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第二章:ひび割れる仮面7
昼休みの教室。いつものごとくプリントを整理していると榎本が突然、椅子の上に立ち上がった。
「聞け、下僕ども! 今日からこのクラスはオメガが支配する! 王様はこの俺、榎本虎太郎だっ!」
声が響いた瞬間、クラスがざわつき始める。
「おいおい、何が始まったんだ?」
「また榎本のバカが……」
「でもおもしろそうじゃね?」
榎本は得意げに胸を張り、両手を広げた。
「アルファは俺の足を揉め! ベータは飯を献上しろ! そして佐伯委員長――お前は俺の椅子持ちだ!」
「……何だって?」
思わず声が漏れる。渋い表情を決め込む俺をよそに、周囲の連中はすぐにノリ始めた。
「わはは、佐伯が椅子持ちってマジかよ!?」
「委員長に命令とか、榎本やべぇ」
「ちょっとアルファ役を逆にしてみよーぜ!」
するとクラスの数人が即席で役を割り振り、アルファ役をやらされたヤツらは「榎本さまぁ~」と土下座し始める。
「うむ! よい心がけだ! オメガ王国万歳!」
榎本は笑いながら、教卓にどかっと腰を下ろした。
俺は溜息をつきながらも教卓の上でふんぞり返る榎本と、それにノリノリで跪くクラスメイトたちの姿に、ふと頬が揺るんだ。まるで学園劇の主役を演じている榎本の姿は馬鹿馬鹿しいにも程があるのに、その真剣さがなぜか胸の奥をくすぐった。
(……なんで、自分のクラスでやらないんだ。おかしいだろ――)
その一瞬を榎本は見逃さなかった。
「おっ! 今、笑ったろ!? みんな見たか!? 氷の委員長の口元が動いたぞー!」
「マジ!?」
「笑ったの!?」
「記念日だー!」
クラス全体が拍手喝采でどよめき、俺は慌てて表情を引き締めた。
「……笑っていない」
「いやいや、見たぞ。委員長、ちょっと緩んだ!」
榎本は勝ち誇った顔でこちらを指さした。
ふざけすぎだ。そう言い捨てようとした――が。
(なぜだ……こいつのこういう無茶は腹立たしいのに、不思議と息が詰まらない)
教室のざわめきに紛れ、心の奥で小さな火花が散った。
放課後の校舎は、いつもと同じ静けさに包まれていた。黒板を拭き、忘れ物がないか机の列を確認し終えると、委員長としての一日の仕事がようやく終わる。
しかし今日は、妙に集中できなかった。
(……くだらない茶番だったはずだ)
榎本が教卓に座り、「オメガ王国万歳!」と叫んだ光景。それに本気で乗っかって大騒ぎしたクラスメイトたち。そして俺の口元がほんの一瞬、緩んでしまったこと。
「……笑うなんて」
独りごちて、窓際に立ち尽くす。外は夕暮れ。赤く染まる校庭に吹く風が疲れを運び去っていくようで、心地よいはずなのに胸の奥がざわついていた。
(アイツは何が楽しくて、俺に絡むんだ。本物のアルファじゃない俺なんかに……)
アルファの威圧感を持たず、フェロモンを思うように操れない「張りぼてのアルファ」である自分。榎本はそれを知ってか知らずか、まっすぐにぶつかってきて勝手に笑わせて、勝手に騒ぎを広げて――。
「くだらない」
口に出してみても、心のざわつきは消えなかった。
校門を出るころには、夜風が頬を撫でる。塾へ向かうはずの足が、なぜか重い。目を閉じれば、教室で笑い転げる榎本の声が耳に蘇る。
――不愉快なはずなのに、なぜか息苦しさよりも胸が軽くなる感覚の方が強かった。
「……馬鹿げている」
冷たく吐き捨てるように呟いたがその直後、自分の頬が少し熱を帯びていることに気づき、小さく息を呑んだ。
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