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第3話

昼休みのチャイムが鳴る。 田嶋が机を叩き、「行くこう!」と短く言った。 もうすっかり習慣になった“焼きそばパン・ダッシュ”。 まひろも当然のように立ち上がる。 「なあ田嶋、今日も買えるといいな。」 「本当だよ!あいつら腹減るとマジ怖ぇんだから。」 「……知ってる。」 二人で笑い合いながら階段を駆け下りる。 まひろは息を切らしながら思う。 (どうして、俺まで一緒に走ってるんだろ。) だけど止まる理由もなかった。 いつも田嶋の後ろにいて、ただ一緒に動くのが自然だった。 ──それが、今までは“眼中にすらなかった”だけで。 ⸻ 購買は今日も混んでいた。 やっと、順番が来たのに、残りニつで焼きそばパンの札が裏返る。 「っ……終わった……!」 田嶋が小さく頭を抱える。 「もう一回焼いてくれねぇかな……」 「無理そう。」 「……だよな。」 二人でため息をつきながら戻る途中、 まひろの頭の中にはもう、昼の教室の空気が浮かんでいた。 ⸻ 教室に戻ると、黒瀬たちはもういた。 黒瀬は窓際に腰をかけ、 久遠はスマホを見て、一ノ瀬は暇そうにペンを回している。 田嶋が、焼きそばパンを二つだけ差し出す。 「ご、ごめん……今日は二つしか買えなかった……」 黒瀬は視線を上げる。 一ノ瀬が先に笑った。 「また売り切れ? 人気だなー焼きそばパン。」 久遠が静かに言う。 「そんなビビるなよ。危害加えるわけじゃねぇし。腹が減るだけだ。」 その一言にまひろが少しだけ肩の力を抜く。 だが次の瞬間、一ノ瀬の視線がこちらを向いた。 「……あれ?後ろにいたんだ、成瀬。」 「……あ?」と、黒瀬が見てくる。 一ノ瀬がまひろの手元を見て、にやっと笑った。 「じゃあ、これで勘弁してやるか。」 「え……?」 反応する間もなく、弁当箱が一ノ瀬の手にあった。 「お、おい一ノ瀬。」久遠がため息をつく。 「いいじゃん、黒瀬、な?」 「……勝手にしろ。」 黒瀬は窓の外を見たまま。 けれど、その声はどこか曖昧だった。 まひろの喉が詰まる。 田嶋も何も言えずに立ち尽くす。 黒瀬の視線がふと、まひろに向いた。 短く、ただ一度。 目が合った。 その目は、怒ってもいないし、笑ってもいなかった。 ただ、真っすぐだった。 「……行くぞ。」 黒瀬の声に合わせて、三人は屋上へ向かった。 教室を出る間際、一ノ瀬が余計に持ってたパンを投げて渡してくれたが、目の前で起きた事の意味を理解するまでに数分かかり、田嶋といつもの場所へ向かったのだった。 ⸻ 屋上では風が吹いていた。 昼の光がまぶしく、空が高い。 一ノ瀬が弁当の蓋を開ける。 「おー、やっぱうまそう! なんか安心する匂いするよな。」 久遠が小さく笑う。 「この出汁の香り……落ち着くな。」 「だろ? こういうの、家庭の味ってやつ?」 黒瀬は無言で見ていた。 風がシャツの裾を揺らし、弁当の中の卵焼きが陽に照らされて光る。 一ノ瀬が箸を持って笑う。 「ほら、黒瀬も食えって。この前も食ってたじゃん。」 「……うるせぇ。」 「ほらほら、一口!」 一ノ瀬が箸を差し出す。 黒瀬は舌打ちをひとつして、それを受け取った。 ……柔らかい。 味は優しくて、なんの変哲もないのに、なぜか忘れられない。 「どう? な?」一ノ瀬が笑う。 「別に。」 「またそれ! もう素直になれって。」 久遠が笑う。 「口では否定しても、箸止まってねぇぞ。」 黒瀬は一瞬だけ視線を落とし、何も言わずに、弁当の最後のひと口を食べた。 ⸻ 午後のチャイムが鳴る少し前。 教室の扉が静かに開く。 空の弁当箱が放物線を描いて飛んでくる。 まひろは両手でキャッチした。 おそらく中はきれいに空で、箸まできちんと戻してあった。 無言で見ていると、黒瀬は一瞬だけ、こちらを見て目を逸らした。 その後ろで一ノ瀬が声を上げる。 「うまかったぞー!」 久遠が苦笑する。 「俺の分、少なかったけどな。」 まひろは弁当箱を抱えたまま、なんて返していいのか分からなかった。 怒ってない。 でも、何かが変わった気がした。 ――たぶん、もう二度と、 俺は“田嶋の後ろの空気”ではいられない。 ⸻ 誰かの視界に入る。 それだけのことが、こんなにもざわつくなんて思わなかった。

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