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第三章:演じる仮面の下で5
講堂に作られた特設舞台。照明が当たってるわけでもないのに、舞台の上ってのは、不思議と空気が張り詰めてるのを肌で感じた。
「次、ロミオとジュリエット。第二幕のバルコニーの場面」
演劇部の先輩がそう言った瞬間、俺と委員長――佐伯の名前が呼ばれた。周囲の視線が一斉に集まる。皆に注目されたことで、なぜか喉がひゅっと鳴った。
昨日の採寸のときの、近すぎる距離。ワイシャツ越しに触れた指先の感触。あの真面目な横顔――全部が頭を過ぎって、胸のあたりがざわついて仕方ない。
(やべ……。変に意識しちゃってなんか今日、ちゃんと演じられる気がしねぇ)
だけど舞台の真ん中に立った瞬間、低くて張りのある声が自然に出た。
「……ああ、ジュリエット。君の姿をひと目見ただけで、俺の世界は光に包まれる」
本当は自分のざわついた気持ちを隠すべく、ふざけて茶化すつもりだった。なのに、気づいたら本気で言ってた。委員長の目をまっすぐ見たら、冗談なんか挟めなかった。
「……っ」
佐伯の目が一瞬、大きく揺れた。舞台の上で、ほんの一瞬。でもその反応が、妙に鮮烈だった。
「君が笑うだけで俺は……息ができなくなるくらい幸せになる。好きなんだジュリエット!」
(……やべっ。俺、なに本音みたいな声を出してんだよ)
台詞を追いながらも、完全に“演技”じゃなくなってた。目の前にいるのは、ジュリエットでも誰でもない。ただの佐伯――なのに、胸の奥が締めつけられるみたいにすげぇ熱くなる。
佐伯は返す台詞を一瞬見失って、声を震わせながら言った。
「ロミオ、あなたのその言葉……本気であれば、私は……」
俺が告げたマジの台詞に反応して、佐伯は頬だけじゃなく耳まで真っ赤になってる。こんな委員長、初めて見た。
舞台の上で、二人の間に漂う空気が固まる。演劇部の先輩が拍手をして「自然でいい!」なんて言ってるけど、俺たちはそれどころじゃなかった。
(ちがう……演技だろ、これは。なんで……なんでこんなに、心臓がバクバクしてんだよ)
沈黙の数秒が、永遠みたいに長く感じた。
稽古が終わって廊下に戻ると、すぐにクラスメイトの野次が飛んできた。
「見た? 榎本と佐伯のバルコニーの場面!」
「マジでカップルだったよな!」
「佐伯、顔真っ赤だったぞ!」
「お、おいおい! あれは演技だからな!? 俺が本気で委員長に惚れてるわけねーだろ!」
笑い飛ばすように言ったけど、声が裏返ってた。あのときの自分が“本気”だったのを、自分が一番わかってる。だから、余計にごまかさなきゃと焦る。
一方の佐伯は、いつもの無表情っぽい顔を作って言った。
「くだらない。茶化すほどのことではない」
でもその声は、微妙に震えてた。耳もほんのり赤い。その小さな変化に気づいた瞬間、胸がざわざわして、妙に嬉しくなった。
(――やっぱ、あの瞬間。委員長も何か感じてたよな)
周りは無邪気に煽ってくる。
「文化祭、“佐伯ジュリエット”目当ての観客で埋まるな!」
「榎本ロミオもハマってたし、公認カップルでいいんじゃね?」
笑い声が響く中、委員長はスクールバッグを肩にかけ、無言で出ていった。
「お、おい委員長!?」
呼び止めても振り返らない。その背中を見送って、心臓がドクンと鳴った。
(……ヤベぇ。本気で意識してんの、アイツにバレたかも)
周囲の喧騒なんて遠くに聞こえるくらい、胸の鼓動がうるさかった。
舞台袖に並んだラックには、衣装がずらりと並んでいる。ロミオ役の俺は濃紺のマントにフリルシャツ。普段のだらしねぇ着方をしている制服と違い、その衣装はやけにキマってて自分でもちょっと気恥ずかしい。
「うわ、マジかよ。これ着んのか?」
「榎本、姿勢を正せ。だらしないと余計に似合わない」
「はいはい……って、あ?」
隣で衣装を整えている佐伯に目が止まった。白いドレスには、繊細なレースがあしらわれていた。凛とした顔立ちと純白が重なって、思わず息を呑む。
(やべ、普通に綺麗じゃねぇか――)
「い、いや……似合ってんじゃん、そのドレス。ていうか、普通に綺麗でビビった」
「騒がしい、いちいち軽口を叩くな」
そう言いながらも、佐伯の頬がうっすら赤い。
鏡越しに目が合って、慌てて視線を逸らす。何も言えなくなった沈黙が、衣装部屋の空気をじわじわと熱くしていった――。
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