13 / 55

第一章:火花と氷12

 二時間目が終わった休み時間。俺は参考書を机に広げ、次の小テストの範囲を確認していた。周囲の喧噪など気にせず、文字を追うことに集中しようとする。  ――その瞬間。 「よっ! 委員長、元気してっか?」  聞き慣れた騒がしい声。隣のクラスからわざわざ顔を出した榎本虎太郎が、俺の机に肘をついて覗き込んできた。 「……授業の合間に、わざわざ何をしに来た」 「決まってんだろ、お前がちゃんと人間してるか確認だよ」  勝手に机の上の参考書を指で叩きながら、にやにや笑う。その仕草に数人のクラスメイトが気づき、ざわざわと視線を寄せてきた。 「また榎本だ……」 「ほんと委員長に絡むの好きだな」  俺は眉を寄せ、冷ややかに言葉を返した。 「俺はお前に監視される筋合いはない」 「うわ、今日も冷てぇ~。でも安心した! 昨日のフェロモン騒ぎで倒れたりしてねぇか、ちょっと心配だったんだぜ?」  榎本がわざと大きな声で言ったせいで、クラス全体が一瞬しんとなる。次の瞬間には「え、委員長が?」「珍しいな」と囁きが飛び交った。 「余計なことを口にするな」 「おっと、やべ。口滑った?」  悪びれもせず、榎本は頭をかいて笑う。その破天荒さに、俺の心臓が妙に早く打ち始めた。抑えようとしても、昨日の熱の余韻がまだ身体の奥に残っている気がする。 「ま、倒れたら俺が担いでやっから心配すんな!」 「……授業中は自分の席に戻れ」 「はーいはーい、冷てぇなぁ」  手を振って去っていく背中を、俺は無意識に目で追っていた。 (くだらない。だがなぜだ。なぜあんなにも気になる――)  チャイムが鳴り響き、最後の授業が終わった。教科書を整然と鞄にしまい、机の上を片づけてから立ち上がる。俺の放課後は塾か自習室、どちらにせよ予定は常に決まっている。  ――そのはずだった。 「おーい、委員長!」  廊下に出た瞬間、壁に寄りかかっていた榎本虎太郎が声をかけてきた。相変わらず着崩した制服、肩にひっかけたスクールバッグ、そしてあの無邪気な笑顔。 「……なぜ待ち伏せをしている」 「なんでって決まってんだろ。今日は一緒に帰ろーぜ」 「断る」 「はやっ!」  あっけらかんと驚いてから、榎本は俺の腕をがしっとつかんだ。強引な力に、思わず足が止まる。 「ちょ、やめろ」 「いいじゃん。どうせ方向同じだろ?」 「俺は塾に――」 「塾なんてサボれサボれ! たまには青春しろよ、青春!」  榎本は笑いながら、ぐいぐい引っ張った。その手は熱を帯びていて、制服越しでも妙に意識してしまう。抵抗するのも面倒になり、結局そのまま昇降口まで連れて行かれてしまった。  靴を履き替えるときも、榎本はにこにこしながらこちらを見ている。まるで俺の反応を楽しんでいるように。 「なぜそこまで俺に構う」 「そりゃあ――お前がつまんねー顔してるからだよ」 「……つまらない、だと?」 「そう! いつも眉間にシワ寄せてさ。俺は委員長を笑わせてみたいんだ」  その宣言に、一瞬言葉を失う。真剣なのかふざけているのか、榎本の顔からは読み取れなかった。  夕暮れの風が校門を抜ける。隣を歩く金髪のオメガは、俺の秩序だった日常に似つかわしくない存在のはずなのに――なぜか歩幅が自然と合ってしまっていた。

ともだちにシェアしよう!