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第5話
昨夜、田嶋からLINEが来た。
「明日ムリかも。熱出た。」
寝る前に見たその一文に、まひろは思わずスマホを握りしめた。
(やばい……明日、誰がパン買うんだ。)
目の奥に、黒瀬が田嶋の胸ぐらを掴んだ日の光景が浮かんだ。
誰も声を出せなかった。
黒瀬が本気で怒っているわけじゃないのに、その沈黙が、息が止まるほど怖かった。
(あれ、また見たくないな……)
そう思いながらも、「分かった。無理せず休めよ」だけ送って、スマホを伏せて布団に潜り込んだ。
考えすぎだ、と自分に言い聞かせた。
⸻
朝。
目覚ましより早く、スマホが震えた。
田嶋からだった。
「やっぱり、熱下がらないから休む。ごめん。」
布団の中で、まひろの体が固まった。
嫌な予感が、的中した。
黒瀬たちの顔が脳裏をよぎる。
一ノ瀬が茶化して、久遠が笑って、その奥で黒瀬が黙って睨む。
(今日、パン買うやついない……)
思考より先に、体が動いていた。
冷蔵庫を開ける。
昨日の残りご飯。
卵、ハム、レタス。
「……これでいいや。」
フライパンで卵を焼いて、具材をのせて海苔で包む。
焦ってるせいで形は少し歪んだけど、包み直す時間はなかった。
おにぎらずを三つ。
ラップ越しに少し温かい。
「……怒られないで済みますように。」
誰に言うでもなく呟いて、弁当袋を鞄に押し込んだ。
⸻
昼休み。
チャイムが鳴っても田嶋の声はない。
購買へ走る足音もない。
教室の空気が、静かに重く沈んでいく。
黒瀬たちはいつもの窓際。
一ノ瀬が「腹減ったな」と笑っている。
久遠は本を閉じて、黒瀬は窓の外を見ていた。
その後ろ姿が、まひろには異様に大きく見えた。
(……言わなきゃ。)
弁当袋を握る手に汗が滲む。
心臓が、嫌なほど速い。
「……あの。」
その一言で、空気が止まった。
三人が、同時にまひろを見た。
黒瀬の目が合う。
何も言ってないのに、息が詰まる。
「田嶋、今日休みなので……その、代わりにこれ。」
机に置いた弁当袋。
ラップの中に見える三つのおにぎらず。
一ノ瀬が先に声をあげた。
「マジで? これお前が作ったの?」
「……はい。」
「すげぇ! 優しいじゃん!」
久遠が覗き込んで言う。
「見た目もきれいだな。……うまそう。」
黒瀬だけが、黙って見ていた。
沈黙が、痛い。
「……食えよ。」一ノ瀬が笑って渡す。
黒瀬は無言で手を伸ばし、ひとつ取った。
かじる音。
沈黙。
「……大丈夫かな…?」
黒瀬が顔を上げる。
目が合った瞬間、まひろの指先が冷たくなった。
「……まあ、悪くねぇ。」
短い言葉。
それだけなのに、胸の奥が熱くなった。
一ノ瀬が笑い出す。
「出たー! 黒瀬の“悪くねぇ”! それ最上級の褒め言葉だぞ!」
久遠も小さく頷いた。
「確かに、優しい味で美味しいな」
まひろは力が抜けて、
「……よかった」とだけ呟いた。
⸻
放課後、帰り道。
風が冷たかった。
怖い人。
怒ると誰も近づけない人。
なのに、あの“悪くねぇ”が、ずっと耳に残って離れなかった。
でも、怖い…
とにかく、怒られずに済んで良かった。
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