55 / 55
第五章:壊したい未来、守りたい人9
榎本の恋人として、間違った言葉を重ねないように、念入りに考えた次の日。午後の授業が終わり、チャイムが鳴ると同時に教室がざわつき始めた。
ノートを閉じる音が、やけに大きく響く。廊下の方に視線をやると、榎本がC組の教室を出て、どこかに行こうとしていた。昨日までなら、気にも留めなかった光景なのに――今は、胸の奥がざわつく。
思わず、口が動いていた。
「ちょっ……待ってくれ榎本っ!」
自分の席から慌てて腰を上げて教室を出るなり、アイツを呼び止めた声が自分でも驚くほど強かった。廊下を歩く数人の生徒がこちらを振り返る。だが榎本は足を止め、ゆっくりと振り返った。
「……何だよ、委員長」
いつも聞く軽口ではない。どこか感情を抑えた声だった。その真面目さに、胸がちくりと痛む。この沈黙を、もう終わらせたかった。
「昨日言ったことを撤回する。静かにしていなくてもいい!」
俺は榎本の顔をまっすぐに見つめて、必死に言葉を投げる。開けっ放しにしていたB組の教室の喧騒が、一瞬だけ水を打ったように静まった。
「榎本が黙ってると、その……かえって俺は落ち着かないんだ」
思わず、拳を握った。俺の口からこんな言葉が出るなんて、自分でも信じられない。でも恋人として、榎本にだけは伝えなければならない本音だった。
髪を振り乱し、肩で息をする俺を見つめる榎本の目が大きく見開かれた次の瞬間、彼はふっと笑った。その笑顔を見た途端に、張り詰めていた胸の奥が緩む。 俺は、やっと息をしているような気がした。
「委員長、マジで言ってんのか?」
「嘘を言ってどうする」
「そっか!」
榎本は後頭部を掻きながら、にやりと笑った。それは、あの騒がしくて面倒くさいものなのに、不思議と俺の心を軽くする笑顔で――。
「それなら……もう俺は遠慮しねぇわ」
榎本が屈託なく笑った刹那、俺は胸の奥にざわつきを覚えた。その予感は、次の言葉で現実になる。
「――ここに宣言しまーす!」
いきなり榎本は廊下で、全校に響き渡るほどの声量で叫んだ。
「俺は佐伯涼のカレシとして! 思いっきりイチャイチャすることをここに誓いますっ!」
「は――っ!?」
教室中が一瞬で凍りつき、その後、爆発したような歓声が巻き起こる。
「マジ!?」
「委員長のカレシだって!?」
「うわ、やっぱ榎本すげぇ! 宣言しやがった!」
騒然とする空気の中、俺の顔が一瞬で熱を帯びる。心臓が喉から飛び出しそうなほどに跳ねて、全身の血が沸き立つ。
「ふざけるな、榎本虎太郎!」
俺も負けじと大声を張りあげる。気づけば喉の奥から怒鳴り声が飛び出していた。
「交際を宣言するのは勝手だ! だが俺を勝手に巻き込むな!」
「巻き込んでるんじゃねぇ! 本気でお前が大好きなんだよ!」
榎本も一歩も引かずに大声を返す。互いの言葉がぶつかり合い、教室の熱気はさらに高まった。
「だったら……!」
俺は息を大きく吸い込み、胸の奥の仮面を剥ぎ捨てる。
「だったら俺が嫌だと言うまで、勝手に好きでいればいい!」
その瞬間、教室が「おぉぉーっ!」と揺れた。はやし立てる声、冷やかし、拍手、笑い声。そのすべてが、俺の頬を真っ赤に染め上げる。
榎本はにかっと笑い、まるで勝ち誇るようにガッツポーズを決めた。
「よっしゃ! 聞いたなみんな! 俺と佐伯はもう公認だ!」
「だ、誰が認めた!」
「お前だろ、委員長!」
俺は顔を覆って天を仰いだ。これ以上は取り繕えない。いつもの仮面は粉々に砕け散り、笑いも怒りも羞恥も、すべてがむき出しになってしまった。
その日を境に、俺――佐伯涼はもう、感情を隠して過ごすことができなくなった。アイツの声が俺の世界を騒がしく、そして眩しくしたのだから。
ともだちにシェアしよう!

