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されど、止まらず進もう。
十二時――。
昼休憩の時間だ。
パソコンのモニターをスリープにし、軽く伸びをする。
デスクの下に置いていた鞄を引き寄せ、中から弁当を取り出した。
あれから時間が経っているのに、まだ温かいように感じた。
蓋を開ける。
ふわりとバターの香りがする。
(⋯⋯いい匂い。そして、綺麗だ)
弁当箱を見る。
白いご飯の上には、のりたま。
おかずは、卵焼きにウインナー。
そして、朝言っていたじゃがいものバター醤油炒め――
(焦げてない⋯黒くない)
それだけのこと、されど俺にとっては重要なことだった。
「おーい、烏羽ー」
声をかけられ、振り返る。
そこに居たのは、同期の瀬戸 美海斗(せと みうと)だった。
明るくて、誰とでも話せる器用なやつだ。
正直、得意ではないが話しやすいのは確かだ。
陽キャが嫌いなのは九割こいつのせいだと言っても過言ではない気がする。
「珍しいな。カップ麺ばかりのお前が弁当か?⋯⋯もしかして、彼女でもできたのか?」
「⋯⋯まさか。そんなんじゃねぇよ」
「まさか作った?そんなわけねーよな。廃課金者で自炊しないお前がそんな手のかかることしないもんな!」
「キモっ⋯推理すんなよ」
「推理じゃねーし!事実だろ?で、それなんだ?」
「⋯⋯昨日引っ越したんだけど、シェアハウスなんだよ。そこの同居人が作ってくれた」
「はぁ!?お前みたいな人間がシェアハウス!?⋯さては、安さに釣られただろ?お前金ねーもんな!」
「だから推理するな⋯そうだよ」
「そんで、そこの同居人に作ってもらったと⋯ふ〜〜〜ん」
――とても、含みのある言い方だ。
うざい。
「⋯⋯んだよ」
「お前みたいな?偏食の?やつが?しかも?作ってもらって嫌そうじゃない?気になりすぎるだろ?」
「いちいち、語尾に''?''をつけるな!うっとおしい!!」
「こりゃあれだろ?ズバリ、惚れただろ!!」
ビシッとカッコつけて俺を指差す瀬戸。
「な、何言って――!!」
「知ってるぞー?お前が『後が面倒だから』って人の好意を受け取らないようにしてるのを!」
(⋯こいつ、知ってやがったのか。だから好きになれねぇ)
「そんなやつが、好意でしかない他人が作った弁当を職場に持ってくるなんて――そいつに惚れてる!
それしかない!!どうだ名探偵美海斗くんの推理は!!」
「⋯⋯⋯⋯」
当たってる。だからこそ、腹が立つ。
顔が熱くなり、かぁっと赤くなるのを感じる。
やめろ、そんなことしたら、声に出さずとも『正解』と言っているようなものじゃないか。
「おややー?顔が赤いですよー、氷河くん?」
「⋯⋯うるせぇ、下の名前で呼ぶな。殺すぞ」
「やだ〜物騒〜!!図星だからって、言葉を刃にして振りかざすの禁止だぞ☆」
(うぜぇ⋯⋯)
正直、一番バレたくない相手にバレた。
もうおわかりだろう。理由は単純、うざいからだ!
特に恋愛事になると、妙に突っ込みたがる癖がある。
(他人の恋愛事に突っ込むやつなんて、女でも面倒なのに⋯こいつだとよりだるい!!)
「いや〜同期で一番『独身貫きそう』だった烏羽が、まさか恋なんてな〜。くぅ〜、楽しくなってた!!」
「⋯⋯お前、他のやつに絶ッ対言うなよ!」
「おけまる、おけまる!こんな美味しいネタ他人に奪われてたまるか!!」
(ホントかよ⋯)
とんでもなく、不安だ。
(⋯⋯まぁ、そんときはバレない程度に半殺しにすりゃいい)
「もうわかったろ!邪魔だ、あっち行け!」
しっしとハエを追い払うかのように手を振り、離れろと圧をかける。
「えぇー!こんな美味しいネタが目の前にあるのに離れるなんてやだ!!」
――が、こいつにはどうやら通用しないようだ。
「はぁ!?お前、飯食いに行けよ!!いつも外で食ってるだろ!?」
「ふふーん!なんと、今日は神のお告げにより、買ってきているんだな!!」
じゃーんと得意げに手に持っている袋を高く掲げる。
「なんか今日は、お昼を買うといいことがあるって夢で見たんだよなー。半信半疑だったけど、信じて正解!!」
「⋯⋯⋯⋯」
ひどく、嫌な予感がする。
「昼飯、一緒にた〜べよ!!」
「嫌に決まってんだろ!!」
「え〜いいじゃ〜ん。減るもんじゃないし〜恋バナしようぜ〜!」
そう言うと、ドカッと隣の席に座った。
「おまっ⋯そこは田所の席だろ」
今、瀬戸が座ってるのは同期の田所のデスクだ。
びっくりするほど腰が低くて、引くレベル。
上からも下からも突っつかれて、大変なやつだ。
「え?まぁ、大丈夫でしょ!あいつなら怒らないって、優しいし」
「⋯⋯あとで怒られても知らないぞ」
「大丈夫だって!それにあいつ、今日は外回りだから!!」
「理由になってねーよ」
「いいからいいから!!さぁ話せ!そして俺に恋という名の潤いをくれ!!」
「黙れ。そのまま干からびろ」
「やだやだ〜!!話さないと泣くぞ!!二十六歳のガチ泣き見たいか!?俺は嫌だぞ!!」
「チッ⋯⋯面倒くせぇ。⋯⋯⋯⋯⋯⋯わーったよ。話せばいいだろ!話せば!!」
「やりやりやり〜!!!待ってました!流石、話せばわかる男!」
(⋯⋯今すぐ顔面殴りてぇ。社会的に許されないからやらないけど、この世が世紀末だったら確実にやってる!!)
――物騒な妄想が頭をよぎるが、なんとか理性を取り戻す。これも日々の自制のおかげだ。
「で、どんな人?」
瀬戸はおにぎりを頬張りながら、ニヤニヤと問いかけてきた。
「どんなって⋯⋯優しい人だよ」
「それだけじゃないだろ?」
「⋯⋯笑顔が素敵な人だよ。俺なんかのために、料理を作ってくれる」
「へ〜〜家庭的な人なんだな」
「多分な。洗濯もしてくれるし、朝ごはん作ってくれたし⋯何より、弁当も作ってくれた」
箸を手に取り、じゃがいものバター醤油炒めを口に入れる。
噛んだ瞬間、ほくほくとした食感が広がる。
バターのまろやかさのあとに、醤油の甘辛い香ばしさが口の中を駆け巡る。
しっかり味がついてるのに、くどくない。
(⋯⋯美味い。これなら食べれる)
そう素直に思えた。
(弁当で美味しいと思えるなんて⋯初めてだ)
母親の焦げた弁当を思い出して、少しうるっと来る。
「へぇ〜〜⋯それ男?」
ぴたっと箸が止まる。
喉が、ひゅっと鳴った気がした。
「⋯⋯なんで、男って?」
自分でも驚くぐらい、低い声が出た。
瀬戸はおにぎりを咀嚼しながら、首を傾げて言う。
「んん〜?⋯⋯お前ってさ、女に対してそんな距離近くないじゃん?
何年経っても経理の山本さんや田中さんに一定の距離感、保ってるし。
ソシャゲの推しは女キャラだけど、それも''顔''じゃなくて''ストーリー''で好きになったって言ってただろ?
そんなやつが女にハマっても、洗濯まで任せるほど心を開かない。だから男かな、って」
(こいつ、よく見すぎだろ⋯)
ここまで来ると、尊敬すら覚えるほどだ。
「どうだ!名探偵の推理力は!!」
「⋯⋯俺の態度見ればわかるだろ」
「確かに!!」
瀬戸はパチンと指を鳴らして、豪快に笑った。
――うざいが、心の底から憎めない。
「まぁ、でも俺はいいと思うぞ?今の時代、誰を好きになろうが関係ないし。
何より――お前が楽しそうなら、それでいい」
「⋯⋯⋯そうかよ」
照れくさくなり、ぷいっと横を向く。
そのまま少しの沈黙。
瀬戸はニヤニヤと笑いながら、おにぎりを一口かじった。
「それでさー、キスしたの?」
「ぶっっっ!!!」
思わず口の中の米粒を吹き出しそうになった。
デスクが大惨事になるところで止まったのは奇跡だろう。
「おまっ!?するわけないだろ!?」
「おぉ〜!今のでよぉーくわかった!!烏羽お前、ピュアだな!まだキスもしてないとは!」
「普通、出会って数日でキスするわけねぇだろ!!」
「確かに〜?ごめんって!俺が悪かったよ、からかってごめんって!!⋯⋯というか好きって言ったのか?」
「⋯⋯言うわけねぇだろ、そんなこと」
「''そんなこと''⋯?お前、そんなことって言ったか?」
一瞬、空気が変わった。
「な、なんだよ⋯」
すっと笑みをなくして、真面目な顔を俺に向ける瀬戸。
――瞳の奥が笑っていない。
「⋯⋯いいか?烏羽。お前は恋愛を軽く見すぎだ。
''見ているだけでいい''だって?
俺はさ、人に説教するほど立派な恋愛してきたわけじゃねぇけど――
これだけは言える。ふざけるな」
――声が、少し震えていた。
「お前、その人が誰かと付き合ったらどうするんだ? ましてや結婚したら?
そりゃ''おめでとう''って言うよな。でも心の底から絶対思ってねぇ。
現実に直面して、初めて気づくんだよ。
玉砕してでも、言えばよかったって。
''あの人が幸せならそれでいい''――そんなの、物語の中の幻想だよ。
⋯⋯現実はさ、悔しくて、後悔して、死にたくなるんだよ」
⋯⋯⋯⋯黙ってしまった。
瀬戸の見たことないシリアスな一面を見たのもある。
瀬戸の言ったことは正論だ。
けど、痛みを伴ってる正論に見えた。
「⋯⋯お前、過去になんかあったのか?」
思わずそう聞いてしまった。
「ちょっとな⋯恋愛事で痛い目見たんだよ。だから他の人には――そんな想いしてほしくないんだ」
瀬戸は、どこか遠くを見るように笑った。
その笑顔は、らしくない下手くそな笑顔だった。
「⋯それに!恋は行動あるのみだぜ?止まってたら勿体ない!人なんてほっといたらすぐ寿命が来るんだから、動かなきゃ損損!!」
いつもの軽口に戻る。
けれど――その明るさが、どこか痛々しく見えた。
しばしの沈黙。
俺は弁当に視線を落としながら、ぽつりと呟いた。
「⋯⋯お前の言いたいことよくわかったよ。けど、俺なんかが告白したってさ――」
「バカ!''俺なんか''なんて言うな!!お前なんでそんな自己評価低いんだよ!
俺ほどじゃないけど、お前の顔は悪くないぞ!」
「一言余計なんだが」
確かにこいつの顔は整っているが、''俺ほどじゃないけど''と言われるとムカつく。
「恋は当たってなんぼだぜ?お前、ガチャで爆死しても次のガチャ来たら引くだろ?」
「そりゃ⋯まぁ」
「それと同じだよ。爆死するかもしれないけど引く。恋も同じだよ。振られるかもしれないけど、言わなきゃ何も始まらない」
「なんだよそれ⋯それで爆死したらどうするんだよ。一緒に暮らしてるんだぞ」
「そんときはそんときだ!死にやしないだろ!!」
「無責任な⋯」
「無責任?どこがだよ!⋯⋯言わないよりはマシだよ。''昨日のことみたいに''思い出すんだよ。
――あの時、告白したらなにか変わったのかな、ってさ」
――そう言う瀬戸の声が、やけに遠く聞こえた。
「⋯⋯けどさ、俺は怖いよ。爆死も怖いけど、それ以上に告白して嫌われるのが」
「怖くて当然だろ。誰だってそうだ、嫌われるのが怖いなんて――でも、嫌われた方が良かったかもしれないと思うときもあるんだぜ」
瀬戸は空になったペットボトルを弄びながら、かすかに笑う。
笑っているのに、苦しそうだ。
それを見て、何を言ったらいいかわからなくて黙ってしまう。
(後悔する⋯か)
瀬戸の言葉が、頭の中で何度も反芻される。
(見ているだけでいい――そう思ってた。
でも、癪に障るけど、こいつを見てると''それじゃダメかな''って思えてきた)
ちらりと弁当箱に目を落とす。
まだおかずが残っている。
じゃがいもを口に運ぶ。冷めているのに、不思議とあたたかい。
(美味いな⋯⋯やっぱ、このあたたかさを手放したくない)
「⋯⋯なぁ。瀬戸」
「ん?」
「⋯⋯どうすれば、告白できる距離になれると思う?」
俺の言葉に、瀬戸は一瞬驚いたように目を瞬かせ――
すぐにいつもの調子でニッと笑った。
けれどその笑顔は、どこか優しく、どこか面白そうで――
不思議と、悪くなかった。
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