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第2話

窓の外は、オレンジ色の光に包まれていた。 日が傾くにつれて、廊下の音が遠くなっていく。 黒瀬は、机に片肘をついたまま外を見ていた。 隣では一ノ瀬がシャーペンを分解して遊び、久遠は静かに教科書をしまっている。 「なあ、黒瀬。」 一ノ瀬が退屈そうに声を出す。 「昨日の弁当、あれマジでうまかったよな。」 黒瀬は答えない。 風がカーテンを揺らし、淡い光が頬をかすめる。 「お前さ、結局食ったんだろ?」 「一口だけだ。」 「その“一口だけ”がポイントなんだよ。」 一ノ瀬はペンをくるくる回しながら笑う。 「食う気なかったくせに、手ぇ止まんなかっただろ?」 「……知らねぇよ。」 黒瀬が低く返す。 久遠が机を軽く指で叩いた。 「珍しいな。黒瀬が他人のこと気にするなんて。」 黒瀬は顔を上げず、眉をひそめる。 「気にしてねぇ。」 「でも、あのとき手、止めなかったよな。」 「……久遠、お前までうるせぇ。」 「別に責めてない。  ただ、“お前らしくない”と思っただけ。」 沈黙が落ちる。 一ノ瀬が椅子を傾けて、天井を見上げた。 「まあ、確かに“あの弁当のやつ”は変わってるよな。  普通、あの空気で前に出るか? あんな細いやつ。」 「……あいつ、名前なんだっけ?」 黒瀬の声は、無意識にこぼれたように小さかった。 一ノ瀬が片眉を上げる。 「お? 気になっちゃった?」 「別に。」 「成瀬。たしか、成瀬真尋。」 その名前が、ゆっくりと黒瀬の口の中に落ちた。 聞き慣れない音なのに、妙に引っかかる。 何度も聞いたような気さえして、舌の奥で転がすように、もう一度呟く。 「……なるせ。」 久遠がその様子を横目で見て、ふっと笑った。 「お前、ほんとに気にしてないなら、名前なんか出さねぇよ。」 黒瀬は机を指で軽く叩き、「うるせぇ」とだけ吐き捨てる。 だが、叩くリズムはいつもよりずっと遅かった。 一ノ瀬がその空気を面白がるように笑う。 「へぇ……黒瀬が“名前呼ぶ”のなんか初めて見た。」 「バカ言え。」 「いいねぇ、青春じゃん?」 「殺すぞ。」 「はは、出た~、いつもの。」 久遠は笑いながら立ち上がる。 「一ノ瀬、煽るな。 黒瀬が混乱してるの、見てて分かるだろ。」 「混乱? 誰が。」 「顔に書いてある。“分かんねぇけど気になる”って。」 黒瀬は視線を逸らし、窓の外の夕日を見た。 光がまぶしくて、目を細める。 その色が、なぜか白米の上に落ちた卵焼きの黄色を思い出させた。 理由もなく、心臓が一度だけ強く鳴る。 久遠が小さく笑って、 「……ああいう“静かなやつ”ってさ、黒瀬が一番苦手なタイプじゃなかったっけ?」 「……だから気にしてねぇって。」 黒瀬は立ち上がり、鞄を肩にかけて言った。 「行くぞ。いつまでもくだらねぇ話してんな。」 その声はいつも通りの冷たさだった。 けれど、一ノ瀬と久遠は気づいていた。 歩く足音が、少しだけ速いことに。 ⸻ 夕日が廊下の窓を赤く染める。 教室の扉が閉まると、残った空気の中に、 ほんのわずか、甘い匂いが残っていた気がした。

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