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第五章:壊したい未来、守りたい人8

 チャイムが鳴り終わった教室には、片付けの音とざわめきが残っていた。やがてクラスメイトたちはぞろぞろと帰路につき、黒板の前に立つ俺と、机に座り込む榎本だけが残される。窓の外では野球部の掛け声が微かに響いていて、それが逆に教室の静けさを際立たせていた。 「なぁ委員長。今日もまっすぐ塾か?」  いつもの軽い調子の声。それなのに返事が出てこない。榎本が俺を見ている。その瞳はいつになく真剣で、視線を逸らそうとしたのに動けなかった。 「……お前が、静かにしてくれれば」  気づけば、声が零れていた。ふざけているようで、ふざけていない。そのまっすぐな眼差しが、妙に怖かった。  このタイミングで、恋人として何かを言わなければと思った。けれど、うまく言葉が出てこない。榎本が瞬きを繰り返し、唇を半開きにした。 「え、なに? 今……」 「お前が静かにしてくれれば、俺は……もっと、楽に息ができるんだ」  意図せず漏れた本音だった。教室の空気が、その言葉を吸い込むように静まり返る。  榎本は数秒、ぽかんとした顔で固まって――やがて、ふっと笑った。それはこれまでみたいな大声の笑いではなく、驚くほど穏やかで柔らかい笑み。まるで俺の不器用な言葉さえ、丸ごと包み込むような微笑みだった。 「そっか。だったら俺、おとなしくするわ」  胸の奥が熱くなる。心臓が速く打ちすぎて、鼓動が耳の奥まで響く。 (……俺は、何を言ってしまったんだ)  混乱を隠すために背を向けた。それでも榎本の笑顔が、まぶたの裏から離れなかった。どうしてこんなにも、簡単に心を揺さぶられてしまうのか。  次の日、昼休みになり弁当を開くと、隣の席がやけに広く感じた。榎本は数人の友人に囲まれて、遠い机で静かにパンをかじっている。 (……別に、俺に構わなくてもいいはずだ。俺は静かな方が落ち着く。それなのに――)  どうしてだろう。“静けさ”の中で、榎本の声を探している。昨日の放課後、自分が漏らした言葉が脳裏を過る。 『お前が静かにしてくれれば、俺は……もっと楽に息ができるんだ』  あの一言を、榎本はきっと真に受けたのだろう。だから、こんな不自然なほど静かにしている。 (まったく……馬鹿か、俺は――)  気づいた瞬間、フォークを持つ手に力がこもった。  あの時、静かにして欲しかったんじゃない。本当は榎本の声を、あの笑顔を、傍で感じていたかっただけなのに。  榎本の騒がしさは、確かに俺の秩序を乱す。けれど今はそれがないと、どうにも心が落ち着かなかった。

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