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第一章:火花と氷12
二時間目が終わった休み時間。俺は参考書を机に広げ、次の小テストの範囲を確認していた。周囲の喧噪など気にせず、文字を追うことに集中しようとする。
――その瞬間。
「よっ! 委員長、元気してっか?」
聞き慣れた騒がしい声。隣のクラスからわざわざ顔を出した榎本虎太郎が、俺の机に肘をついて覗き込んできた。
「……授業の合間に、わざわざ何をしに来た」
「決まってんだろ、お前がちゃんと人間してるか確認だよ」
勝手に机の上の参考書を指で叩きながら、にやにや笑う。その仕草に数人のクラスメイトが気づき、ざわざわと視線を寄せてきた。
「また榎本だ……」
「ほんと委員長に絡むの好きだな」
俺は眉を寄せ、冷ややかに言葉を返した。
「俺はお前に監視される筋合いはない」
「うわ、今日も冷てぇ~。でも安心した! 昨日のフェロモン騒ぎで倒れたりしてねぇか、ちょっと心配だったんだぜ?」
榎本がわざと大きな声で言ったせいで、クラス全体が一瞬しんとなる。次の瞬間には「え、委員長が?」「珍しいな」と囁きが飛び交った。
「余計なことを口にするな」
「おっと、やべ。口滑った?」
悪びれもせず、榎本は頭をかいて笑う。その破天荒さに、俺の心臓が妙に早く打ち始めた。抑えようとしても、昨日の熱の余韻がまだ身体の奥に残っている気がする。
「ま、倒れたら俺が担いでやっから心配すんな!」
「……授業中は自分の席に戻れ」
「はーいはーい、冷てぇなぁ」
手を振って去っていく背中を、俺は無意識に目で追っていた。
(くだらない。だがなぜだ。なぜあんなにも気になる――)
チャイムが鳴り響き、最後の授業が終わった。教科書を整然と鞄にしまい、机の上を片づけてから立ち上がる。俺の放課後は塾か自習室、どちらにせよ予定は常に決まっている。
――そのはずだった。
「おーい、委員長!」
廊下に出た瞬間、壁に寄りかかっていた榎本虎太郎が声をかけてきた。相変わらず着崩した制服、肩にひっかけたスクールバッグ、そしてあの無邪気な笑顔。
「……なぜ待ち伏せをしている」
「なんでって決まってんだろ。今日は一緒に帰ろーぜ」
「断る」
「はやっ!」
あっけらかんと驚いてから、榎本は俺の腕をがしっとつかんだ。強引な力に、思わず足が止まる。
「ちょ、やめろ」
「いいじゃん。どうせ方向同じだろ?」
「俺は塾に――」
「塾なんてサボれサボれ! たまには青春しろよ、青春!」
榎本は笑いながら、ぐいぐい引っ張った。その手は熱を帯びていて、制服越しでも妙に意識してしまう。抵抗するのも面倒になり、結局そのまま昇降口まで連れて行かれてしまった。
靴を履き替えるときも、榎本はにこにこしながらこちらを見ている。まるで俺の反応を楽しんでいるように。
「なぜそこまで俺に構う」
「そりゃあ――お前がつまんねー顔してるからだよ」
「……つまらない、だと?」
「そう! いつも眉間にシワ寄せてさ。俺は委員長を笑わせてみたいんだ」
その宣言に、一瞬言葉を失う。真剣なのかふざけているのか、榎本の顔からは読み取れなかった。
夕暮れの風が校門を抜ける。隣を歩く金髪のオメガは、俺の秩序だった日常に似つかわしくない存在のはずなのに――なぜか歩幅が自然と合ってしまっていた。
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