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第二章:ひび割れる仮面14
放課後。昇降口の前の空気は、いつもよりずっと重たかった。さっきやらかした俺の乱闘騒ぎのせいで、校内はまだざわついている。廊下のあちこちでヒソヒソ声が飛び交い、俺を見るたびに慌てて視線を逸らすヤツもいて、雰囲気は超最悪だった。
「チッ……またやっちまったな」
靴を履き替えながら、思わず舌打ちが漏れた。教師に散々怒鳴られて、停学だの謹慎だのと脅され……わかってる。頭ではちゃんとわかってるんだ。
でも、あのときは……体が勝手に動いた。アイツを守りたかった。ただ、それだけだ。
「榎本」
名前を呼ぶ声に顔を上げると、昇降口の入口に佐伯が立っていた。夕陽を背に受けて、いつものようにきっちり背筋を伸ばし、冷たい顔をしている。
けど目の奥が――ほんの少しだけ揺れていた。
「委員長……なんだよ。説教ならもう先生に、たっぷりされたあとなんだけどさ」
ふてくされたように肩を竦めながら、わざと軽い調子で返す。本当は、こんな姿……佐伯にだけは見られたくなかったのに。
「俺は――」
佐伯が言いかけて、言葉を飲み込んだ。そのとき視線がふと、目の前の手の甲に落ちる。その赤黒い跡に、俺は一瞬で気づいた。
(……あ)
噛み跡だ。あの時――俺のフェロモンに当てられて、アルファの衝動を抑えるために……コイツ、自分で噛んでたんだ。大勢のアルファがオメガのフェロモンに呼び寄せられていたあの状況で、佐伯はたったひとり、衝動に耐えていたなんて。
「委員長バカだな……そんなことしなくてもよかったのに」
自然と口からこぼれた。すると佐伯は眉をひそめて、低い声で言い返してきた。
「よかったわけがない。俺が少しでも気を抜けば……お前に――」
そこで、言葉が途切れる。視線を逸らしたその横顔が、やけに苦しそうだった。
胸の奥がざわつく。コイツは俺に手を出さなかった。出せなかったんじゃない。必死で耐えてた。その事実が、心の奥をじわじわと熱くする。
「なぁ、委員長」
強がるみたいに笑って、いつもの調子で声をかけた。
「お前、俺のこと嫌いだろ? でも……守ってくれたのは、やっぱ嬉しい。ありがとな」
佐伯は返事をしなかった。ただ、一瞬だけ表情が揺れた気がした。それを見た瞬間、胸の奥にぽっと温かい何かが灯るのを感じた。
乱闘も、叱責も、フェロモン騒ぎも……全部吹き飛んでしまいそうなくらいに。
(……なんだよ、こんなの。ますます……佐伯のことが気になるじゃねーか)
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