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第一章:火花と氷13

 夕暮れの商店街。制服姿の俺と榎本は、人混みを縫うように歩いていた。本来ならこの時間、俺は塾の自習室で参考書と向き合っているはずだった。だが今は金髪のオメガに腕を引かれ、雑踏の中を突き進んでいる。 「なぁ委員長、腹減ったろ? ここの焼きそばパン、マジでうまいんだ」 「……購買のときもパンだったな」 「細けぇこと言うなって!」  笑いながら屋台へ駆けていく榎本を、仕方なく追いかける。そのとき空気が一変した。すれ違った他校のアルファ6人が榎本を見て足を止め、鼻をひくつかせながら、いやらしい笑みを浮かべる。 「おい……オメガだぞ」 「しかも派手な金髪で目立ってる。いい度胸だな」  胸の奥が冷たくなった。フェロモンを嗅ぎ取った彼らが、榎本を囲もうとしている。俺が一歩踏み出すよりも早く、榎本がにかっと笑った。 「おいおい、オメガだからって舐めんなよ?」  次の瞬間、殴りかかってきたアルファの拳を受け止め、そのまま豪快に投げ飛ばした。地面に叩きつけられる音が響き、通行人の視線が一斉に集まる。 「おい榎本、やめろ!」 「大丈夫だって! 俺はオメガでも喧嘩は負けねぇ!」  笑いながら立ち回る榎本。しかし数の差は歴然だ。このままでは被害が広がる。 (――冷静になれ。ここで俺が動かなければ……)  深呼吸して、押さえ込んできた本能を無理やり引き出す。弱いはずの俺のアルファフェロモンを、できる限り周囲に放った。一瞬で辺りの空気が張り詰める。他校のアルファたちが顔をしかめながら、攻撃の手を止めた。 「……っ、なんだコイツ……」 「アルファのフェロモンか⁉」  ほんの一瞬の隙――それで十分だった。榎本が俺の手を掴み、脱兎のごとく走り出す。 「行くぞ、委員長!」 「な、なぜ俺が――!」  夜風を切り裂いて二人で駆け抜ける。胸の奥で、これまでにない鼓動が鳴っていた。塾をサボっただけのはずなのに、俺の世界は予定調和からどんどん外れていく――。  商店街を抜けて裏路地をひた走った末に、小さな公園へ飛び込んだ。ベンチに腰を下ろすと、肺が焼けるように痛い。ネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを外しながら呼吸を必死に整える。 「……っはぁ、はぁ……榎本、なんでわざわざ……」  俺の隣で膝を叩き、息を弾ませながらも笑っていた。妙に楽しそうで、呆れるより先に感心してしまう。 「ははっ、やっぱ委員長はスゲェな。あのフェロモン、一瞬で場の空気が変わったぞ!」 「……あんなの、大したことじゃない」 「大したことだろ! 大勢のアルファを相手に止まらせたんだぜ?」  街灯の下、榎本の瞳がきらりと光る。からかい混じりの声の奥に、確かな敬意が滲んでいた。 「委員長でもさ――なんで、俺を助けた?」  胸に刺さる問い。俺自身、なぜあんな行動を取ったのか説明できない。ただ気づけば、榎本を囲む連中を排除したくて仕方がなかった。 「お前が面倒事を起こしたら、俺に迷惑がかかる。それだけだ」 「嘘つけ!」  榎本は即座に笑い飛ばす。だが、その視線は真っ直ぐで、俺の仮面を見透かすようだった。 「俺、オメガだからさ。アルファに嗅がれりゃ、気を張っていても狙われる。でもな、今日委員長が横にいて……ちょっとだけ安心した」  軽く言ったように聞こえるのに、その一言が不思議と胸に残る。俺は視線を逸らし、膝の上で拳を固く握った。 「勘違いするな。俺は――」 「わかってるって。堅物の委員長だもんな」  また榎本が豪快に笑う。その声が夜風に溶けていくとき、胸の奥には説明できない熱が残っていた。 (……なぜだ。俺は弱いアルファのはずなのに。榎本の隣では、なぜか“本物”になれる気がしてしまう)  ざわめく心を押し殺しながら、俺は静かに目を閉じた。

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