17 / 17
第16話
玄関を出た瞬間、足元がふらついた。
さっき椅子から立ち上がったときに震えていた膝が、まだ言うことを聞かない。
冷たい空気を吸い込むと、胸の奥が刺されるように痛む。
夜の手前の温度が、頬にまとわりついた。
「……帰ろう」
誰に聞かせるでもなく呟いた声が、驚くほど弱かった。
足はいつも通りの道を選んでいた。
体が知っている通り道に、考えるより先に進んでいく。
――言ってしまった。
自分の声が、まだ耳の奥に残っている。
振り返らなかったせいで、冬真さんの表情は見ていない。
見たら、きっと何も言えなくなる。
いや、もっと酷いことを言っていただろう。
震える手のひらに残る微かな汗が、揺れた気持ちの名残みたいに感じた。
――僕は蓮が好きだということを、ちゃんと言ったんです。
この言葉を口にしたときは、迷いがなかったはずなのに、今になって胸が締め付けられる。
あれは正しかったのだろうか?
欲しいものが手に入らない子供のような、八つ当たりだったのだろうか。
足元を見つめると、靴先がかすかに揺れている。
絞り出した感情に、体が追いついていない。
自分が長い間思っていたことを口に出した。
そのどれもが、自分の口から出ていく瞬間は、どこか他人事みたいだった。
街灯の下を通るたびに、自分の影が伸びたり縮んだりする。
その変化が、まるで電車の車窓から眺める景色のように感じる。
ポケットの中でスマホの重みが主張していた。
立ち止まり、画面を点けた。
ロックを外し、メッセージ画面を開く。
蓮とのトーク画面が一番上に固定されたままだ。
画面をスクロールするまでもない。
自分の送ったメッセージだけが、一定の間隔で並んでいる。
最後に「また連絡するね」と送った日付が、三週間前のものだと知っている。
既読はついていない。
「……」
指先で日付の部分をなぞる。
スマホの画面を触っても、無機質な感触だけが指先に感じる。
「僕のせいだった?」
もうメッセージを送っても返答のない相手の、名前を見つめて呟く。
もの言わぬスマホをポケットへねじ込み、顔を上げると、あの日の公園に来ていた。
最後に蓮と話をした場所。
自分の気持ちと、相手の決意を聞いた場所。
夕闇が公園を包み込み、あの日のように遊ぶ人影もなく、ひどく寂しい場所だと思った。
ずっと静かな公園が、ひどく遠く感じる。
風に吹かれ、誰も乗っていないブランコがキィと鳴った。
あの日の記憶が蘇る。
――どの選択をしたとしても、君の選択は間違っていないよ。
ここで蓮にそう言った。
蓮がどんな選択をしようとも、間違っていないと思っている。
でも……それでも、あの人を選択しているのなら。
それは間違いだと声を大にして言いたい。
「嘘つき」
自分に向けて、そう呟く。
胸が締めつけられ、視界が揺らぎ街灯の光が反射して見える。
そのとき――蓮の声が蘇った。
――もう、逃げない――
――ちゃんと、お前を見るよ――
――だから、もう少しだけ時間をくれるか? ちゃんと向き合う準備をしたい――
ああ、蓮……
そうだ、君は確かに言っていたじゃないか。
逃げないと。
向き合う準備をしたいって。
もし、あの言葉がただの優しさなら。
今の僕は、きっと立ち直れない。
でも――
あの瞬間の蓮の目だけは、言葉の強さは、決して嘘じゃなかった。
零れそうになった涙を必死に押しとどめる。
あの日、蓮が座っていたベンチ。
ゆっくりと息を吸う。
「……僕は、待つよ」
誰も座っていないベンチに向かって宣言するように呟く。
擦り切れても、今は音沙汰がなくとも。
それでも、蓮の言葉を信じたい。
信じていたい。
顔を上げると、薄い雲の隙間から月の光が差し込んでいる。
その光に導かれるように、公園を後にした。
ともだちにシェアしよう!

