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第12話
外は薄く曇っていた。
まるで自分の心を投影しているようだ、と湊は思う。
何度も通ったはずの道は、今はまるで違う道に見え、どこか現実離れしているように思えて、距離感が掴めずにいる。
湊の家から蓮の家までは歩いて十五分程度だ。
どこかふわふわとした感覚に囚われながらも、足はいつも通りの速さで前に進んだ。
気が付けば蓮の家の前に着き、インターホンの前で一度だけ深呼吸をする。
もしかしたら蓮がいるかもしれない、そんな淡い期待を抱いたが、頭を振り、その考えを振り払う。
ボタンを押すと、チャイムの音が室内に吸い込まれていく。
『はい』
スピーカー越しの声は当たり前だが、蓮のものではなかった。
「湊です」
名乗ると、短い沈黙が流れる。
そして、玄関のロックが外れる音がした。
扉が開くと、仕事中だったのか、いつもしていない眼鏡をかけている冬真が立っていた。
「あぁ、湊。どうしたの?」
「蓮に用があって来ました。います?」
湊はいつも通りの声色で用件を告げると、その様子を見た冬真が少し迷った顔をして、首を横に振った。
「ごめんね、蓮は今いないんだ」
「“今は”じゃないですよね? “もう”いないんですよね?」
この場をやり過ごすような言い方に癪に障ったのか、湊は貼り付けたような笑顔でそう言うと、冬真が息を呑むのが分かった。
「湊……」
「少し、お時間いただけますか」
「……とりあえず、上がって」
冬真は眼鏡を外して、家の中に湊を招き入れる。
勝手知ったる家だが、蓮がいないだけで全く知らない家に見える。
靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、案内されるままにリビングに進むと、テーブルの上にはパソコンと、資料のようなものが置いてあった。
「仕事中でしたか」
「うん、まあね……。何か飲む?」
そう言ってテーブルの上を片付けながら、冬真が湊に問いかける。
「いえ。お仕事中のようですし、長居するつもりはありませんので」
あっさりと断りを入れる湊を見て、冬真は苦笑した。
礼儀は保っているが、遠慮は少ない。
冬真に促され、ダイニングテーブルの席に着く。
「それで何かな?」
「分かっていてそれを聞きますか?」
テーブルの上に置いた手を組みながら冬真を見つめて、湊は言う。
「……」
冬真の表情が強張った。
少しだけ赤みがかった茶色の瞳が揺れている。
湊は父親である陸翔も同じような色をしている事を思い出す。
紫が「小豆みたいな色だな」と茶化していたが、目前の人物は色香を出すのだと感心した。
「蓮と連絡が取れなくなりました」
報告するような言い方だった。
「最後の返信から、三週間以上経過しています。学校にも来ていません」
「今日、先生から『引っ越し』と『転校』の事を聞きました」
視線を冬真の目から逸らさずに告げると、冬真はゆっくりと目を伏せた。
「……そう」
「うちの両親も、ついさっき知ったみたいでした」
「……」
「この状況は、どう説明されますか」
問いというより、追及に近い響きだった。
「……どう、って言われても……」
「もちろん、言えない事情がある、ということは認識しています」
湊はそこで、一度言葉を切る。
「それを踏まえたうえで、いくつか質問をしたいと思います」
背凭れに寄りかからず、膝の上で組み直す手に力が入った。
「貴方は、蓮の貴方に対する気持ちに気付いていましたか?」
冬真の肩がぴくりと揺れる。
「……何のことかな?」
「気付かないはずはないと思うんです。蓮は不器用な人だから、分かりやすかったと思います。僕ですら気付くんですから。少なくとも『何かがおかしい』程度の認識は持っていたはずです」
穏やかな口調ではあるが、逃げ場を与える気配はない。
「気付いていなかった、では駄目かな」
「その回答を僕が信じるとでも?」
「信じてもらうしかないだろうね」
「信じるに足りうる回答は得られていない。ので、気付いていたことを前提として話を進めます」
「……随分、一方的だね」
冬真が鼻で笑うように呟く。
だが同時に、普段感情的にならない湊がここまで感情的になっている事に驚きを隠せないでいた。
「ええ、僕の主観を多分に含んでいる自覚はあります」
湊はあっさりと認める。
「気付いていて何もしなかった。距離を調整することも、きちんと話しあうことも。
そして僕に向く蓮の感情も薄々気付いていた。 結果、蓮は何も告げないまま僕の前からいなくなった」
淡々と告げられる言葉には感情というものは一切なかった。
事実確認をするためだけの言葉を冬真は投げかけられている。
感情的に言われれば、どれだけ楽だったろう、と心の中で苦く思う。
「そしてもう一つ」
湊が息を吐きながら、膝の上に置いた組んだ手に力を入れる。
「冬真さん、貴方は僕と蓮を利用したんじゃないですか?」
「え?」
突然の質問に冬真は目を丸くする。
「僕は貴方に似ています。これは父も認めるくらいです。
冬真さんは、父と長い間確執がありましたよね?」
「……それは昔の事だよ」
「でも、僕が産まれ、蓮を迎え入れた事により関係が軟化したが、やはり確執が残っていた。
だから――貴方は、僕を“あなた自身”に、蓮を“父さん”に投影して、僕たちを通して父さんとの関係を代理修復しようとしたのでは?」
「……そんなことする訳ないっ」
冬真が顔を上げて、即座に湊に言うが、その声には自信がなかった。
湊の目は冷たい。
裁くような色を湛え、冬真を見つめている。
「けれど予想に反して、僕は蓮に惹かれ、蓮は貴方に惹かれた。
その事に気付いていながら、曖昧な態度でやり過ごしていたので、どこかで父さんと関係の修復をしたかったからじゃないんですか?」
「湊……何を言って……」
困惑するように言う冬真をよそに、湊は言葉を紡いでいく。
「もちろん、父は貴方との“関係修復”などという考えは微塵も持っていません。貴方というより晴臣さんに対して厳しい態度を取る人ですから。母はそういう空気をどこかで察していた」
「……」
「それでも、うちの両親は蓮と会うことを控えるようには言わなかった。“あの家の問題だ”と割り切り、蓮個人との関係は閉じなかった」
湊は少し息を吸い、言葉を続ける。
「じゃあ、貴方は蓮に何を言っていたか。
“湊と仲良くしろ”って常に言い聞かせていましたよね。
親戚ですし、仲良くしろ、というのは良いと思います。
でも、貴方のその言い方は彼を縛り付ける言霊みたいでもあった」
「そんなつもりは全くないよ」
「つまり、いまの蓮の感情形成には“あなたと父の関係修復を僕と蓮に代理させようとした”その歪んだ意図が、妙な形で作用している。だから蓮は常に貴方の影に囚われている」
「……」
「――それが僕の見立てです。そう考えると貴方の罪は重い」
湊が椅子の背凭れに体を預け、射抜くような視線で冬真に言い放った。
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