63 / 65
エピローグ:ふたりで行く道2
それから三年後の春。まだ冷たい空気の中に、ほんのりと花の香りが混じり始めていた。吐く息の白さがやわらかく滲み、街の色も少しずつ春に溶けていく。
青陵高校の門の前――懐かしいレンガの塀の影に、俺と涼は並んで立っていた。
「……久しぶりだな」
涼の低い声。あいかわらず落ち着いてて、どこか凛としてる。俺は思わず笑って、肩を竦めた。
「おー、なんも変わってねぇな。校門のサビまで同じ」
「そこに気づくとは……お前らしい」
「だって、ここでお前に説教されたんだぜ? “シャツを出すな”って」
「あぁ……懐かしいな」
ふたりで笑う。春風が頬を撫でて、三年前の空気の匂いがよみがえる。あの頃より少し背が伸びて、髪も短くしたけど――こいつと並ぶと、不思議とあのときのままの自分に戻る気がした。
卒業から三年。大学ではそれぞれ忙しいのに、この季節になると足が勝手にここへ向く。“青陵”は、俺にとって全部の始まりだから。
「なぁ、あの窓覚えてる? 俺がモノマネして笑わせようとして怒られた日」
「いや、あれは笑っていた」
「うそつけ。眉間に深いシワを寄せてたくせに」
「……あれは笑いをこらえてただけだ」
俺は大げさにのけぞって、両手を広げた。
「マジかよ、三年越しで報われた感じなのか!?」
「お前は本当に――」
言いかけて、涼がふっと笑った。その笑みがやわらかすぎて、心臓が跳ねる。
「……いや、やっぱり虎太郎のそういうところが好きだ」
時間が一瞬、音を失ったように静まり返る。風がふっと通り抜け、桜のつぼみがひとつ静かに落ちた。胸の奥で、何かがじんわりと熱を持つ。
「涼、反則だろ、それ」
「今さら何を」
「いや、なんか……そう言われると、逆に照れる」
頭を掻きながら、思わず笑ってしまう。あの冷徹だった委員長が、こんな顔をするようになった。すげぇ変わったよな。俺もコイツも。
校舎の裏庭へ回る。ロミオとジュリエットの稽古をした、あの場所。沈みかけた夕陽の色や、言葉にならなかった想いがまだそこに残っている気がする。
「ここで、全部変わったな」
俺の言葉に、涼は静かに頷いた。
「……お前に出会って、俺は“人間”になれた気がする」
「いや、もともと人間だろ」
「そういう意味じゃない」
涼は少し目を伏せて、微かに口角を上げた。
「感情を出せるようになった。笑えるようになった。……無理に我慢せずに泣けるようにも」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんとした。あの完璧で、誰にも心を見せなかった男が――いま、こんなにも素直に笑ってる。それが俺には、何よりの“ご褒美”だった。
何も言わず、俺はそっと涼の肩を抱き寄せた。春の匂いと体温と、鼓動が伝わってくる。
「なぁ涼。俺さ、あの頃も今も、ずっと思ってんだ」
「なんだ?」
「お前が俺の隣にいるって、それだけで俺は最強だって」
涼が小さく笑い、俺の胸に額を寄せた。
「昔のお前なら、そう言いながらふざけてただろうな」
「今の俺は本気だぞ!」
風がふたりの間を通り抜けていく。校舎の窓に、かつての俺たちが重なる。まっすぐすぎる委員長と、ふざけてばかりの問題児。出会わなきゃ、きっとどちらも“自分”を知らないままだった。
「行くか、そろそろ」
「おう。でも、最後にひとつだけ」
俺はスマホを取り出して、にっこり笑った。
「写真撮ろうぜ、青陵の前で」
「またお前はそういう……」
「ほら、並べって。ほらほら!」
渋々並んだ涼が、俺の隣で小さく笑う。その瞬間――俺はシャッターを切りながら、軽く背伸びをして涼の頬にキスを落とした。
「……っ!?」
「記念日追加っと」
「お前というヤツは、まったく……」
涼は呆れたように息をついたけど、その目は穏やかに笑っていた。その笑顔を見て、俺は心の底から思う。
――やっと手に入れた。俺の“ジュリエット”は、この笑顔の人なんだ。
青陵の風は、あの日と同じように優しく吹く。咲きかけの桜が、これからの季節を知らせるように――俺たちの未来も、静かに、確かに花開いていく。
番外編につづきます♡
ともだちにシェアしよう!

