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車に乗り込み、マリリスは一週間ぶりに魔法局へ向かう。ミゲルは会議があるからと先に屋敷を出てしまったため車内には一人。好きなだけ鼻歌を歌っていた。休暇の間、老騎士の元に通い詰め、フーゴの行きつけの酒場の情報まで手に入れられたのだから、ご機嫌にもなる。
(あの二人もなんだかんだいろいろ教えてくれたし)
人でなしだと思っていた兵士たちも、今はそんな気配すらない。しかも二人ともあの体格で情報部の騎士というのだから驚きだ。
魔法局のエントランスに入ると、局長秘書のユリアンがマリリスに手を振ってくる。フーゴの名を教えてくれた頼りになる同期だ。取引先の商家の娘に惚れられ、いつのまにか豪商の婿になっていたという逸話を持っている人物で、マリリスと同じくセヴィル種にあたる。ただ、混血のため髪は艶やかな琥珀色だった。
「今日から再開?」
「うん、また缶詰めかな……」
マリリスがたまっている仕事量を予想して目に虚無をたたえると、ユリアンは軽快に笑う。
「お疲れさま。調査が終わるまでの辛抱か……それまでは皆そんな感じだね。局長も王城との往復で大変そうだし、副局長は新人受け入れにてんやわんや。こんな時期に被せなくていいのにねぇ」
「え……待って……新人受け入れっていつの間にあったの!?」
「あれ、聞いてなかった? マリリスが休みの間に育成科から五人上がってきたんだ」
「そ、そうなんだ……」
「マリリスの研究室への配属はないから安心して。ただ熱心な信者がいるみたいだから気を付けてね」
ぱちんと片目を閉じてお茶目に忠告された内容は、マリリスがげっそりするものだった。
頑張ってねーと見送られつつ昇降機を使って四階へと向かう。
四階にはマリリスの研究室の他に、局長室と副局長室、そして会議室が並び、平時は認証がなければ立ち入れないようになっている。だが、この新人受け入れからはひと月ほど解放されてしまうのだ。もちろん研究室内には入れないが、昇降機の扉の前で待ち伏せされることも──
「ライン先生!」
と、まあこんなふうに。
扉が開いた途端に呼び止められ、マリリスは心の中でがっくりと肩を落とした。
そこに立っていたのは消炭色に白い装飾のあるローブを着た初々しい青年。制服がまだ馴染 んでおらず、一瞬で新人だと気づく。マリリスを見つめる榛 色の瞳には明らかな落胆の色が浮かんだ。
「なんだ……先生じゃなかったのか」
「……えっと、先生に何か用かな?」
巻き込まれるのは御免だと、マリリスは即座に別人を装った。こういうとき、変装していて良かったと思う。
「ライン先生の研究室の方ですか?」
「う、ん。まぁそう……お手伝いかな」
「そうなんですね。いいなぁ、先生の研究室にいられるなんて……。そうだ、先生のお話を聞かせてもらえませんか?」
「お、お話……?」
「そこにちょうど談話スペースもありますし」
その青年は逃がさないとでも言わんばかりにマリリスの腕を強く掴むと、昇降機横にある寛ぎ空間までマリリスを引っ張っていった。当然のようにソファに並んで腰かける。
「まずは自己紹介ですよね。僕はエドウィン、エディって呼んでください。あなたは?」
次どうぞ、とばかりに微笑みかけられ、マリリスは焦った。
「マ……」
「マ?」
こういうとき、咄嗟にいい答えが思い浮かばないものなのだ。
「マリー……です」
「マリーさん? 女性のような──」
「い、いえ! マリーゴです!」
「ああ、マリーゴさん。変わったお名前なんですね」
「そう! だからあまり言いたくなくて!」
マリリスはこのやり取りだけで、背中にびっしょりと汗をかいていた。いつもミゲルに守られているせいか、距離を詰めてくる強引な人に滅法弱いのだ。このエドウィンという青年はその典型ともいえるものだ。折角気持ちよく出勤してきたというのに、出鼻をくじかれた気分に陥る。
「マリーゴさん、人見知りなんですね。挙動がかわいいってよく言われませんか? 僕あなたのこと気に入ったかも」
「……はい?」
「ふふふ、この髪色、セヴィル種ですよね? 魔法局には数人いるとは聞いていましたけどこんなに早く会えるとは思ってもみませんでした。ユリアン様もお美しいですけど少し強すぎるんですよね、色が。やっぱり白藍色の儚 さが堪らないというか……」
エドウィンはうっとりとした様子で宙に視線を彷徨わせた。何を想像しているのかさっぱり見当がつかない。だがよからぬことだというのは伝わってきて、ぞぞぞっと腕に鳥肌が立った。
「そうだ、実は僕、バルト伯爵の甥 にあたるんです」
「……ば、バルト伯爵……?」
(え、え? 会話についていけないっ)
理解が追いつく前に次の話題に移られて、マリリスは一気に混乱に陥った。
「そう、伯爵は父方の伯父なんです。でも派閥とか僕は気にしてないですよ。先に伝えておかないとあらぬ疑いを持たれてしまうじゃないですか」
(派閥……そっか、バルト伯爵って、ミゲルが言ってた対立派閥の……)
この派閥のせいでフーゴに会えなかったのだ。対立どうこうと言う前に、全くいい印象はないのだが。
「……確かに知らせてくれてよかったかも……」
「でしょう? それで、今度伯爵のお屋敷で舞踏会が開かれるので、招待状を配ってこいと言われているんです」
「え、今、伯爵とは関係ないって……」
「大丈夫ですよ。僕の従妹の婚約祝いで、派閥関係なく来てくれたら嬉しいと伯爵もおっしゃっていましたから。是非マリーゴさんもお越しください」
招待状を差し出し、エドウィンは笑顔で受け取るように圧力をかけてくる。
新人であり、マリリスと歳が変わらないはずだというのに、随分と弁が立つようだ。押しに弱いマリリスが断れるわけもなく、招待状を受け取らざるを得なかった。
(受け取ったからって行く必要はないんだし……)
大丈夫大丈夫、と自分に言い聞かせる。
「マリーゴさんは主にどんなお手伝いをしているんですか? 将来僕もライン先生の研究室に入りたいので参考に聞かせてください」
「えっと……依頼書の整理と、魔道具作製の材料の調達とか……」
体を寄せてくるエドウィンを避けるように仰け反りながら、ミゲルがいつもしていることを思い返しつつ答えると、彼は嬉しそうに相槌を打つ。
「魔法に関することはないんですか? 先生はお忙しいから、代わりに魔法を作るなんてことは?」
「え?」
(忙しいから部下に魔法を作らせるってこと?)
他の研究室ではそれが普通なのだろうか。入局当時からいる室員の二人は、マリリスの作った魔法陣を解析し、日常で使用できるよう簡易化したり魔道具に落とし込んだりという作業をしている。ただ、その行為は魔法の普遍化であり創作とは若干意味合いが異なるのだが……
「それは──」
どういう意味かと聞こうとすると、エドウィンは首を振った。
「大丈夫ですよ、答えにくいことは答えなくて。僕も先生に気に入ってもらえるように、これまで以上に頑張って魔法の知識を身に着けますね」
「う、うん。きっと喜ばれると思います……?」
「そうだ! 今度、魔法書を持ってきてもいいですか? 先生の研究室におられるマリーゴさんにいろいろ教えてもらいたいんです」
「魔法書? そのぐらいなら構わないけど……」
「ありがとうございます! じゃあ、また明日にでも」
(あ、明日!?)
エドウィンが感激した様子で手を握ってきたため、マリリスは断ることもできず引き攣った笑いしか返せなかった。すると、
「何をしているのですか、こんなところで」
と、急に鋭い声をかけられ、ビクンと体が跳ねる。ドッドッと脈打つ胸をおさえながら振り返るとミゲルがいて、今のマリリスには天の助けのように後光が差して見えた。
「み、ミゲル、さん」
マリリスがそう呼びかけると、ミゲルはゆったりと目を細めた。
「もう始業時間ですよ。参りましょう」
「はい!」
じゃあねエディ、と悪印象が残らないように声をかけて立ち上がる。残念そうな顔を向けられたが、逃げるが勝ちだ。ミゲルが向けられる視線を断つように背後に回り、マリリスを部屋に入るように促した。
研究室内に入ると、一気に肩の力が抜ける。マリリスは執務机まで足早に移動し、椅子に乗り上げてそのまま背もたれに抱き着いた。
「つ、疲れた……」
ぐりぐりと背もたれに額を押しつけるマリリスの様子を、屈みこんだミゲルが見上げるように覗き込む。
「マリリス様、先ほどの方は?」
「新人のエドウィンだって……出たところで掴まったの。ライン先生が好きで、研究室に入りたいみたい」
「そういうことですか」
それにしてもすごい圧力だった、とマリリスはへなっと脱力した。
「……副局長に経歴を聞いてきた方がよさそうですね」
その前に温かいものを入れましょうか、と立ち上がったミゲルに、マリリスは先ほど渡された招待状を差し出した。ミゲルはその蝋封を見て無言で受け取る。
「バルト伯爵の甥なんだって。それ渡されて、従妹の婚約祝いに来てほしいって」
「甥……」
「でも派閥は関係ないとか……」
「そうですね、あの兄弟は仲が悪いことで有名でしたから。ですが、片や伯爵、片や文官。いろいろとあるのでしょう。警戒するに越したことはありません。招待状の返事も出さずにおきましょう。私が保管しておきますね」
「うん、お願い」
マリリスは大きくため息をつくと、椅子の上でもぞもぞと体の向きを変えて、やっと腰を落ち着けた。机に置かれた書類の分厚さから目を逸らしつつ、ミゲルがカフェオレを淹れてくれるのを待つ。
「従妹ってことは、バルト伯爵のご息女が婚約したんだ……大勢集まりそう」
バルト派だし、と口にしてふと顔を上げた。
「あれ……、じゃあ、フーゴ様も来るかもしれないってこと?」
かもしれないではなく、確実に参加するはずだ。
「ねぇ、ミゲル、参加──」
「させません。もし先ほどのように絡まれて、流されるままどこかに連れ込まれたらどうするおつもりですか? 賢者ラインとして招待を受けたわけではないのなら、私が護衛に就くこともできません」
「そ、そっか……」
しょんぼりとしてマリリスは肩を落とす。
今までフーゴの戦闘服姿と騎士服姿は見た。次は正装が見られるかもしれないと思ったが、諦めざるを得ない。
(姿を消して侵入できたらなぁ……──って)
「透明になれる方法があった!」
マリリスは大発見とでもいうように手を叩く。「チッ」と舌打ちが聞こえた気がしたが気のせいだろう。
「いいよね、行ってきても!」
たっぷりのカフェオレが入ったカップを運んでくるミゲルに問いかけると、渋い顔をしながらも頷いた。
「仕方ないですね。礼を伝える際、彼以外に姿を見られないよう、十分に気を付けてください。いいですね」
「はい!」
マリリスは宣誓するように手を上げる。ミゲルから許可が出たおかげでやる気が満ち満ちてくる。「さぁやるぞー!」と依頼書を手に取った。
「ところで先日、奇妙なことを耳にしたのですが」
「ん? 奇妙なこと?」
「マリリス様に似た人物を騎士団の敷地内で見たと、騎士団時代の大先輩にあたる方から報せが入りまして」
「え」
マリリスの舞い上がっていた気持ちが奈落まで落ちそうな勢いで急降下していく。そしてまっすぐに向けられる、全てを見透かすような青色の目と目が合い、ぶわりと冷たい汗が噴き出た。
「へ、へぇ。僕に似てるなんて、き、気のせいじゃないのかなぁ。騎士団の人でも僕のこと知ってる人いるんだねぇ」
「……十五年以上勤めている古株ならマリリス様だと気づく者もいます。ほんの一部ですが」
「そうなんだ、へぇ……」
「それで、お聞きしたいのですが、マリリス様が騎士団に侵入するとしたら、どんな魔法を使われますか?」
(ば、ば、バレてるー!)
切れ長の目を弧にして微笑むミゲルの追求から逃れることなどできず、マリリスはあっさりと白旗を上げたのだった。
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