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第三章:演じる仮面の下で
放課後の校舎は、部活動へと向かう生徒たちの声でにぎやかだった。けれど廊下の一角だけは妙に静かで、榎本が一人、窓辺に腰かけて空を眺めていた。
乱闘騒ぎで停学処分をくらったあとも、彼はいつもの調子でふざけているように見える。だが笑い声の奥にある空虚さを、俺は気づかないふりができなかった。
(……榎本のヤツ、本当は無理しているんじゃないか)
自分でも不思議だった。これまでなら、くだらないと切り捨てていたはずなのに。
胸の奥に、しこりのように残った光景――オメガの甘いフェロモンに包まれたあの日、他の誰でもなく榎本に手を伸ばしかけた。それを思い出すたび、心がざわついた。
「榎本」
呼びかけると、金髪の頭がこちらを振り向いた。いつもの軽口が飛んでくるかと思いきや、榎本は少し驚いたように目を瞬かせる。
「なんだよ、委員長」
「少し、話がしたい」
言葉を選びながら歩み寄る。榎本の顔が夕陽に照らされ、普段の無邪気さの奥に、微かな影を落としているのが見えた。それを見た瞬間、胸の奥がじわりと熱を帯びる。
俺はただ“秩序を乱す存在”として、彼を見ていたわけじゃない。苛立たされ、困惑させられながらも、気づけば目で追ってしまう自分がいた。
「この前は……怒鳴って悪かった」
「えっ?」
榎本が目を丸くする。今まで一度も謝ったことなどない俺の口から出た言葉に、心底驚いた顔をする。
「俺は……お前のことを理解できないと決めつけていた。だが、本当は――」
言葉を途中で飲み込む。伝えたいことは山ほどあるのに、口に出そうとするとどうしても喉が詰まる。
榎本はしばらく黙って俺を見ていたが、やがてふっと笑った。それは、ふざけたものではなく――どこか救われたような、優しい笑みだった。
「委員長、やっぱ変わんねーよ……でもさ、そういうとこ嫌いじゃねぇ」
榎本は少しだけ視線を外し、照れ隠しのように笑った。その笑みが、胸の奥にじんわりと広がっていく。気づけば、俺も小さく息を吐いていた。重たかった胸の奥が、僅かに軽くなるのを感じた。
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