35 / 55
第三章:演じる仮面の下で3
「よーし、ちょっと休憩だ! 飲み物取ってこいよー」
演出係の男子の声が響いて、みんな一斉に多目的室を出て行った。気づけば、この部屋に残ってるのは俺と、委員長だけだった。
ざわついてた空気が一気に静まって、窓の外の風と扇風機の音だけがやけに耳に残る。
佐伯はジュースを買いに行くでもなく、いつもの姿勢で台本をめくっていた。背筋はピンと伸びて、机の上の指先ひとつまできっちり整ってる。相変わらず、隙がない。
「……なぁ、委員長」
ふと口が勝手に動いた。
「お前ってさ、なんでそんなに“真面目すぎる”んだ?」
「真面目すぎる?」
顔も上げずに返ってくるその声は、いつも通り無駄がない。
「そう。授業もそうだし、演劇だってそうだし。別にさ、文化祭なんだから、もっと気楽にやってもいいだろ?」
「気楽に、という言葉は無責任の言い換えに過ぎない」
「また出たよ、“委員長理論”」
苦笑いを浮かべたけど、なぜか胸の奥がチクリとした。
(ほんと、ブレねぇよな……。ムカつくような、でも……ちょっと羨ましいって思ってんのか、俺)
黙ってページを繰る横顔に、自然と視線が吸い寄せられる。凛とした瞳の奥には一点の曇りもなくて、黒髪が光を透かしてきれいに見えた。鼻筋も通ってて……いや、何見惚れてんだ俺。
(……やば。なんで俺、佐伯を見てドキドキしてんだよ)
慌てて視線をを逸らし、何度か咳払いした。
「ま、まぁでもさ! 俺が言いたいのは、もっと笑ったほうがいいってことだ!」
「笑う?」
「そうそう! さっきの芝居中もそう。俺があんだけ大げさにやったのに、クラスのみんなは爆笑してただろ? でも、お前だけは一切笑わなかった」
一瞬、台本をめくる佐伯の手が止まる。
「笑うのは簡単だ。けれど、演じるというのは“笑わせること”ではない。感情を正しく届けることだ」
ズキンと胸を刺されたみたいに痛んだ。
(正しく……か。俺が適当にやってんの、佐伯に全部見透かされてんじゃねぇか)
ほんの軽口のつもりだったのに、こっちは真剣に刺さってんじゃんかよ。
「……っ、くっそ。なんで俺、こんなに意識してんだよ」
思わず頭をがしがし掻いて、机に突っ伏した。佐伯はちらっと俺を見ただけで、また台本に戻る。その横顔が妙にまぶしく見えるから、余計に腹が立つ。
上級生の演出係が、偉そうな顔をして指示を飛ばす。
「はい、今日は昨日の続き、バルコニーのシーンをもう一度やりましょう」
机を積んで作った即席の舞台――ジュリエットの佐伯は上で、ロミオの俺は下。まるで現実の俺たちの立ち位置みたいで、妙に笑えてしまう。
(だけどよー、ロミオとジュリエット。何回聞いても笑える組み合わせだよなって佐伯に言っても、絶対に伝わらないんだろうな)
「榎本くん、昨日みたいに遊びじゃなくて、ちゃんとやってくださいね。せっかくの文化祭代表なんですから」
「へいへい」
軽く返すと案の定、佐伯は「どうせまたふざける」とでも言いたげな目でこっちを見てきた。
「……ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」
いつも通り、佐伯の感情のない棒読み。だけど俺はあえて、昨日と同じには返さなかった。
「それは、俺がロミオだからだ!」
声が勝手に低くなった。佐伯の視線が、はっと俺に向く。その一瞬、周りのざわめきがふっと遠のいた気がした。
俺は、佐伯の顔をまっすぐに見上げた。茶化す笑いはどこにもなくて、ただ言葉を噛みしめるみたいに――。
「お前がジュリエットなら……俺は何度でもこの名前を背負う。お前に会うためなら、敵だらけの街だって迷うことなく飛び込んでみせてやる!」
気づけば、冗談なんて一つもなかった。俺の声に、教室の空気が変わったのがわかる。みんなも黙って見てる。
(――さて委員長、この状況をどう対処する?)
佐伯の胸が、僅かに上下しているのが見えた。いつも冷静なヤツが、ほんの少しだけ動揺してる。視線を逸らさないその目に、俺の心臓まで跳ねた。でも次の台詞で佐伯の喉が、ふっと詰まったらしい。
慌てて台本に視線を落とすけど、佐伯の手が少し震えてるのが見てとれた。
「……ロ、ロミオ……」
たどたどしい声に、俺は自然と口角が上がった。いつものバカ笑いじゃない。なんか嬉しくなってた。
「ほらな。俺が本気出しゃ、お前だって動揺すんだろ」
稽古が終わってすぐ、佐伯がこっちを睨んできた。
「榎本、二度とあんな真似をするな」
「なんだよ。委員長ってば俺のロミオに惚れかけた?」
「馬鹿を言うな!」
佐伯は吐き捨てるように言って、台本を抱えたまま出ていった。その背中を見送りながら、俺はしばらくその場に突っ立っていた。
(……やべぇ。本気でやったはずなのに、俺まで委員長に本気になりかけてるじゃねーか)
ともだちにシェアしよう!

