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第二章:ひび割れる仮面10
榎本と並んで駅へ向かう。通学路の並木はすでに赤く色づき、風が吹くたびに落ち葉が舞った。
俺は歩幅を崩さず、塾に遅れぬよう足を速める。だが隣の榎本は気ままに歩き、時折蹴り上げた落ち葉を宙に散らしていた。
「なぁ委員長」
「なんだ」
「お前ってさ、ぜーんぜん匂い出さねーよな」
足が一瞬止まりかける。榎本の声は軽い調子だったが、その言葉の意味は重い。
「何を根拠に、そんなことを言う」
「オメガは、アルファの匂いに敏感なんだよ。機嫌とか、だいたいわかるんだって」
「馬鹿げている。根拠のない思い込みだ」
「いやいや、マジ。例えば今のお前――イライラしてんの、丸わかりだぜ」
榎本はにかっと笑い、わざとらしく鼻をひくつかせた。その仕草が鬱陶しいほどに無邪気で、胸の奥にじわりと熱がこみあげる。
「俺はアルファだ。オメガごときに測られる筋合いはない」
「ほらな、そうやってすぐムキになる。必死こいて匂いを隠してても、顔でバレバレなんだよ」
「……っ」
言い返そうとして、喉が詰まった。誰よりも「完璧なアルファ」であるように自分を縛り付けてきた俺にとって、榎本の無遠慮な指摘は、痛いところを突かれていた。
夕暮れの雑踏の中、榎本は不意に俺の前に立ち、逆光の中で眩しい笑みを浮かべた。
「なぁ委員長。俺はさ、お前の“本物の匂い”を嗅いでみてぇんだ」
「馬鹿を言うな」
吐き捨てるように言ったのに、榎本の瞳は真剣そのものだった。その視線を振り払うように、俺は歩みを速める。
(――コイツはいったい、俺の何を見抜こうとしている……?)
人波に押されながら駅のホームに立つ。夕方のラッシュ時、ざわめきと熱気が渦巻いていた。俺は定期券を胸ポケットに戻し、到着予定の電車を無言で待つ。隣では榎本が退屈そうにあくびをしていた。
「あーあ。電車通いって面倒だよなぁ。俺、バイクで来たいんだけど」
「校則違反だ。やめておけ」
「はは、だろうな。委員長に見つかったら即アウトだもんな」
軽口を叩いていたその瞬間、ホームに電車が滑り込み、急ブレーキの音が響いた。車両が大きく揺れ、俺の身体もバランスを崩す。
「――っ!」
思わず前につんのめった刹那、榎本が腕を掴む。逆に勢い余って、俺の胸に榎本の身体がぶつかった。
「うわっ!」
「っ……離れろ!」
至近距離を感じて、体が竦む。すぐ傍で微かに漂ったのは、オメガ特有の柔らかな匂い。それを感知した瞬間、心臓が強く跳ねて体温が一気に上がる。
「おー……やっぱ、いい匂いすんじゃん」
「なに?」
「今、一瞬だけ。お前の“本物”の匂いがした」
囁くような声に、鼓動が耳にうるさいほど響く。
慌てて榎本を押しのけ、無表情を装った。鼻先に漂ったその匂いは自分のものなのに、どこか他人のようだった。ずっと奥に押し込めていた“何か”が、思わぬ拍子にこぼれ落ちたようで――否応なしに胸の奥がざわつく。
「気のせいだ」
「ふーん……そういうことにしといてやるよ」
にやりと笑う榎本の目が、妙に鋭く光っていた。
到着した電車のドアが開き、人々が一斉に乗り込んでいく。
(……コイツは、俺の隠してきたものを嗅ぎ分けるつもりなのか?)
電車に乗り込んだあとも、榎本の言葉が胸の奥に残り続けたのだった。
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