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第一章-2
あれだけ怪しいと思っていたバイトだが、入ってみれば純粋にヒトが足りなかっただけらしい。ど素人の俺が分かるほどにばたついており、厨房に至っては料理長であろう男の怒号が響き渡っている。
「……なんでこんなにヒトがいねえんだろ」
普通王宮といえばヒトで溢れかえっているものだ。王宮に仕えていたというだけでそいつの人生のグレードは変わってくる。花形と言っていい場所なのに、なぜだろう。
「……聞いた? やっぱり来てるらしいよ、悪魔」
「嘘でしょう? 私客人付きだけどそんなのいなかったわよ?」
「噂じゃ隠してるらしいわよ、髪とか」
「……嫌ねぇ、隣国の呪いの悪魔が来てるなんて考えただけでゾッとするわ」
「おかげでみんな怖がって一斉に休むし辞めるんだもの、たまったもんじゃないわ」
休む場所を探そうと適当に歩いていたら聞こえた声に足を止める。どうやらこの城で働くメイドのようだが、話している内容は中々に興味深くて思わず柱の影に身を潜めて聞き耳を立てた。
「あの悪魔が生まれてから隣国は大干ばつが始まったとか」
「私は雨が止まなくて大洪水になったって聞いたわ」
「疫病 も流行ったとか!」
「そこまで来ると悪魔じゃなくて死神じゃない。本当嫌になるわ。どうせ隣国も厄介払いしたくて悪魔を連れて来たのよ」
あまりの言われように悪魔と呼ばれる人物に同情しそうになるが、それと同時にこのメイド達は幸せなんだなとも思った。
今メイドが口にした言葉はスラム街では良くあることだ。
「……やっぱ、住む世界が違うわ」
羨ましいと思うことはやめた、生活を良くしようと思うことも、何かを為そうとすることも。諦めればそれだけで楽になることを俺は嫌というほど知っているから。
聞くだけ惨めだと柱から離れようとしたとき、耳の先端にバチッと電流が走った気がした。
「ここのメイドは随分とお喋りが好きらしいな」
地を這うような甘い低音に、音だけでわかる威圧感。メイドが焦った匂いを出すのとは正反対に、嗅いだことのない甘い香りが俺の体をその場に縛り付けた。
まるで砂糖を煮詰めたみたいな匂いだった。
甘くて、でも少し苦くて、だけどどうしようもなく惹かれる匂い。
本能がこの匂いが欲しいと悲鳴を上げる、けれど理性が今の自分の状態は異常だと警鐘 を鳴らした。
「ヒトの噂話は楽しいか?」
声が耳に届いた途端今度は体温が上がった。全身が発火しそうな程熱くなるのがわかる。
「悪魔に、死神か。どうやら俺の噂は獅子の国にも届いているらしい」
はっ、と心底ヒトを馬鹿にしたように笑う声に少しだけ耳が動いた。
メイド達は口々に謝罪を述べてその場から走り去っていったが、俺はそのことにも気がつかなかった。
「……死神……?」
口から出た声はあまりにも掠れていて、そうなってようやく自分の喉があり得ないほどに渇いていることに気がついた。おかしい、こんなの知らない。感じたことのない体の異常に息が上がるが、理性か本能か、そのどちらかが絶対に今の状態がバレてはいけないと俺に訴えていた。
溶けそうな感覚を殺すために俺は自分の腕に思い切り噛み付いた。
途端に走る鋭い痛みと鉄の味に幾分か頭が冷静になる。
「……逃げなきゃ」
「どこにだ」
来た道を戻ろうとした瞬間すぐそばで聞こえた声に心臓が嫌な音を立てて軋んだ。
逃げろ、欲しい、でも逃げろ、そんな言葉が頭の中を駆け巡るのに俺の体はその声を聞いた途端その場に縫い付けられたように動けなくなっていた。
「どこに逃げるのかと聞いている。この王宮の召使はまともに話せないのか」
脳を揺さぶられているような感覚が容赦無く襲ってきて、口から遂に堪えきれない息が漏れた。すぐに歯を食い縛り血の滲む腕に爪を突き立てるが痛みが弱い。
なんで、どうして、まともに物が考えられない頭で必死に思考するがとてつもない匂いに体がどんどん動かなくなる。
「……、お前発情期 か」
発情期 、その言葉を理解した途端嫌悪感で全身が総毛だった。違うと否定するために勢いよく顔を上げたその刹那、俺の中の何かが音を立てて外れた気がした。
「っ、なんだ、この匂いは……!」
「……ぁ、う、……何、これ……、なんで、」
綺麗な宝石みたいな目と視線が絡んだ。気が付けば俺は壁に押さえつけられていて、そこから先はよく覚えていない。
ただ、ずっと欲しかったものを手に入れたような、そんな感覚がした。甘い匂いに包まれた途端意識を飛ばした俺を、男がどんな目で見ているのかも知らずに。
オメガはすべてにおいて劣っている。頭脳も、力も、何もかも。
容姿に恵まれる確率が高いが、それでもオメガは子供を産むための存在だということに変わりはない。アルファに従い、その子供を生まされるだけの存在。
そんなのごめんだった。でも俺は幸運にもベータにしか見えない見た目をしていた。
ジイさんのおかげで俺はスラムの中じゃ頭がいいし、同じ年頃の奴らはみんな栄養が足りてないからそこに俺が紛れてもなんの違和感もなかった。
それに体に十分な栄養が行き渡らないから発情期 なんてものも来なかった。普通のオメガなら十二歳前後で来るらしいが、幸運にも俺はその普通に該当することはなかった。
だから、ずっとそのままだと思っていたんだ。
都で見るアルファにも俺は何も思わなかった。あっちだって俺がオメガであることに気がつきもしなかった。それなのに、
「ひぅ……っ! ぁ、あ、触んな、いやだ……っ!」
気がついた時には俺の足の間には同じ男の体があって、
「ぅああっ! いや、嫌だ、抜け、抜けってばっ!」
内臓を抉られる感覚と、吐き気がする程の快感が体を襲った。
「っ、うるせえ……! 黙って喘いでろクソが……っ」
肌が当たる乾いた音が部屋に響き、訳がわからないままに俺は知らない男に犯されていた。
声と匂いからして先ほど死神だと言われていた男だとはわかる。だけど、なぜこうなったのかがわからない。
「っ、ふ、ぁ、う……、なん、なんで……っ、俺、こんな……っ」
「っは、お前が抑制剤も飲まずに俺の前に、現れたからだ」
ぐちゅ、と信じられないほどに濡れた音が耳に届いて全身が熱くなる。薄暗くて顔も見えない男が腰を振って、俺の中を好き放題犯していく。絶対に嫌なのに体に全く力が入らない。指先一つ自分の意思で動かすことができない。
体を包む甘い匂いに体の奥が疼くのがわかり、それと同時に男の体が震えた。中に突き込まれたものが更に質量を増して中を圧迫する。それに俺の口からは耳を塞ぎたくなるほどの甘えた声が漏れた。
「もう一回トんでろ。その間に終わらせてやる」
薄がりの中でも光って見える紫の目が細くなったと同時に今までの比じゃないほどに香りが強くなり、俺の理性は一気に焼き切れた。
そこから俺が覚えているのは、ただこの男に抱かれ続けたことだけ。
途中交わした言葉も、ここがどこでこいつが誰なのかもわからないまま俺と男は交わり続けた。
そうしてどれほどかの時間が経った頃、今まで感じたことのない柔らかさに包まれたまま眠っていたのに、やけに眩しい光が差し込んで来て無理矢理意識を浮上させる。
唸りながら起きた時真っ先に目に入ったのは白に近い銀色の髪だった。
「……?」
誰だろう、否、ここはどこだろう。
沈み込んでしまいそうな程に柔らかいベッドにシルクのシーツ、やたらデカいベッドにそんなベッドが小さいとすら思える部屋。
そして、甘い匂い。
「っ!」
一瞬で意識が覚醒し飛び起きる。
全身が痛みで悲鳴を上げる中、腕を伸ばしたのはうなじ。どこに触れても歯形がないことに俺は心の底から安堵の息を吐いた。
「噛まれたとでも思ったか」
「、え」
明らかに侮蔑 を含んだ声色に今度は違う意味で体が硬直する。ああそうだ、俺は昨日こいつとヤってしまったんだった。思い返すとあり得ないことだらけで頭が痛む。深く息を吐き覚悟を決めて声の方を向くと俺はまた固まった。
「……」
月の光を集めたような銀の髪に宝石を嵌め込んだような紫色の目、褐色の肌に均整のとれた体付き。髪と同じ銀色の丸みを帯びた耳と尻尾は、そのヒトが特別であるということを表していた。冷たい顔と目をして俺を見ていたが、その氷みたいな表情が一層そいつの神秘性を引き立てていて、そのヒトは間違いなく今まで出会った奴らの中で一番綺麗だった。
ああでも、確かにこんなにきれいなら、
「……かみさまみたいだなぁ」
思わず溢れた言葉に神さまっぽいやつの顔がこれでもかというほど不快な表情を浮かべる。俺としてはあんまりにも恥ずかしいことを言ってしまったものだから正直穴があったら入りたいレベルだった。
「本当にこの国の奴らは噂が好きらしいな」
嫌悪感と呆れと、色々な感情が混ざった低音が耳に届いたと同時に俺は息ができなくなった。
「が……っ、は、」
「仮にも王族に対してありもしない噂を吹聴し、俺を侮る。昨日の奴らもあの場で殺しておけば良かった」
ベッドに押し付けられた状態で首に大きな手が掛けられた。間髪入れずに首を絞められ俺は何が起きたかわからないまま、ただ足をバタつかせる。
「おまけに抑制剤も飲んでいないオメガの召使いを俺の前に差し出すとはな。しかも骨と皮だけの、明らかにオメガの中でも劣等種を、この俺の前に……!」
「ちが、おれは、ぐうぜん……っ!」
「偶然? 俺の気配を感じた途端発情したことが偶然だと? 嘘ならもっとまともな嘘をつけ」
ギリギリ、と音がしそうな程の強い力で首を絞められ続け段々と視界が霞んでいく。
首を掴む腕に爪をたてるがそれでも解放されるどころか更に強く絞められた。
「……このまま骨を折ってやろう」
俺をコケにした報いだ、耳元で囁かれ更なる圧が掛かったのと部屋の扉がけたたましく開かれるのは同時だった。
「そこまで! その子はボクが連れて来たんだよ!」
「……は?」
「だから! その子はボクが連れて来たんだってば!! あー、いいから離す!」
どこかで聞いたことのある声が俺の首を絞める男の手を払い退けた。
急激に酸素を取り込んだせいで激しく咳き込む俺の背を撫でるやつの方を見てみれば見覚えのあるオレンジの髪に目を丸くする。
「、トレイル、さん、」
「そう、トレイルだよー。あー、ほんとごめんまさかこんなことになるなんて夢にも思ってなくてさ。君がオメガだってわかってたら……。そうは言っても無理矢理連れて来たのはボクか、ほんとごめん」
「……お前が連れて来た……?」
未だに肌が剥き出しの俺に気がついたトレイルがなんとも言えない顔をして俺の体にシーツを巻きつける。その時今まで沈黙していた男が口を開いた。
「……そうだよ、ボクがスラムから連れて来た。この子は本当に何も知らない。君のことだって知らないはずだよ」
「偶然居合わせたとでも言うのか、俺の気配を感じた途端に発情したこいつが」
「ヴァイス、君だって知ってるはずだよ。高位のアルファはオメガにとって劇薬だ。ましてこの子はスラム出身で、アルファに関わった経験は勿論少ないはず。免疫や構えができていない状態で君レベルのアルファが近くにいたら気配だけで箍 が外れることだって」
「あり得ない。俺は抑制剤を打っていた。それなのに、」
「……あの」
呼吸も落ち着いて視界も明るくなって来たところで空気を一切読まずに発言した俺に二人の視線が突き刺さる。方や申し訳なさそうに、方やゴミでも見るような目で俺を見てくるものだから思わず笑ってしまった。
「勘違いだってわかったんなら帰っていいですか? トレイルさんが言った通り俺はスラムの貧乏人でここのバイト募集で無理矢理連れて来られただけ。あんたらみたいなやんごとない奴らの事情なんて知るかよ。ホント、貴族ってロクでもねえな」
突然笑い出した俺を二人して怪訝な表情をして見ていた。
暴力を振るわれた時とは違う痛みが全身を襲うが動けないことはない。体に巻きつけられたシーツを解いて床に投げられている服を適当に拾って着替えていく。
「ま、待って待って、ソロくんちょーっとまって、ちょっと落ち着いて」
「俺は落ち着いてる。確かに俺には発情期 が来た。あんたらが話してた通りだよ。けど、俺だって好きであんな風になったんじゃない。まあ、白いヒトには悪いことしたよ。ごめんな俺みたいなオメガの中でも劣等種の相手させて」
俺が普通に生きているだけじゃ絶対に手に入らない服を着て、生まれて初めてと言っていいほど清潔な寝床で朝を迎えた。そして味わっている慣れた感覚に笑いが止まらなかった。
「あーでも病気とかは持ってないから安心してよ。俺ガリガリだったでしょ? 飯とか食えないからさ、だから昨日のあれが初めてなんだわ。はは、つってもお貴族様にはどうでもいいことか。あ、トレイルさん、この服もらってくね。売れば当分飯には困らなさそうだし。それじゃ、失礼しましたー」
久しぶりに腹の底からイラついて、相手がどこの誰かもわからずに言いたいことを言って俺は窓から飛び出した。案外高かっただとか、後ろから切羽詰まったような声が聞こえるとか、そんなものもどうでもよかった。
ただただ、今は一刻も早くスラム街に戻りたかった。
それからどうやって帰ったのか覚えていない。
ただ家に着いた時俺はこのまま過呼吸で死ぬんじゃないかってくらい息が荒くて、信じられない程の汗を流していた。折角売れるかもと着てきた王宮の服も所々破けてしまっていて売り物にはなりそうもなかった。
酷く、惨めだった。
「……ソロ、帰ったのか」
「、ジイさん」
壁に背を預けて座り込んでいた俺の上に影が掛かる。匂いや気配でそれが誰かはわかっているのに、声を聞いた瞬間一気に安心感が湧き上がってきて今になって体が震え始めた。
「ソロ、どうした。何かあったのか、」
嗄れた声が心配の色だけを乗せて語りかけてくる。味方がいる、そう思えるだけで俺の目からは次々に涙が溢れ出て、それが自分でも信じられなかった。
くしゃりと自分の前髪を掴むと、袖から覗く手首に自分の噛み跡があり夢ではないのだと、あれは現実だったのだと無情にも突きつけてくる。
「……発情期 が来た」
「! ……そうか、」
「……うん、」
乾燥でカサついた指が俺のうなじに掛かった髪を払い、そこになんの痕もないのを見て息を吐く音が聞こえた。
「……何か予兆はなかったのか? 体が熱いとか、だるいとか、そういうものは」
「無い。気配だけで、体がおかしくなった。匂い嗅いだら、もう、訳わかんなくなって……!」
思い出しただけで嫌悪感で吐き気がする。
だがそれと同時に感情や思考とは別の場所が泣き叫んでいる感覚もした。自分が自分ではなくなるような気がして、俺は髪をぐしゃぐしゃにかき乱す。
「なんで、なんで、あんなの……っ!」
「落ち着きなさい。まずは息をちゃんと整えるんだ。吸って、吐いて、……そう、そうだ。いいぞ」
狭い空間に俺のやけに荒い息遣いが響く中ジイさんはただ俺の背中を撫で続けてくれていた。きっとこういうことに慣れていないんだろう。その手つきのぎこちなさがおかしくて少しだけ気分が浮上する。
「……ソロ、気分は落ち着いたか?」
「だいぶ。ありがとうジイさん」
「……そうか。ソロ、お前今何か体に違和感はないか?」
呼吸が落ち着いても背中から手が離れることはなく、むしろそこから伝わる温度が俺に微かな不安を覚えさせた。
「例えば意志とは関係無く感情が不安定になったり、体の中、まあこれも感情だな。とにかく気持ち悪さを覚えたり、そういうのは」
「……ジイさんってなんでもお見通しなわけ? なんでわかんの。あいつに会ってから体が俺のじゃないみたいなんだ」
「……、」
背中から手が離れ、代わりに俺と目線を合わせるようにジイさんがしゃがむ。皺が刻まれた顔に、賢そうな目に見られて、なんだか居心地が悪い。
「ソロ、少し話をしよう」
ジイさんが俺と目を合わせる時は何か大事な話がある時。俺はまたしても不安が的中する予感がした。
「……運命の番、というのを聞いたことがあるか?」
水を打ったような静けさの中伝えられた言葉はあまりに残酷で呼吸が止まる。ああ、当たってしまったと絶望に目の前が暗くなった。
昔、大昔の御伽話。
獣人族の間で語り継がれている夢物語、それが運命の番というものだ。神によって決められている唯一。出会えばその瞬間互いが人智を超える力によって結ばれる。
意思も何もあったものじゃないその運命というものを、俺は幼い頃からこう思っていた。
まるで呪いだと。
「……俺とあいつがそうだとでも言いたいの、ジイさん」
「可能性の話だ。儂はその場にいた訳ではないからな。見ていたらまた違ったのだろうが」
「あり得ない。本当にそれなら、俺はここに帰ってきてない筈だ。会った瞬間から離れることはできないんだろ、運命の番ってのはさ」
「……ああ、そのはずだ。物語の中では」
じゃあ違うじゃないかと鼻で笑いそうになった俺をジイさんは未だに真面目な顔で見ていた。
「だが、普通気配だけでは発情期 は来ない。お前のように成長しきっていない個体なら尚更」
ありえないのだ、と更に続けるジイさんの言葉に顔から血の気が引いていくのを感じた。けれどぶんぶんと首を振り自分のうなじに触れ、何もされていないそこに爪を立てた。
「じゃ、じゃあなんで俺は噛まれてないんだよ……? おかしいだろ、本当にそうなら、なんで」
「不完全だったんだろう、お前も、お前の番も」
「番じゃねえ!!」
思い出すのは圧倒的な美貌と、俺を見る目。
「あんなのが番だなんて、冗談じゃねえ……っ」
あの男は、ずっと俺を見ていた。
俺達をゴミとしか思っていない街の連中と同じ目で、ずっと俺を見ていたんだ。首にはあいつの手形が残っている。あいつは俺を本気で殺す気だった。劣等種の俺の代わりなんていくらでもいる、一人消えたとしても誰も気にも止めない。あいつの目は、そんな目だった。
「ソロ、泣くな。色々あったばかりなのにすまなかった、今日はもう休め」
言われて初めて自分が泣いていることを知った。
「同情なんかすんなよ……。なに、ジイさんも俺が可哀想って思うわけ? スラム街で生まれた上にオメガで、貴族サマに良いようにされた俺を可哀想だって?」
「ソロ」
「劣等種なんだってさ、俺。出来損ないなんだよ」
いつの間にか溢れていた涙にもう笑うことしかできない。今更馬鹿にされて泣くようなプライドなんて持ち合わせていないのに、それならこの涙はなんなのだろう。
これがもし、本当に運命の番というやつのせいなら、
「……呪いじゃんか、こんなの」
匂いを嗅いだ瞬間、堪らなく幸せだったのだ。生まれて初めて感じる幸福を前に俺の本能は俺の尊厳を置いてけぼりにして獣のようにあの男を求めたんだ。
本当はわかっていた。あの男が普通のアルファとは違うということも、自分の体に普通ではあり得ない変化が起きたことも、それが一体何を表しているのかも。
でも、受け入れることなんてできなかった。
そうしてしまえば、自分が自分でなくなるような気がして到底受け入れることなんてできなかったんだ。
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