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されど、温もりを知る。
ジリリリリリリ――。
アラームが鳴る。
二度目のアラームだ。
いい加減、起きなければならない。
ぼぉーと天井を見上げる。
(あれ?⋯俺の部屋ってこんな天井だっけ?
⋯あぁ、ちげぇわ。引っ越ししたんだったな)
重い体を引きずり、ベッドから出る。
ふわぁっと欠伸をしながら部屋を出て、階段を下りる。
洗面所に向かう途中、キッチンの方から料理の匂いがしてきた。
(⋯⋯誰かいるのか?)
洗面所で顔を洗い終えると、キッチンに顔を出す。
そこにはやはり、鴛鴦さんの姿があった。
「おはようございます。烏羽さん」
エプロン姿でこちらをくるりと振り返り、笑顔を浮かべていた。
「⋯⋯⋯おはようございます」
まだ寝ぼけていたが、そんなもの、目の前の笑顔で弾け飛んだ。
(うん⋯昨日の好きは一時の錯覚かと思ったけど⋯やっぱこの気持ちは嘘じゃない、好きだな、この人が)
その笑顔を見ると、心がほんわかする。
憂鬱な朝も吹き飛ぶ。
この人、パワースポットか何かなのだろうか。
「⋯朝ごはん作ってるんですか?」
「はい。旭さんに朝ごはん頼まれて、朝の五時から作ってたんですけど⋯⋯あの人遠慮というもの知らないのか、六合炊いたのに全部食べちゃったんです!おかずも、僕と透さんの分まで、全部!!⋯だから作り直してます」
「ろ、六合?⋯一人で?」
「はい、一人で!!完全に油断してました⋯
最近は三合で足りてたから足りるとばかりに⋯」
「す、すごいですね⋯」
(あの人の胃袋はブラックホールか何かかよ⋯)
「あっ、烏羽さんは朝ごはんどうしますか?あれだったら作りますよ?もちろん食費は後でもらいますけど!」
「え⋯い、いやいいですよ⋯俺、金無いし⋯これで充分です」
そう言って、昨日の夜買ったスティックパンを取り出す。六本入りで、百三十円。俺の救世主だ。
「え、それだけですか?」
「はい。今日は三本食べて、明日の朝、残った三本を食べる。これでだいぶ食費が浮くんですよ」
いつだったか、ガチャで大爆死した時はどれだけこれにお世話になったことか⋯
泣きながら食べていたあの日を、昨日のことのように思い出せる。
俺のその言葉に鴛鴦さんは、眉をひそめる。
「⋯⋯まさか、課金ですか?」
「うっ⋯は、はい」
バレた。かっこ悪っ。
「やっぱり!昨日、言ってましたもんね。ソシャゲ派だって!もー!⋯食費削るほどってどれだけ課金してるんですか!」
「あっ⋯うっ⋯ご、ごめんなさい」
反射的に謝ってしまった。
今までの俺だったら、「知るか」と流していたはずなのに――
(嫌われたくない)
そう、強く思っていた。
「⋯よし!大丈夫です!僕が烏羽さんの分の朝ごはんも作ります!!」
「え、えぇ!?そ、そんなの悪いですよ!!」
「いいんです!僕が決めたんですから!そんな食生活するなんて、僕の目が黒いうちは許しません!!」
「うっ⋯で、でも俺、金が⋯⋯」
「お金も烏羽さんの''いつもの一食分''のお金でいいです!!」
「は、はぁ!?それ割に合わないでしょ!?」
「いいんです!それに、そんな食事してるの透さんが見たら真似しちゃうからダメです!!だから協力してくださいね!」
ぷくーと頬を膨らませ、強く言う。
(⋯可愛い)
怒ってるのに、なんだか小動物みたいに可愛くて――
そんな姿さえも、キラキラ輝いて見えてしまう。
「わ、わかりました⋯」
その可愛さと、まっすぐな押しに負けて、俺は折れた。
「うん、よろしい!」
鴛鴦さんはぱっと表情を明るくして笑う。
「もうすぐできますから、待っててください!」
そう言うと、くるりと背を向けた。
フライパンに黄色い卵液を流し込むと、ジュウゥと心地いい音が響く。
菜箸を動かす手は迷いがなく、焼けた卵がくるりと巻かれていく。
「は、はい⋯」
困惑しながらも、とりあえず俺は椅子に座る。
――なんだか、胸の奥が温かい。
(⋯⋯⋯結婚してるみたいだなぁ)
――何言ってんだ俺。気持ち悪い。
俺なんかが、こんな気持ち持っていること自体、烏滸がましいのに。
それなのに、こんなこと考えるなんて⋯万死に値する。
(聖域に入ってはいけないんだよ、俺。見守るだけで充分だろ?)
自分にそう言い聞かせる。
そうだ⋯五感のひとつが死んでるやつが幸せになんてできるわけないんだから。
「はーい、できましたよー」
その声で現実へ引き戻される。
目の前には、湯気が立てるご飯と味噌汁。ふんわり焼かれた卵焼き、付け合わせのほうれん草のおひたし。
そして、焼き鮭。
(⋯⋯こんなちゃんとした朝ごはん、何年ぶりだろう)
俺は感動を覚えた。
「どうぞ、召し上がってください⋯⋯あっ!魚食べられます?生魚苦手って昨日言ってましたよね?」
「え?⋯あ、覚えていてくれたんですね」
「もちろん!一緒に住んでる人の好みは把握しておきたいですから」
(⋯⋯すごいなぁ)
当然のことと言わんばかりに笑顔で言う彼は――とても眩しく感じた。
「⋯⋯あの、実は⋯俺、魚はどうも苦手で⋯肉は食べられるんですけど」
大丈夫だと言って我慢して食べればいいのに。
そうした方が楽なのに。
彼の前では、それができなかった。
嫌われただろうかと思いながら、恐る恐る彼の顔をうかがう。
けれど、彼はにこりと微笑んでいた。
「そうだったんですね」
「⋯⋯⋯怒らないんですか?」
「え?」
「いや、母親が⋯嫌いなものあるとすごく怒る人だったんで」
一瞬だけ、空気が止まる。
けれど、鴛鴦さんは穏やかな笑みを崩さずに言った。
「怒らないですよ!嫌いなものがあることは仕方の無いことです。僕みたいに料理を作る人からしたら大事なのは、それを''どうやって食べさせるか''なんですよ?」
「どうやって⋯?」
「はい!例えば昨日のカレーみたいに野菜をすりおろして食べさせたり⋯あっ!ハンバーグに入れるのもいいですね!無理やり食べさせるんじゃなくて、''美味しい''って思えるもので食べてもらうのが大事なんです!」
「美味しい⋯と、思えるもの」
そんなこと考えたこと無かった。
『食べなさい!食べないと大きくなれないわよ!』
『少し噛んだら、飲み込みなさい!お母さんをこれ以上苦しませないで!!』
――嫌いなものは無理して、苦痛に耐えながら飲み込まないといけないと、教えられてきたようなものだから。
「だから、食べられなくても気にしないでください!これは僕が食べますから!」
そう言って、鴛鴦さんは焼き鮭が乗った皿を自分の方に寄せた。
「あと、食べられないものあります?」
「えぇと⋯⋯や、野菜も⋯ダメで」
ちらりとほうれん草のおひたしを見ながら言う。
「ありゃ?もしかして、烏羽さん偏食さんですか?」
「偏食さんって⋯ははっ、そうですね。偏食さんですね、俺は。」
少し笑って答える。
なんだか、その言い方が可愛いくて、思わず笑ってしまった。
「⋯ふふっ、烏羽さん。初めて笑ってくれましたね」
「え⋯?」
そうだろうか?
――そうかもしれない。
そう言えば、最近、笑った記憶がなかった。
「ずっと硬い顔だったから心配してたんです。でも、笑ってくれてよかった」
「⋯⋯ありがとう、ございます?」
「ふふっ、なんで疑問形なんですか」
「ははっ、何ででしょうね⋯。あ、いただきますね」
箸を手に取り、味噌汁を一口飲む。
「⋯⋯美味い」
こんな美味しい味噌汁⋯生まれて初めてかもしれない。
ふと、母親に味噌汁を思い出した。
味噌が溶けきっておらず、底に塊が沈んでいて、飲む度に地獄を見たり⋯
そもそも出汁を入れ忘れてる日があったりと散々だった。
そんな味噌汁でも、食べないと文句を言われていた。
(これが⋯本来の味なんだな⋯)
胸がじんわりと熱くなる。
不思議とこの一口だけで、全部が満たされる気がした。
「よかった!豆腐の味噌汁ですけど、大丈夫ですか?」
「豆腐は⋯大丈夫です」
「なるほど。じゃあ、あとはほうれん草のおひたしが食べられない感じですかね」
「そうですね⋯卵焼きは食べられるんで」
「OKです!」
鴛鴦さんはそう言うと、にこっと笑う。
――なんだか照れくさくなり、視線を逸らした。
「⋯あっ!烏羽さん、お昼はどうしてるんですか?」
「お昼⋯?あぁ、カップ麺でも食べようかと――」
「よし、わかりました!」
ぱん、と手を叩く。
――何か嫌な予感がする。
「お弁当作ります!!」
「え!?い、いや!そんなことまでされるわけには――」
「いや!というか、作らせてください!!」
身を乗り出す勢いで言われてしまう。
「は⋯⋯はい⋯お願い、します⋯」
――その、押しに完全に負けてしまった。
「よし!じゃあ作りますね!!」
鴛鴦さんは、にこにこした笑顔で言うと、またキッチンへ戻っていく。
(お昼まで作ってもらうなんて⋯申し訳ないな)
――でも、嬉しい。
「烏羽さん!比較的食べれる野菜って何かありますか?」
鴛鴦さんが、キッチンの方から明るい声で聞いてきた。
「え?あー⋯⋯じゃがいもなら?」
(ポテチが食べれるなら、いけるはず⋯⋯多分、比較的、大丈夫なはず)
そう自分に言い聞かせる。
最後に食べたじゃがいも料理が焦げまくっていたのを思い出す。
「じゃがいもですねー。バターは大丈夫ですか?」
「は、はい⋯」
「OKです!じゃあバターで炒めて、醤油と砂糖で甘辛く味付けしますね!」
「お、お願いします⋯」
そう言い、俺は次に卵焼きを口にする。
「⋯これも、美味い」
昨日の卵焼きは甘かったが、今日はしょっぱい。
けど、美味い。
「卵焼き、昨日と違って出汁巻き卵なんですけどどうですかー?」
「あ、はい⋯⋯美味しいです。俺、こっちの方が好きかもしれないです」
「あっ、そうなんですね。昨日のは手巻き寿司に合わせて甘めにしてたんですよ!なるほど、烏羽さんは出汁巻き派なんですね⋯覚えておきます!」
嬉しそうに鴛鴦さんは言った。
卵焼きをもう一口食べる。
何かが欲しい――そうだ、白米だ!
ご飯を口にかきこむ。
――美味い。
(ははっ、さっきから美味いしか言ってねーな)
でも、それが本音だ。
昨日から、俺の中で''食事''の意味が変わりつつある。
「烏羽さーん!ふりかけは何が食べられますか?」
「あっ、のりたまだったら⋯」
「OKです!!」
明るい声がキッチンに響く。
バターと醤油の香りが鼻をくすぐる。
(いい匂いだな⋯)
キッチンからこんな匂いが漂ってくるなんて、今まで無かった。
(料理の匂いって⋯こんなにいいものだったんだな)
思わず、笑みが零れる。
「よし!できましたよ!!」
その声に顔を上げると、鴛鴦さんは満足そうに弁当箱を見つめていた。
「早いですね⋯」
多分、十五分ぐらいしか経っていない。
「簡単なものばかりですからねーあ!時間大丈夫ですか?」
時計を見る。
――そろそろ支度して、出ないとまずい。
「やばっ、着替えないと。ごちそうさまです⋯⋯お、美味しかったです」
俺がそう言うと
「はい!お粗末さまです!」
と、鴛鴦さんは相変わらずにこにこした顔で返してくれた。
「お弁当包んでるんで、着替えてきてください。玄関で渡しますね。あ、あと着替えた服ももらいますよ?洗濯しときます」
「な、何から何までホントにすみません⋯」
「いえいえ!」
申し訳なさを存分に感じながら、二階に上がってスーツに着替える。
鞄と脱いだ服を持って下に降りると、玄関で鴛鴦さんが待っていた。
「はい!脱いだ服もらいますね⋯それと、お弁当です!」
「あ、ありがとうございます⋯」
脱いだ服を渡した後、弁当を受け取る。
その時、鴛鴦さんの手に一瞬触れた。
温かい。
もっと触れていたい――そんな衝動が、一瞬よぎる。
(⋯馬鹿。落ち着け)
けど、すぐに我に返り、そっと弁当を鞄にしまう。
「気をつけて行ってくださいね!今日は午後から暑くなるみたいですから、水分補給は忘れずにしてくださいね?」
(あれ?俺、結婚してたっけ?)
そんな馬鹿なことをつい考えてしまうが、頭を振る。
「⋯⋯はい、行ってきます」
「いってらっしゃいです!!」
鴛鴦さんは笑顔で手を振り、そう言って送り出してくれた。
(⋯⋯新婚かな?)
また馬鹿なことを考えてしまった。
玄関を出ると、柔らかい朝の光が差し込んだ。
ここから駅まで歩いて二十分ほど――
苦痛なはずなのに、全く苦じゃない。むしろ軽い。
きっと、彼の笑顔のおかげだ。
鞄の中が温かい。きっと、弁当のぬくもりのおかげだ。
今日は、なんだか頑張れる。
――そう思えた。
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