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第二章:ひび割れる仮面13

 ――体中が熱い。榎本のフェロモンが廊下に満ちているせいで、周囲の空気がぐらぐら揺れる。まるで俺の中の何かまで、煮立たせるように。  喉の奥が焼けつく。心臓が嫌なほど速く打ち始めた。 「違う、落ち着け……惑わされるな」  自分に言い聞かせる声は震えていた。アルファとしての本能が、榎本の匂いに反応して暴れているのを感じるだけで――。 「……くっ!」  アイツを欲して理性が千切れそうになった瞬間、慌てて自分の手の甲に噛みついた。歯が皮膚を貫く鈍い感触と、生温い血の味。それがなければ俺は目の前の群れと同じように、榎本に手を伸ばして襲ってしまう。  委員長の肩書きも、理性も、全部吹き飛ばして。 「離れろッ! 榎本に触るな!」  声は出せても、足はピクリとも動かない。一歩近づくだけで、俺の中の衝動が暴れだしそうで怖かった――本当は榎本を助けたいのに、ついにはその場にしゃがみ込んでしまった。 「榎本……もうやめろ」  情けないくらいに震える俺の声は、アイツに届かない。榎本は迷うことなく拳を振るい、群がる連中を次々と蹴散らしていた。見るからに無茶苦茶だった。愚かで、危険で……でも、目を離せなかった。フェロモンに煽られた俺の中で、別の感情が芽吹く。 「――眩しい」  コイツはいつも、俺の予想なんか軽々と超えていく。無茶ばかりする大馬鹿者だからこそ、俺が止めなければならないんだ。 「やめろ榎本! これ以上は――!」  俺の制止の声など、大勢のアルファの前では無意味だった。榎本の頬に汗が光り、拳がまたアルファのひとりを叩き倒す。廊下は騒然となり、やがて教師たちが駆けつけてきた。 「榎本! すぐにやめろ!」 「連れていけ!」  大勢の教師たちによって両腕を掴まれ、榎本はアルファの生徒から乱暴に引きはがされる。そのとき、榎本が振り返った。勝ち気な笑みを作ろうとして――でも、ほんの一瞬だけ滲んだ苦しそうな表情。  目が合った瞬間、廊下の喧騒が遠のいた気がした。手を伸ばしたいのに、動けなかった。俺はただ、痛いくらい胸を締めつけられながら――見送ることしかできなかった。  血で赤く染まった自分の手の甲を見下ろしながら、奥歯を噛みしめる。なぜ、俺はこんなにも無力なのだろう。

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