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番外編 未来への約束

 冬の終わり。街はまだ白く、足音を吸い込むような静けさがあった。柔らかな雪の匂いがして、吐く息が白くほどけていくたびに、季節の名残が遠ざかっていく。  大学を卒業してから、もう数年。榎本虎太郎は社会人になっても変わらぬ明るさで、職場の空気を和ませていると聞く。一方の俺は、市の若手政策課に勤めていた。父の跡を継ぐ前に「外の世界を知れ」と送り出された。仕事は忙しいが、充実している。だが心の奥には、いつも同じ名前がある。  その日、久しぶりに帰ってきた場所。青陵高校の門の前に、俺と虎太郎は並んで立っていた。 「うわ、懐かしすぎる! 購買、まだあんのかな?」 「何年前の話をしている」 「でもさ、カレーパンの匂い、まだする気がしねぇ?」  からかうように笑うその声に、思わず口元が緩む。昔と同じ、けれどどこか落ち着いた声。見上げると、雪明かりに照らされた虎太郎の横顔が、思っていたよりも大人びて見えた。 「なぁ、涼」 「なんだ」 「今日さ、ひとつ渡したいもんがある」  そう言って、虎太郎はポケットから小さな白い箱を取り出した。雪を反射して、まるで光を宿したように輝く。 「……それは?」 「開けてみろよ」  蓋を開けると、そこには銀のリングがひとつ。装飾もない、けれど手の中に吸い込まれるような温かさを持っていた。 「虎太郎……これは」 「俺さ、ずっと思ってた。あの時、お前が“本物でいたい”って言ったの、覚えてるか?」 「……ああ」 「あの言葉、ずっと胸に残ってたんだ。でもな、俺にとっちゃ――お前がどんな姿でも“本物”なんだよ。家の名前とか、アルファとかオメガとか、そんなの関係ねぇ。ただの“佐伯涼”が、俺の全部なんだ」  雪を踏む音が静かに響く。虎太郎が一歩、俺の方へ近づいた。その目には、ふざけた色はひとつもない。まっすぐで、熱くて、少しだけ怖いほどの真剣さが伝わってくる。 「だから俺と、一緒に生きてくれ!」  その言葉が、雪よりも静かに胸に降り積もった。指先が小刻みに震える。息をするたび、胸の奥に積もり積もった日々がよみがえる。  購買のパンの匂い。文化祭のステージの光。父とぶつかり合った夜。そして、どんな時も笑って傍にいたこの男。 (――あぁ。きっと俺の“世界”は、最初からコイツの隣にあったのか) 「まったく、お前はいつも唐突だ」 「俺らしいだろ?」 「ああ。だから、惹かれたんだ」  気づけば、微笑んでいた。あの日、校舎の裏で心をほどいた時と同じように。いや、今の笑みは――もっと深く、穏やかだった。  俺はリングを手に取り、虎太郎の手を握った。 「受け取る。ただし条件がある」 「なんでも言ってくれ」 「――これからも、俺を笑わせろ」  虎太郎が一瞬ぽかんとした後、いつもの笑顔で破顔した。 「おう任せろ! 委員長、俺、死ぬまでネタを仕込んでやるからな!」 「やれやれ」  呆れたように息をつきながら、その胸に額を預ける。雪が二人の髪に降り積もり、触れたところから静かに溶けていく。 「なぁ、涼」 「なんだ」 「世界でいちばん、幸せだ」 「奇遇だな。俺もだ」  その瞬間、腕が自然と自分を包み込んだ。冷たい空気の中、確かにそこにある体温。――あの頃、手を伸ばすことさえ怖かったのに。  今、俺はこの温もりの中に生きている。  白い息が、夜気に溶けてゆく。雪は静かに降り続け、白い世界の中で、ふたりの未来だけが温かく息づいていた。 つづく

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