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一章 * 養い子ベータの純心-3

 ふと夢の中をたゆたう秋弥の中に、絵が浮かぶ。  幼い頃、父と母と手を繋いで、無邪気に遊んでいた頃の絵。  一人っ子だったこともあり、いつでもかまって欲しいと抱きついて甘え、好き勝手にワガママを言って、両親が苦笑いしながらも応えてくれていた。  それが事故で唐突になくなった。  当たり前だと思っていたものが消えて、取り戻したくて、でもどうしようもできなくて、途方に暮れて──聖司が手を繋いでくれた。  もう両親の手のぬくもりは覚えていない。聖司の大きくて、骨ばって、いつ握っても冷たい手が、秋弥の心の支えに切り替わっていた。  ずっと秋弥を救ってきた聖司の手の記憶。  だが、今はそれが切ない。 (もう離れないと……俺の気持ちが聖司さんにバレてしまう前に……家族じゃなくて、恋人になりたいなんて……)  秋弥の意識が浮上し、思考が巡り始める。  すると目まぐるしく今までの記憶が浮かんでは消え、秋弥に訴えかけてくる。  聖司に認めてもらいたかった。  自分のことを好きになってもらいたかった。  だからワガママばかりだった自分を抑えて、少しでも聖司が喜ぶように努力した。  行儀よくしながら勉強に励んで、でも活発に身体は動かして、素直で朗らかな人間であろうとした──聖司がいつも褒め称えていた、父・(れん)()ような人間を目指してきた。  父に近づけたのかはわからない。思い出の父は遠い過去になってしまい、今は顔さえもうろ覚え。  写真を撮られるのを嫌がる人だったと聖司は言っていた。そのせいで写真が一枚も残っていない、と。父のことは聖司の昔話でしかわからない。  父の思い出を語る聖司は、いつも優しい顔をしていた。  秋弥が父を真似てサイクリングを趣味にしたり、父の好物だったクッキーを好きだと言ったりした時も、同じ顔をしていた。それが見たくて父に近づけるように努力して、大学は父と同じ学科に行った。成績も父に近づけようとして勉学に励んだ。しかし大学の成績は、可もなく不可もなく。優秀な父ほどの頭はなかった。  どこまでも平凡なベータなのだと悟ってしまって、心が折れた。  父のような人間でなければ、聖司は自分に笑顔を向けてくれない。  そして父は聖司に永遠の友愛を向けていたはず。恋心を持っていたなら、母と結婚して子どもを作り、微笑ましい日々を送ることはなかっただろう、と秋弥は思う。  少しでも父に近づき、親友を失って欠けてしまったであろう聖司の心を埋めたかった──けれど、もう父のようにはなれない。  このまま離れて、優しい思い出だけを聖司に残していければ──。 (……?)  不意に秋弥は身体に違和感を覚える。  身体が熱い。  子どもの頃から熱が出やすく、ずっと夢うつつでうなされてきた。その度に聖司に看病してもらったことは、秋弥にとっては良い思い出だ。  だから身体の深いところから込み上げてくる熱を、秋弥は感じ入る。ふわふわとして、ぬるま湯に漂っているかのような感覚に浸ってしまう。  すると身を包んでいた温もりが消え、秋弥の胸元にスゥッと冷たい空気が当たる。 (聖司さんが、汗を拭きに来てくれたのかも……あれ、でも……)  しばらく自分の部屋で寝ているような気分でいたが、ふと思い出す。今は聖司の研究所に新薬のモニターとして来ていることに──その直後だった。 (……っ……)  胸元に押し当てられた生温かく柔らかな感触と、痛みを覚えるほど強く吸い付かれる刺激。  ドクンッ、と秋弥の鼓動が跳ねる。  意識がハッキリとしていくほどに、身体の中が熱だけではないものに巣食われていることに気づいていく。  熱の中に(はら)んでいる、()(もだ)えたくなるほどの甘い(うず)き。ガリッと胸を硬いものが食い込み、その瞬間に背筋から腰へと(しび)れが走る。  鼻の奥に届く、むせ返りそうな青臭くも甘い果実のような匂い。軽く吐き気を覚えて不快なのに、無性に嗅ぎたくてたまらない。  身体が揺れている。上に重みを感じる。  何かがおかしいとわかるのに、秋弥の身体は完全に目を覚まそうとはしなかった。 (気持ち、悪い……身体の中が変にうねって、めまいが……)  身を(よじ)りたくても力が入らず、少しでも動けば激しい悪心に襲われる。それなのに上に乗っている何かは無遠慮に秋弥を揺さぶり、貪るように身体中に触れてくる。  夢とは思えない生々しさ。今すぐここから逃れたいのに、腰の奥深くが崩れて穴が開き、そこへ何かを埋めたくてたまらない。嫌悪しか感じないものであったとしても、この穴を満たしてくれるなら構わないとすら思ってしまう。  ぐにゃり、と身体の中が(ゆが)んでいく。  無邪気に子どもが粘土をこね、気に入る形になるまで何度も作っては壊してを繰り返されているような感覚。今まで作ってきた自分を失っていくような──。 (……怖いよ、聖司さん……助けて……誰か……っ)  秋弥が心の中でか細く叫んだその時だった。  フッ、と身体の上から重みが消える。  次の瞬間、誰かが秋弥の身体を抱き起こした。 (あ……)   急な動きにめまいが激しくなり、気が遠のく。  それでも怖さは感じなかった。秋弥を抱えた腕に力が加わり、どこか必死に守ってくれているように思えて(あん)()する。  完全に秋弥の意識が途切れる間際。深みのある木の香りに似た匂いがした。

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