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第6話

昼休み。 田嶋がようやく復帰してきた。 顔色はまだ悪いけど、机を囲んだ空気は少し明るい。 「おかえり。」 「ありがと。なんとか熱下がった。」 一ノ瀬がポテチを開けて、ほら、と田嶋に差し出した。 「ほら、栄養つけろ。俺らの愛情入りだ。」 「油しか入ってねぇよ。」久遠がぼそっと突っ込む。 みんなが笑って、教室に久々に柔らかい空気が戻った。 その時、一ノ瀬が言った。 「黒瀬、今日休みだな。」 久遠がスマホを見て小さく眉を寄せる。 「LINEしたけど、既読つかない。寝込んでるっぽい。」 「黒瀬って一人暮らしだよね?」 田嶋が言う。 「そう。飯、食ってねぇと思う。」 「誰か様子見てあげてよ。」一ノ瀬が軽い調子で言った。 「……誰かって。」 まひろが顔を上げる。 「お前しかいないだろ。」 「は? なんで俺?」 「この前のおにぎらず、気に入ってたじゃん。」久遠が笑う。 そして、続けて 「俺はバイト。」「俺は塾。」と言う。 「はぁ!? なんで俺だけ暇扱い!?」 「暇そうだったし。」 田嶋が小さく笑って、「ごめん」と呟いた。 「いや、お前も謝んなって!」 それでも、放課後のまひろはスーパーの袋を提げていた。 ネギ、卵、パックご飯… (……ほんと、なんで俺なんだ。) ⸻ 黒瀬のアパートは坂の上の古い二階建て。 外階段の鉄が冷たく、風の音がやけに大きく聞こえた。 インターホンを押すと、しばらくしてかすれた声。 「……誰。」 「成瀬です。あの、一ノ瀬さんたちが……」 足音。 チェーンが外れる音。 ドアがゆっくり開いた。 黒瀬が立っていた。 髪が少し乱れて、頬が赤い。 Tシャツ姿で、声が弱々しい。 「……なんで来た。」 「ご飯、作ろうと思って。」 「勝手に決めんな。」 「でも、食べてないでしょ。」 小さく息を吐いて、黒瀬はためらうように言った。 「……入れ。」 部屋は思っていたより整っていた。 薬と水、読みかけの本。 それだけ。 「キッチン、借りますね。」 「……勝手にしろ。」 ⸻ まな板の上でネギを刻む音。 鍋の中でおかゆが静かに泡立つ。 黒瀬はソファに座って、 その音をぼんやり聞いていた。 熱のせいで、世界が少しぼやけている。 けれど、その中で成瀬の動く音だけがはっきりしていた。 (……なんか、落ち着くな。) 誰かが部屋にいるのに、うるさくない。 不思議と心が静かだった。 「できました。」 成瀬がスプーンを持って近づいてくる。 湯気の中、頬が少し赤い。 「熱いので、気をつけてください。」 そう言って軽く息を吹きかけて、 そのままスプーンを差し出した。 「……はい、どうぞ。あーん。」 ぼんやりとした頭で、言われるままに、口を開ける。 ふわっとした卵の香り。 出汁のやさしい味。 胃の奥まであたたかくなる。 「……どうですか?」 「……悪くねぇ。」 自分でも驚くほど、素直に言葉が出た。 成瀬が小さく笑う。 「よかった。」 その笑顔が、湯気の向こうでぼやけて見えた。 ⸻ 食器を洗う音。 流れる水の音。 それを聞きながら、黒瀬はベッドに身を沈めた。 (……変なやつだな。) 胸の奥が、じんわり熱い。 けど、風邪の熱とは違う気がした。 ⸻ 翌朝。 目を覚ますと、熱は下がっていた。 けれど、昨日の記憶が断片的に蘇る。 ネギの匂い。 湯気。 そして――「はい、あーん。」 「……っ!」 布団をかぶる。 顔が一気に熱くなった。 (なんで俺、普通に口開けたんだ……) 誰にも言えない。 けど、あの味と声はまだ、やけに鮮明に残っていた。

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