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第28話─蓮─
―いつか、笑って会えるといいね―
湊からのメッセージはそれで終わっていた。
俺自身、受験勉強と卒業の準備に追われて、湊に会いに行くことはできなかった。
湊も同じように、忙しい日々を送っているはずだ。
慌ただしく過ぎていく時間の中で、あいつに会いたい、と思ったことは一度や二度ではない。
でも、『いつか、笑って会えるといいね』と言ったあいつは、今すぐ会うことを望んでいないように思えて、そういった連絡はしなかった。
日常のメッセージ。
テストがどうだったとか、国語が苦手とか、そんな話ばかりだった。
俺がテストで躓いた箇所があれば、教えてくれた。
だんだんと忙しさが増してきて、湊からの返信が来ない日や、遅くなる日が増えていった。
それでも、翌日にはどうでもいい話を送る。
それを繰り返していくうちに、季節が移り変わっていった。
やがて、冬が深くなるにつれ、俺もメッセージを送る頻度が減っていった。
湊も同様だろう。お互いメッセージを送れる時に送り、返せる時に返すようになっていった。
一方で晴臣さんとの生活にも、いつの間にか慣れていった。
朝起きて、学校へ行って、塾に寄って帰る。
そんな毎日を繰り返しているうちに、ふと気づいた。
冬真さんのいない生活なんて、以前の俺には考えられなかった。
それなのに俺は、毎日を普通に過ごしている。
時々、それが妙に不思議に思えた。
冬を越え、張り詰めていた日々が終わる頃、俺の手元には合格通知があった。
****
季節が巡り、桜の花びらが舞い散っている。
出会いと別れの季節。
転校した学校を無事卒業し、地元に戻ってきた。
このタイミングで晴臣さんの転勤の任期も満了し、一緒に戻ることになった。
晴臣さんは、ちょこちょこと帰ってきていたけど、俺はあれから一度も戻ってきていなかった。
だから、本当に久しぶりに帰ってきた。
玄関を開けると、懐かしいシロツメクサの香り。
僅かに感じるサンダルウッドの匂いは、自分から発されているような気がした。
「おかえり、蓮」
柔らかい笑みで迎えてくれる。
いつも通りの声色。
「……戻りました」
「疲れたよね。今、お茶を入れるから」
そう言ってリビングに向かうと、あの時と何も変わっていなかった。
晴臣さんは会社に帰任の報告をしてから戻ってくると言っていたから、あの人が戻るまでは冬真さんと二人きりだ。
「まず、卒業おめでとう」
俺の正面に腰を下ろし、嬉しそうに俺に言う冬真さんの顔を直視できなくて、俯きながら、ありがとうございます、と言う。
「……大学はここから通うんだよね?」
おそるおそる確認するように言う冬真さんの言葉に頷く。
「……その……」
「……あの……」
二人の言葉が被る。
お互い顔を見合わせて、苦笑する。
俺が、冬真さんへ、どうぞ、というと頷く。
「……その……蓮、ごめんね」
「……」
「前にも話をしたけど、君には幸せになる権利がある」
膝の上で手を組みながら、冬真さんの柔らかい声に耳を傾ける。
「……なのに、僕は……その……君のためだと思って……」
コーヒーの入ったカップを両手で包みながら、言葉を詰まらせる。
「……遠ざけた」
俺がぽつりと言うと弾かれたように顔を上げる。
「ちがっ……そういう意味じゃなくて……」
うっすらと瞳が潤んでいる。
「そうじゃないんだ……結果的にそうなってしまったけど……」
「……」
何も言わず相手の言葉を待つ。
「……君を守りたかった……でもそれは僕のエゴで……蓮に選ぶ権利を与えなかった……」
この人の居場所になりたい、と思っていた。
この人の一番でありたい、と願っていた。
「……突然、転校しろって言われた時は、びっくりしましたよ」
「……」
「……俺に問題があるなら、言ってくれればいいのに。家族なのに、と当時は思いました」
「……蓮」
「でも、俺も冬真さんには言えないことがあった」
「……」
「……俺、冬真さんが好きだったんです」
「……っ」
「……俺の気持ち……知ってたんじゃないですか?」
「……蓮……」
明らかに顔色が変わる。
「大丈夫です。今はそういった感情はありません」
「……最初は……親に対しての距離が分からないのかな?くらいだったよ」
言葉を探すように冬真さんの視線が、宙を彷徨う。
「でも、そうじゃないことに気付いていた。一過性のものだと思って、気付かないふりをしていた……」
その言葉を聞いて、額に手を当ててため息を吐く。
あれだけのアピールをしていたんだ。気付かないはずがない。
湊だって分かってた。
「ただ……僕がそれにどう応えればいいのか、分からなかった」
「だから……君の気持ちに気付いていたからこそ、僕たちは距離を取った方がいいと思ったんだ」
両手で包み込んでいたカップをそのまま口元へ持っていきコーヒーを飲む。
そっとカップを置いて、俺を真っ直ぐ見つめた。
「それを……君に説明もせず、選択肢も与えずに……決めたんだ」
まるで容疑者が自白するかのように、ぽつりぽつりと言葉をこぼしていく。
「……結局、僕は君を遠ざけた……んだね」
冬真さんの瞳から涙が溢れる。
「そうですね。俺は遠ざけられました。この居場所からも、湊からも」
「……」
「今でも、あのやり方が正しかったとは思えません。
……でも、家に帰ってきて、それで良かったんだと思っています」
確かに転校の話があがり、引っ越しをした当初は、晴臣さんや冬真さんに怒りが湧いた。
なんの理由もなく、厄介だから遠くにやっておけ、みたいに感じていた。
恨みが消えた訳じゃない。
でも、それを抱えていても前に進めることを知った。
だから、その感情すらも過去のものとして消化している――そう思いたい。
「……俺は冬真さんしかいないと思っていました」
「……」
「冬真さんの一番になりたかったし、あなたの居場所になりたかった」
「……蓮」
「でも、あなたの居場所は晴臣さんの傍であって、俺じゃなかった」
「……」
「俺は……あなたのそばにいたかっただけだったのかもしれません。それが、自分の存在証明のように感じていたのかもしれません」
自分の心の内を吐露することが、こんなにも苦しい。
手の震えを止めることができない。
時計の針の音が痛いほど大きく聞こえた。
それを振り払うように小さく頭を振る。
「俺の居場所は、また別の所にあるんだと、分かりました」
冬真さんを真っ直ぐ見て言うと、涙を拭いながら少し寂しそうに笑う。
「……それでいいんだよ。でもね……」
冬真さんがゆっくりと目を閉じて、小さく息を吐く。
「この家も、僕も晴臣も君の居場所で、ここにいていいんだからね」
「……」
「忘れないで。君は僕たちの家族なんだから、ここが居場所じゃないって……思わないで」
寂しそうに笑う冬真さんは、やはり月の光のような人だと思った。
「ありがとう……ございます」
冬真さんの言葉を受けて、喉の奥が熱くなるように感じた。
探していたものが、ひとつ見つかった。
その時、玄関の鍵が開く音がした。
「久しぶりの、ホンモノのただいま~」
気の抜けた、ふざけた言葉が響く。
その声を聞いて、冬真さんが涙を拭いながら立ち上がる。
「……晴臣、おかえり……」
「泣くほど嬉しいのかよ。嬉しいよなぁ、お前は。蓮、お前も泣け」
「毎日見てたのに、泣くわけないだろ……でも、おかえり」
そんなやりとりを交わしているうちに、少し力が抜けてしまった。
それでも、胸の奥だけはまだ落ち着かなかった。
膝の上で、拳を握る。
もう、何からも逃げるつもりはなかった。
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