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第12話 たぶんこれが好きってこと

『あのさ、この前言ってた……相楽課長を見かけたホテルの名前、聞いてもいい?』 『◯◯駅前の、ビジネスホテルです。地図送りますね~』 『ありがとう』 部下とそうやり取りをして、時計を見た。 十九時。 いつもならそろそろ仕事を上がれるかと清流と連絡を取り合う時間だ。 念の為、退社する前に開発部に顔を出して、清流の所在を確認する。 今日は社外の取引先に顔を出したあと帰社予定だったが、直帰すると連絡があったらしい。 外に出ると、そこそこ濡れそうな雨が降っていた。 僕は清流が持たせてくれた折り畳み傘を広げて、部下から聞いたビジネスホテルのある駅へと向かう。 僕の勘違いかもしれない。 それに、清流の会う相手がヤクザのような人のほうなら、きっと僕の行動は徒労に終わるだろう。 それはそれでいい。 ただ僕が、確認したくなっただけだ。 僕はビジネスホテルの向かいのビルの二階にある喫茶店を訪れ、窓際の席に腰を掛けた。 コーヒー一杯が千円する店で良かった。 長居しても、文句は言われないだろう。 夕飯代わりになるものもついでに注文し、鞄から新聞を取り出して、目を通すフリをしながらビジネスホテルの出入り口を観察する。 しばらくして、今朝見たロング傘で相合傘をするカップルがやってきた。 ビンゴだ。 出入り口で傘を畳む時に見えた人物は、男が清流で女は僕の知らない人。 僕が知る限り、社内の女性ではないだろう。 姿格好からしても、どちらかといえば夜の仕事に就いていそうな感じがした。 時計を見れば、十九時半。 そして二人がホテルから出てきたのはそれから一時間半後の、二十一時のことだった。 二人がホテルから出てきたところを追い掛け、後ろから普通に声を掛ける。 「清流」 「……世那! こんなところで」 「こんなところで、何してるの?」 清流が使おうとした言葉を、そのまま笑顔で返した。 清流の腕には、先ほどの綺麗な女性がぶら下がっている。 「……っ」 「お知り合い?」 「そうです」 返事をしない清流に代わって、女性の問いかけに僕が頷いた。 「すみません、取り込み中だったみたいですね。僕はこれで失礼します」 「世那、あとで……」 我に返って慌てて話し掛けようとした清流の言葉を遮り、笑顔で告げる。 「じゃあね、また。僕はに帰るから」 僕はそれ以上言葉を発することの出来ない清流を置いて、雨の中ひとり、駅に向かった。 *** 「世那、誤解だ」 「僕は誤解なんて、してないよ」 二十二時半。 居候をしていた清流の家ではなく、更新期間まで残り二カ月弱の自分の家、に帰って来た僕を、清流が訪ねて開口一番にそう言った。 「立ち話は迷惑だから、中に入って」 「ああ」 僕が部屋の中へ招き入れたことにホッとしながら、清流は僕の家にあがった。 初めてあがった僕の家の中が珍しいのか、何一つ見逃すまいと思っている刑事のようにキョロキョロしている。 そんな清流を見て、つい笑いが込み上げそうになった。 そう、僕は誤解をしていない。 清流があのホテルから女と出てきたところを見ても、その女と何かがあったわけじゃない、と盲目的だとしても信じられる何かが清流にはあった。 多分、「人生で一番大事な時」だと、電話相手に話していたことを聞いたから。 それに、清流がさっきの女性と一緒にいる時の表情を見たから。 それは、クラスメイトの女の子に囲まれていた時の高校時代と同じ、全く楽しそうではない冷たい表情だった。 間違いなく、清流は僕のことが好きだ。 だったら僕の今のこの行為はなんなのかというと、本当のことを話してくれない清流に少しムカついたので、清流が話さざるを得ない状況に持ち込んだだけのことだ。 「清流が綺麗な人とイチャイチャしながらビジネスホテルから出てきたところを、僕に見られたという事実があるだけだよ」 「だから、それが誤解なんだって!」 「何か申し開きがあるなら、聞くけど。ないなら出て行ってくれるかな」 僕はにっこり笑って、玄関を指さす。 「……ちょっと待ってろ」 清流は青い顔をしながらポケットからスマホを出して、誰かを呼び出した。 そして、電話口に出た相手に怒鳴る。 「お前のせいで拗れたぞ! だから嫌だったんだ、責任取って説明しろ! このせいで世那を失ったら、絶対ブッ殺……許さねぇ!!」 「清流、ちょっと落ち着いて」 想像以上に清流が殺気立っていて、驚いた。 元ヤンが垣間見える。 「……ああ、悪い。世那、電話、代わってくれるか?」 清流の縋るような視線を側頭部に感じつつ、僕は清流のスマホを受け取る。 単なる通話じゃなくて、テレビ通話になっていた。 そしてそこには、ヤクザとしか思えない強面の壮年男性が眉を下げ、しきりに謝っていた。 結論から言えば、ヤクザだと思っていた男性は警察の人間だった。 守秘義務があるため詳しくは話せないが、危険なため直接は接触出来ない状況のあの女性に、清流経由で色々とやり取りをしていたらしい。 女性は裏社会の大事な情報を握っていて、その筋の者たちからマークされている最中だという。 仕事柄お客さんと寝ることもあり、あのビジネスホテルはよく使うとかで、清流は彼女のお客さんの一人に扮して接触するよう、今まで五回依頼したらしい。 「すまない。相楽は四ヶ月前にはやめると言ってたんだ。しかし、相楽ほど怪しまれずに直ぐに動かせる人間が見つからなくて、前回と今回、こちらが無理を言って従わせたんだ」 「そうだったんですね」 「好きな人に誤解されるようなことはもうしないと言っていたのに、そんなものより事件解決のほうが大事だと、たかが人ひとり会うのに遭遇するわけがないだろうと、高を括ってしまって」 「俺には事件なんて関係ねぇ、世那のほうが大事に決まってるだろうが」 「清流はちょっと、黙っててくれるかな」 「ははは、まさか相楽が好きな『セナさん』が男性だとは思わなかったが……誤解させてすまなかった。相楽が彼女とは何もないことは俺が保証するから、どうかここは大目に見てやってくれないか?」 「はい。色々教えていただき、ありがとうございました」 状況が理解できた僕は通話を切ると、清流に尋ねる。 「話はわかったけど、清流がこの人の依頼を受けたのはどうして?」 「そいつには昔、世話になったんだ」 「昔……?」 清流は観念したように、溜息を吐く。 「高校三年の時。足を洗うっつうか、少し絡みのあったとあるグループと縁を切る時、俺ひとりじゃどうにも話にならなくて、難しかった時があって。そん時、かなりお世話になったんだよ。だから今回、向こうが俺を頼ってきた時、引き受けちまったんだ」 「守秘義務があるのはわかるけど、一般人なんだし僕には話してくれれば良かったのに」 心からそう思いながら首を傾げると、清流は顔を赤くしながら視線を逸らした。 「恥ずかしくて、言えるわけがないだろ……」 「警察に協力することの、どこが恥ずかしいの?」 「協力すること自体じゃなくて、協力する羽目になった理由が恥ずかしいんだって」 つまり、清流にとって、高校時代は黒歴史なのかな。 「けど、反省してる。今回が最後だし恥ずかしいからって理由で話さなかったせいで、世那が俺のところからいなくなったら一生後悔するところだった」 ぐっと眉根を寄せて、清流はこちらに手を伸ばす。 僕はわざとその手をふいと避けて、傷ついたような顔をした清流に苦笑しながらタオルを渡した。 「ほら、タオル。コートも足元も濡れてるよ」 「あ、ああ、ごめん」 ポタポタ、と防水コートの端から雨の雫が垂れて、床を濡らしていた。 それはスマートで几帳面な清流らしくない振る舞いだ。 きっと濡れていることにも気付かずに、夢中でここへ駆け付けてくれたのだろう。 タオルで水滴を拭う清流を見ながら、僕は口を開く。 「ねぇ清流、今回のことで気付いたんだけど」 「ん?」 気付いたというより、改めて自覚した、のほうが正しいかもしれない。 「僕はね、さっきの女性と清流の仲を勘違いしていないにも関わらず、嫌だって思ったんだよね。誰かが清流と腕を組んで、歩いていることがさ」 清流の腕に、ぎゅっとしがみついた。 男同士の僕たちは、外でこんなふうにして歩くことはできない。 多分、これから先も、ない。 「たぶんこれ、僕が清流を好きだってことなんだよね」 「……さっき、世那の背中を追い掛けられなかった時。マジで終わったって思って、目の前が真っ暗になった。地獄みたいだった」 「うん。清流も少しは、僕に話さなかったこと、後悔したでしょう?」 「した。滅茶苦茶した」 「じゃあ、仲直りしようか」 僕は清流の首に自分の両手を引っ掛けると、グイッと引っ張って、その冷たい唇に自分の唇を押し付けた。

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