18 / 55
第二章:ひび割れる仮面4
翌日の昼休みの教室は、いつものざわめきで満ちていた。俺は席に座り、帰りに配るプリントの整理をしながら耳に入る雑音を切り捨てていた――はずだった。
「よっしゃ、今日こそ委員長を笑わせてやるぞ!」
大声で宣言したのは、もちろん榎本虎太郎。呆れながら視線を飛ばすと、アイツは謎の段ボール箱を抱えていた。クラスメイトたちは「また始まったぞ」とばかりにざわつき、榎本に好奇心の視線を集める。
嫌な予感しかしなかったので、仕方なく声をかけた。
「榎本、何をするつもりだ」
「決まってんだろ! “委員長を笑わせ隊”の第二弾だ!」
勝手に名前をつけるな。そう言うより先に、榎本は箱の中身を机の上にぶちまけた。中から出てきたのは色とりどりのカツラ、偽物のメガネ、つけひげ、謎の小道具たちだった。
「お前ら、全員参加しろ! “委員長そっくり選手権・第二ラウンド”だ!」
「マジかよ!」
「昨日のやつ、めっちゃおもしろかった!」
「今度は変装付きか!」
瞬く間に、クラス全体が熱狂の渦に巻き込まれる。男子校特有のノリの良さが炸裂し、全員がわちゃわちゃと変装グッズを取り合いはじめた。
「俺、つけひげ!」
「じゃあ俺、カツラな!」
「眼鏡をかけて“規律を守れ”って言うだけで似るんじゃね?」
「……お前たち、いい加減に――」
制止の声を出した瞬間。教室中から一斉に「委員長だ~!」の大合唱が響き、変装したクラスメイトたちが俺を取り囲んだ。
「規律を守れ!」
「静かに昼食を取れ!」
「眉間にシワ寄せ禁止~!」
それぞれが俺の口癖や仕草を大げさに真似して、爆笑の渦をつくり出す。
「……くだらない」
低く呟いた俺の視線の先で、榎本がにかっと笑う。
「なぁ委員長、オメガは匂いで感情がわかるって言ったろ? 今のお前、すげぇムッとしてるけど、ちょっとだけ笑いそうな匂いも混ざってるぞ?」
「っ……!」
無意識に肩が震える。まさか、自分の感情を嗅ぎ取られるとは思わなかった。
「俺は絶対に、お前を笑わせる。仮面の下の顔を暴いてやるからな」
まっすぐな声が胸を突き刺す。クラスの喧噪の中で榎本の金色の髪が光を反射し、妙に鮮烈に焼き付いた。
教室中が「委員長そっくり軍団」の大合唱で大騒ぎしていた、そのときだった。
「お前たち、うるさいぞ! 騒ぎ過ぎだ!」
怒鳴り声と同時に、教室の扉が勢いよく開かれる。そこに立っていたのは担任の国語教師。眼鏡の奥で目を吊り上げ、クラス全員を睨みつけた。
「げっ、やべぇ」
「また榎本のせいだろ!」
「いやいや、全員でやってただろ!」
わちゃついていた笑い声が一気に凍り付き、誰もが青ざめる。
「佐伯っ!」
担任の視線が、なぜか真っ先に俺に突き刺さる。
「クラス委員長であるお前が、こんな騒ぎを許してどうする!」
ざわめきがふたたび広がる。俺は即座に立ち上がって口を開いた。
「俺は――」
言い訳するべきか、全体をまとめるべきか。その一瞬の迷いを、榎本の声がかき消した。
「待ってください! 全部俺がやりました!」
全員の視線が、榎本に集まる。彼は机を叩いて立ち上がり、大声で続けた。
「佐伯委員長は止めようとしたんです! けど俺が勝手に皆を煽って……“委員長そっくり選手権”なんてふざけた遊びを始めたのは俺なんです!」
一瞬――本当に一瞬だったが、薄茶色の瞳がこちらを見た。ふざけた笑顔も、軽口もない。そこにはただ、まっすぐな意志だけがあった。
(……ふざけた遊び、か)
ついさっきまでクラス全員が楽しんでいたことを、榎本は自分ひとりの責任にした。担任は額に手を当て、深くため息を吐く。
「まったく……榎本、お前はいつもいつも……。あとで職員室に来い。佐伯は席に戻れ。これ以上の騒ぎは許さん」
そう言い残し、担任は出て行った。教室には重苦しい沈黙が落ちる。
「……榎本」
俺が声をかけようとした瞬間、彼は大げさに笑って肩を竦めた。
「へっ、どーせ俺は問題児キャラだしな。委員長に泥かけるわけにいかねぇだろ?」
その笑顔の裏に、ほんの一瞬だけ見えた影。からかってばかりのはずの榎本が、俺を庇った――その事実が、胸の奥を不覚にも熱くする。
感謝の言葉なんて、口が裂けても言いたくない。だが、視線を机に落としても、榎本の笑顔とさっきの瞳が脳裏にこびりついて離れなかった。
それまで榎本を“騒がしいヤツ”としか見ていなかったクラスメイトたちの視線が、少しだけ変わっていた。驚きと好奇心と――ほんの少しの敬意が混ざったような眼差し。
その変化に、俺だけが気づいていないふりをした。
(……理解できない。なぜ俺を庇った。なぜ……こんなにも気になる)
ともだちにシェアしよう!

