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第二章:ひび割れる仮面18
塾の帰り道、冷たい夜風が頬を撫でる。街灯の下をひとり歩きながら、昼間の光景がどうしても頭から離れなかった。
(……いい加減にしろ、か)
いつも以上に冷めた言葉を吐いたのは、久しぶりだった。普段の俺は、感情を表に出すことを徹底的に避けてきたはずなのに。
榎本が廊下で見せびらかした、稚拙な折り紙人形。俺を真似て描かれた不格好な顔。通りすがりに、笑っているクラスメイトたち。
(ああいう茶化しには慣れている。だからこそ、あの場は冷静に流すべきだった……)
それなのに、声が勝手に鋭くなった。“おもちゃにするな”と突き放した瞬間、榎本の顔が本気で怯んだ。あれは、予想外だった。
榎本は、いつも騒がしくて無遠慮で、規律を乱す存在。だが同時に、妙にまっすぐ突き進んでくる厄介なヤツ。俺を笑わせようと必死になっているのが、嫌でも伝わってくる。
(なぜ……俺をそこまで――)
その答えが出せないまま、足が止まる。吐いた白い息が、胸のざわつきをますます強くした。
「やはり、怒りすぎたな」
呟きが夜の空気に消える。それでも、引き返して謝るわけにはいかない。委員長という立場を崩せば、築き上げた秩序が一気に崩れてしまう。
(けれど……榎本のあの顔だけは、忘れられそうにない)
胸の奥で、小さく何かが疼いた。怒りとも違う、名前をつけられない感情が。
夜風がやけに冷たい。コンビニの袋をぶら下げて、とぼとぼと自宅アパートに向かって歩く。
(……マジでやっちまった)
昼間の佐伯の顔が、頭から離れない。あんな真剣な表情で怒鳴られたのは、はじめてだった。
「おもちゃにするな」
その言葉が胸に突き刺さったまま、抜けてくれない。俺はただ、アイツに笑ってほしかっただけなのに。
委員長の佐伯涼。堅物で、完璧で、冷徹で。でも本当は寂しいヤツなんじゃないかって、なんとなくわかってた。だから、笑わせたかった。少しでも緊張を解かせたくて、バカみたいに何度もちょっかいを出した。
それなのに、結果は真逆。俺は完全に“迷惑なヤツ”になっちまった。
(きっと嫌われたよな、あれは――)
胃の奥がぎゅっと縮む。笑ってごまかすこともできなくて、ただただ情けない気分だけが残る。
「くそ……」
夜道に小さく吐き捨てる。佐伯の冷たい目を思い出すたび、胸がざわついて、どうしようもなくなる。
俺はなんで、あんなに必死なんだろう。ただのクラス違いの委員長相手に、ここまでこだわる理由は――。
(……気になるから、か?)
その言葉が胸の奥で反響して、息が詰まった。笑い飛ばせない。いつもの俺なら冗談にして終わらせるのに――今回はできなかった。
慌てて首を振ったけど、胸の奥が熱くなっていくのを止められなかった。
わかりたくもねぇ気持ちが、どんどん大きくなる。そしてそれを本人にぶつける勇気も、まだ俺にはなかった。
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