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第三章:演じる仮面の下で3

「よーし、ちょっと休憩だ! 飲み物取ってこいよー」  演出係の男子の声が響いて、みんな一斉に多目的室を出て行った。気づけば、この部屋に残ってるのは俺と、委員長だけだった。  ざわついてた空気が一気に静まって、窓の外の風と扇風機の音だけがやけに耳に残る。  佐伯はジュースを買いに行くでもなく、いつもの姿勢で台本をめくっていた。背筋はピンと伸びて、机の上の指先ひとつまできっちり整ってる。相変わらず、隙がない。 「……なぁ、委員長」  ふと口が勝手に動いた。 「お前ってさ、なんでそんなに“真面目すぎる”んだ?」 「真面目すぎる?」  顔も上げずに返ってくるその声は、いつも通り無駄がない。 「そう。授業もそうだし、演劇だってそうだし。別にさ、文化祭なんだから、もっと気楽にやってもいいだろ?」 「気楽に、という言葉は無責任の言い換えに過ぎない」 「また出たよ、“委員長理論”」  苦笑いを浮かべたけど、なぜか胸の奥がチクリとした。 (ほんと、ブレねぇよな……。ムカつくような、でも……ちょっと羨ましいって思ってんのか、俺)  黙ってページを繰る横顔に、自然と視線が吸い寄せられる。凛とした瞳の奥には一点の曇りもなくて、黒髪が光を透かしてきれいに見えた。鼻筋も通ってて……いや、何見惚れてんだ俺。 (……やば。なんで俺、佐伯を見てドキドキしてんだよ)  慌てて視線をを逸らし、何度か咳払いした。 「ま、まぁでもさ! 俺が言いたいのは、もっと笑ったほうがいいってことだ!」 「笑う?」 「そうそう! さっきの芝居中もそう。俺があんだけ大げさにやったのに、クラスのみんなは爆笑してただろ? でも、お前だけは一切笑わなかった」  一瞬、台本をめくる佐伯の手が止まる。 「笑うのは簡単だ。けれど、演じるというのは“笑わせること”ではない。感情を正しく届けることだ」  ズキンと胸を刺されたみたいに痛んだ。 (正しく……か。俺が適当にやってんの、佐伯に全部見透かされてんじゃねぇか)  ほんの軽口のつもりだったのに、こっちは真剣に刺さってんじゃんかよ。 「……っ、くっそ。なんで俺、こんなに意識してんだよ」  思わず頭をがしがし掻いて、机に突っ伏した。佐伯はちらっと俺を見ただけで、また台本に戻る。その横顔が妙にまぶしく見えるから、余計に腹が立つ。  上級生の演出係が、偉そうな顔をして指示を飛ばす。 「はい、今日は昨日の続き、バルコニーのシーンをもう一度やりましょう」  机を積んで作った即席の舞台――ジュリエットの佐伯は上で、ロミオの俺は下。まるで現実の俺たちの立ち位置みたいで、妙に笑えてしまう。 (だけどよー、ロミオとジュリエット。何回聞いても笑える組み合わせだよなって佐伯に言っても、絶対に伝わらないんだろうな) 「榎本くん、昨日みたいに遊びじゃなくて、ちゃんとやってくださいね。せっかくの文化祭代表なんですから」 「へいへい」  軽く返すと案の定、佐伯は「どうせまたふざける」とでも言いたげな目でこっちを見てきた。 「……ロミオ、どうしてあなたはロミオなの」  いつも通り、佐伯の感情のない棒読み。だけど俺はあえて、昨日と同じには返さなかった。 「それは、俺がロミオだからだ!」  声が勝手に低くなった。佐伯の視線が、はっと俺に向く。その一瞬、周りのざわめきがふっと遠のいた気がした。  俺は、佐伯の顔をまっすぐに見上げた。茶化す笑いはどこにもなくて、ただ言葉を噛みしめるみたいに――。 「お前がジュリエットなら……俺は何度でもこの名前を背負う。お前に会うためなら、敵だらけの街だって迷うことなく飛び込んでみせてやる!」  気づけば、冗談なんて一つもなかった。俺の声に、教室の空気が変わったのがわかる。みんなも黙って見てる。 (――さて委員長、この状況をどう対処する?)  佐伯の胸が、僅かに上下しているのが見えた。いつも冷静なヤツが、ほんの少しだけ動揺してる。視線を逸らさないその目に、俺の心臓まで跳ねた。でも次の台詞で佐伯の喉が、ふっと詰まったらしい。  慌てて台本に視線を落とすけど、佐伯の手が少し震えてるのが見てとれた。 「……ロ、ロミオ……」  たどたどしい声に、俺は自然と口角が上がった。いつものバカ笑いじゃない。なんか嬉しくなってた。 「ほらな。俺が本気出しゃ、お前だって動揺すんだろ」  稽古が終わってすぐ、佐伯がこっちを睨んできた。 「榎本、二度とあんな真似をするな」 「なんだよ。委員長ってば俺のロミオに惚れかけた?」 「馬鹿を言うな!」  佐伯は吐き捨てるように言って、台本を抱えたまま出ていった。その背中を見送りながら、俺はしばらくその場に突っ立っていた。 (……やべぇ。本気でやったはずなのに、俺まで委員長に本気になりかけてるじゃねーか)

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