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第二章:ひび割れる仮面17

 停学が明けて、久々に戻ってきたB組の教室。俺がドアを開けただけで、クラスがざわついた。俺を見るクラスメイトの喜びの視線――佐伯を笑わせるためだけに日参して、B組の連中との絆に繋がったのが否応なしに伝わる。 「おーい、虎太郎が帰ってきたぞ!」 「また騒動起こすんじゃねーか?」  みんなの期待混じりの笑いに、自然と体が反応する。カラ元気みたいに大声を張り上げて、机の上に飛び乗った。 「よぉ、みんな! 今日も元気にいくぞー!」  どっと笑いが起きる。俺はその勢いのまま、わざとらしく佐伯の真似をしてみせた。 「デフォになってるが、一発目はこれだ!『お前ら、規律を守れ』」  眉間にシワを寄せて、冷たく言い放つ。完璧な“委員長モード”。B組の教室はまた笑いに包まれた……けど、アイツは相変わらず反応しない。黒板に板書を写している佐伯の背筋は、いつも通りまっすぐで、俺の声なんて最初から存在していないみたいだった。 「チッ、つまんねーな……」  誰に向けたわけでもない言葉が、ぽろっと漏れる。笑い声の渦の真ん中にいるはずなのに、俺だけが取り残されたみたいな感覚が残った。    昼休みはB組の友達の席の前を陣取って、机に突っ伏しながらパンをかじっていた。久しぶりに食べる購買のメロンパンはやけに味気なくて、まったく腹に入っていかない。そこに――不意に声が落ちた。 「榎本、くだらない真似はやめろ。周囲も騒がしいだけだ」  顔を上げると、佐伯が立っていた。やけに冷たい視線で、俺を見下ろしている。  その言葉は否定のようで――なぜか、胸の奥がじんわりと温かくなった。完全に無視されると思ってたのに、“俺に向けて”わざわざ声をかけてきたから。 「へっ。お前にそう言われると、なんか逆に嬉しいな」  軽口でごまかす。けど、心臓の音がうるさくてしょうがなかった。  佐伯が去っていったあとも、その声が耳の奥に残っていた。 「くだらない真似はやめろ」  たったそれだけ。でも、胸の奥が妙に熱い。 「……なんだよ、これ」  パンの袋をぐしゃっと握りつぶす。いつもなら誰かにちょっかいかけて笑ってれば、スッキリしたのに……今はなぜか違う。  さっきまでの笑い声が、全部遠くに感じた。気づけば、視線はまた佐伯の席を追ってしまう。背筋を伸ばし、表情ひとつ変えずノートに何かを書き込む姿。それは堅物で、窒息しそうなほど真面目で――。 (あの潔いくらいのまっすぐさから、なぜか目が離せねぇんだよな)  拳で頬を擦って、気持ちを振り払おうとする。くだらない。俺らしくない。なのに、否定すればするほど、胸の奥が妙にざわついていく。 「チクショウ。やっぱ気になるんだよな」  自分でも驚くくらい自然に、声が漏れた。佐伯の言葉ひとつで落ち込んで、声ひとつで浮かれるなんて――全然俺らしくないし情けない。  俺は机に突っ伏して、両腕で顔を覆った。昼休みの喧騒の中、心臓の音だけがやけに大きく響いていた。    授業が終わって、ざわつく廊下を歩いていると――見慣れた背中を見つけた。分厚い本を抱えて、すっと背筋を伸ばして歩く佐伯。まるで教科書の挿絵から抜け出してきたみたいに整ってて、なんか腹が立つ。 (……やっぱ、アイツを笑わせてやりてぇ)  その一心で、俺は昨日とは違う手を考えた。 「委員長ーっ!」  足音をバタバタ立てて勢いよく駆け寄り、佐伯の横に並ぶ。廊下の視線が一斉に集まるけど、気にしない。むしろ望むところだ。 「なぁこれ見ろよ!」  胸ポケットから折り紙を取り出した。赤と白で折った“委員長マスコット”。佐伯の顔を似せて描いて腕を組ませた、超真面目仕様。 「“超堅物・佐伯人形”な!」  クスクスと笑いが起きる。俺は得意げに人形をひらひらと振ってみせた。 「おい榎本、それを――」  佐伯が振り返った瞬間、心臓がドクンと鳴った。冷たい目をしてるのに、その奥にほんの一瞬だけ驚きが滲んだのを見逃さなかった。 (やっぱ、ちょっとでも動揺してくれると……すげぇ嬉しいんだよな) 「どうだ委員長! 似てんだろ?」 「くだらない」 「はっきり言えよ! 内心ちょっとは笑ってんだろ?」  食い下がった俺に、佐伯の表情がぴしゃりと閉ざされた。 「榎本、いい加減にしろ。俺をおもちゃにするな」  まるで氷みたいな声が落ちる。廊下が一瞬で静まり返った。俺の手の中の折り紙人形が、急に頼りなく感じた。 「……っ、わりぃ」  笑い飛ばすつもりが、声が裏返る。どうにも気まずさに耐えられなくなって、俺はその場から逃げるように走った。 (なんでだよ……俺は、ただ笑わせたかっただけなのに)  握りしめた拳の中で、折り紙人形がぐしゃりと潰れた。心臓の奥の痛みは、笑いではどうにもごまかせなかった。

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