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第四章:離れて気づくもの5
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フラフラの佐伯を支えながら、やっとの思いで立派な門の前に辿り着いた。街灯の光に照らされた表札には「佐伯」の二文字。整然とした門構えと張り詰めた空気に、思わず息を呑む。
「……ここ、お前んチか?」
佐伯からの返事はない。ただ肩に預けられた体の重みと、火照った体温が答えだった。
勝手に門を押し開けて敷地に足を踏み入れると、すぐに玄関灯がパッと点く。年配の家政婦が駆け出してきて、佐伯の姿を見た途端に、顔を強張らせた。
「坊ちゃま!? そのご様子は、どうなさったんですか?」
「すみません。道で倒れそうになって……俺が連れてきました」
そう説明すると家政婦は一瞬目を丸くしたが、すぐに表情を引き締め、深く頭を下げた。
「ありがとうございます。ですが、ここからは私どもに――」
「嫌だ……」
掠れた声が、俺の肩口から漏れた。佐伯が顔を上げ、家政婦を鋭い視線で睨む。
「……俺は、自分の足で部屋に戻る」
無理に立ち上がろうとするけど、足が小刻みに震えている。慌てて体を支え直す俺に、苦い声が出た。
「榎本大丈夫だ、放してくれ」
「バカ、無理すんな」
家政婦は困ったように俺を見つめた。その視線には「外の人間にこれ以上踏み込ませていいのか」という迷いがあった。だけど佐伯は俺の腕を振り払おうともせず、目を伏せて小さく言った。
「放っておけ。榎本はもう、知ってしまった」
「……坊ちゃま……」
家政婦は困惑を示すように呟いた。その意味を完全には理解できなかったけれど、そのとき確かに俺の中で何かが変わった。いつも冷たい顔で、完璧な仮面を被った「委員長」――そう思ってたヤツがいま目の前では俺に体を預け、弱さを晒している。
(コイツ、本当は――)
その“隠していた部分”を、もっと知りたい――胸の奥が熱くなるのを止められなかった。
佐伯を部屋に運んで布団に横たえると、彼は浅い呼吸を繰り返しながら目を閉じた。きっちり整えられた髪が少し乱れて、額にかかっている。長いまつ毛の影が頬に落ちて、普段の張り詰めた表情が嘘みたいに穏やかだった。その無防備な姿に、思わず心臓が跳ねた。
(……なんだよ、こんな顔を見せやがって)
いつものきつい視線も、冷たい口調もなくて――ただ、息をしている。学校では見ることのできないその姿は、目を離せないくらい綺麗だった。
枕元に腰を下ろして、そっと息を吐く。喧嘩でボロボロになった俺の方が、本当は心臓を掴まれていた。
部屋の隅で家政婦が小声で話しかけてきた。
「榎本様とおっしゃいましたね」
「あ、はい」
「失礼ながら……坊ちゃまがご友人をここまでお連れするのは、初めてのことです」
思わず目を瞬かせた。交友関係が狭いのは知っていたけど、「初めて」と聞かされると胸の奥が妙にざわついた。
家政婦は迷いながらも言葉を続けた。
「坊ちゃまは……この家で“跡継ぎとしての形”だけを求められてきました。学業も礼儀も、常に完璧であるようにと」
「……」
「アルファでありながら、生まれつき身体が大変弱く……それでも『佐伯家の名を継ぐ者』として、弱みを外に見せることを許されなかったのです」
告げられた佐伯の現状を知り、息を呑む。冷たい態度の裏に、そんな過去があったなんて思いもしなかった。
「ですから……どうかこれ以上は、坊ちゃまを惑わせないでいただきたいのです」
その声には切実な願いが滲んでいた。でも、俺の胸にこみ上げてきたのは――まったく違う気持ちだった。
「それじゃあ佐伯はずっと仮面を被りつけたまま、我慢して生きていくってことですか?」
「……っ」
「俺は嫌です。佐伯がどんな顔で笑うのか、どんなふうに本気で怒るのか……もっと知りたい」
自分でも驚くほど、迷いなく言葉が出ていた。
「だから俺に任せてください。こいつの“弱さ”ごと、俺がちゃんと知るから」
家政婦の目がゆらゆら揺れる。俺は布団の中で眠る佐伯を見つめ、拳をぎゅっと握った。
乱れた前髪の奥、長いまつ毛が震えて――その寝顔は、やけに近く感じた。無意識のうちに、伸ばした手が布団の上をたどる。熱が残る掌が、彼の手の甲にそっと触れた。
ひんやりとした指先。けれど、その奥に確かに体温がある。触れた瞬間、胸の奥で“何か”が跳ねた。
(佐伯……あったかい)
眠っているはずの佐伯の指が、ほんの少しだけ俺の指先をきゅっと掴んだ気がして、思わず体をビクつかせた。偶然かもしれない。けれどその一瞬が、やけに愛おしく感じられる。
「おやすみ、佐伯」
誰にも聞こえないくらい小さな声でそう囁き、俺はその手をそっと握り返す。固く閉ざされていたはずの彼の世界に、少しだけ触れられた気がした。
(絶対に――コイツを逃がさねぇ)
心の奥で、静かにそう誓った。
部屋を出ると、廊下の隅に立っていた家政婦が俺を見送る。その瞳はどこか優しく、ほんの一瞬安堵を滲ませた微笑みを浮かべた。
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