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第二章:ひび割れる仮面12

 次の日、フェロモンの抑制剤を飲まなかった朝。正直、ヤバいってわかってた。理性の奥で、何度も「飲め」と警告していたのに――それでも、手が震えて蓋を開けられなかった。  昨日の放課後、佐伯に冷たい態度をとられた瞬間から、胸の奥がずっと疼いている。じんじん疼く気持ちを抱えたままじゃ、どうしても終われない。アイツに突き放された状態でいるなんて、絶対に嫌だ!  だから俺は、休み時間の廊下で佐伯を待ち伏せすることにした。フェロモンが少しずつ溢れているのが、自分でもわかる。  やがて、B組から出てきた委員長――佐伯が歩いてきた。まっすぐな背筋、冷たい表情。いつも通りの完璧さを目の当たりにして、胸が痛いくらいに高鳴る。 「よっ、委員長!」  気取って声をかけた瞬間、佐伯の表情がすぐに固まった。鼻先に届いたはずだ、俺のフェロモンの匂い。 「榎本、お前……抑制剤はどうした?」  いつも以上に低い声と、不機嫌を示す眉間のシワ。でも俺は引かない。 「そんなもん飲んでねぇよ。だって、こうでもしなきゃお前、俺を意識してくんねーだろ?」  堂々と言い放ったら、佐伯の瞳が揺れた。氷みたいな瞳の奥に、ほんの一瞬だけ熱が灯ったように見えた。鼻先を掠める俺の匂いが、アイツの心を乱した――そんな錯覚に陥るくらい、俺にはハッキリと見えた。アルファの心を乱すオメガのフェロモンの作用は、やっぱすげぇなって思った。 「榎本、何を考えてる。俺を意識させてどうしたいというんだ?」    肩で息をし始めた佐伯。明らかに呼吸が荒くなり、頬も紅潮していく。その反応が見たくてやった――でも、すぐに最悪の事態が起きる。 「……ん? おい、今の匂い……」 「オメガだ! この廊下にいる!」  他クラスのアルファどもが、ざわざわと集まり始めた。俺のフェロモンに引き寄せられて、目をギラつかせる。  廊下の空気がガラリと変わった。まるで獣が血の匂いを嗅ぎつけたみたいに、周囲のアルファたちの目がギラリと光る。俺の背中に、じわじわと熱と視線が集まっていくのが、本能でわかった。 「ちょ、やめろ! 榎本に近づくな!」  真っ先に声を上げたのは佐伯だった。佐伯が咄嗟に俺の腕を引こうとする。けれど囲む人数が多くて、伸ばした手が空を切った。その瞬間、アイツの瞳の奥に、怒りとも焦りともつかない光が走る。  佐伯の表情を確かめたかったのに背後から伸びる手が、俺の肩を掴む。次の瞬間には胸ぐらを引っ張られ、物欲しそうな顔のアルファたちに囲まれていた。 「B組の真面目委員長が庇ってんのか? へぇ、こんな問題児のオメガに肩入れするんだ。やっぱりアルファだから?」 「いいからちょっと貸せよ。なぁ、俺たちとも遊んでこうぜ」  ニヤニヤしながら群がるアルファたちに、頭がカッと熱くなる。俺は思わず拳を振り抜いた。 「触んなっつってんだろ!」  拳が一発、二発。相手の頬に当たり、廊下に鈍い音が響く。周囲にいるクラスメイトの悲鳴や、騒ぎを聞きつけた教師の怒鳴り声が耳に届いた。  そして俺の視線の先で、しゃがみ込んだ佐伯が唇を噛みしめていた。怒りなのか、悔しさなのか。俺を止めたい気持ちと、誰にも触れさせたくない衝動が入り混じったような目で俺をじっと見つめる。 (あぁ……やべぇ。俺、本当にやらかしたかもしれねぇ)  理性なんて、もうどこにもなかった。ただ、佐伯の前で他の誰にも触れさせたくなくて――気づけば誰彼構わず、拳を振るう自分がいた。

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