。 小学生が無邪気に鬼ごっこをしているらしい。「つかまえた!」「まだ!」と声があがる。 僕らは何も言わず、同じベンチに腰を下ろす。 肩が触れる程近くはない。でも隣にはいる。そんな距離だった。 蓮は背凭れに寄りかからず、膝に両手を置いたまま目の前の子どもたちが遊んでいる様子をどこか懐かしそうに見ている。 「遅くなってごめんね」 言い出し方が分からず、もう一度遅れてしまった事に対して謝罪すると、蓮が首を横に振った。 「お前んとこ、抜き打ちのテストがあったんだろ? 聞いた」 子どもたちがブランコに乗り、どちらが高く漕げるか競っている。漕ぐたびに鳴る鎖の軋む音が悲鳴のように聞こえた。 「なあ、湊」 「ん?」 不意に呼ばれる名前に体が少し硬くなる。 「俺はお前を代用品だなんて思っていない」 膝の上に置いた手を見つめながら蓮が絞るように言う。 「…お前を見ていると、あの人の影が追いかけてくるんだ」 「……」 「俺の方が問題なんだ」 口元歪ませて笑う姿が痛々しい。 「お前にあの人を見ていたのか、それとも、あの人にお前を見ていたのか…分からなくなって」 額に手を当ててうなだれる蓮の思いがけない言葉に、彼をただ見つめた。 「昨日は…お前に対しての行動だという事は分かってほしい…」 弱々しい声が落ちてくる。 「…え?」 間のびした声が夕焼けに消えていく。額に当てた掌の隙間から、短く吐いた息だけがこぼれた。 「でも、怖くなった。あれ以上していたら、お前を失うと思った」 ブランコの鎖がきい、と一度だけ高く鳴った。蓮が顔を上げてこちらを見ている。 「僕を失いたくなくて、距離を取ろうとしたって事?」 気付けば言葉が零れていた。胸の奥が熱くなって、あふれるように出てくる。 「僕はずっと言っているよ。 君の事が好きだって。――僕を見くびってる?」 「違う。あのままだと、俺たちは確実に壊れてた。関係も、感情も」 蓮は険しい顔のまま、きつい口調で返す。 「あの人の影は僕の中にあるんじゃない。蓮、君の中にあるんだ」 自分でも驚くほどはっきりした声だった。掌が湿って吹き抜ける風が、熱くなった体を冷やす。 「君の作り出した影は幻だよ。だから現実を見るたびに、絶望する」 ――完璧な冬真さんを幻で見て、そして現実を見て絶望している。 「僕は幻なんかじゃない、ちゃんと、ここにいる」 肺の中の空気を一気に出すように言うと、蓮が小さく息を呑む。 「湊――」 「昨日、手を離したのは――君の中の影と僕が重なったからでしょ?」 逆光の縁取りの中で、蓮の瞳だけが深く光る。数秒の沈黙。視線を逸らさずに続けた。 「蓮、大丈夫だよ。僕たちの関係は、今までもこれからも二人で作っていく。そこには影はない。あるのは憧れの残滓だ」 「……」 「そんなもの、僕が消し去ってあげる」 笑って言ってやる。 「だから、ちゃんと僕を見て」 酷く冷たくなっている蓮の手をそっと取ると薄い皮膚の下で脈が跳ねた。泣きそうな顔をして僕の手を握り返す。 空を見ると穏やかな青が、鮮やかな赤をやさしく包んでいた。

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