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第9話

朝。 机の中に手を入れると、ノートの端が折れていた。 (……まただ。) ページの間には、知らないボールペンの線。 小さな落書きが一つ。 「調子乗るな」でも「バカ」でもない、ただの、意味のない線。 けど、それが何よりも嫌だった。 ⸻ 昼休み。 いつものように机をくっつける。 一ノ瀬がパンを開け、久遠が牛乳パックを割る。 黒瀬は黙って箸を持ち、田嶋がクッキーを配る。 まひろは弁当のフタを開けた。 「お、今日の卵焼き、形きれいじゃん!」 「上手くできた。」 「食っていい?」 「だめ。」 笑いながら返す。 その笑顔のまま、誰にも気づかれないように弁当箱を少しずらした。 (……今朝、机の中でフタがずれてた。) 中身は無事だったけど、誰かが開けようとした跡があった。 「なあ、成瀬。」 黒瀬が唐突に呼ぶ。 「昨日、ノート忘れてただろ。」 「え?」 「机の上に置いてあった。俺、職員室に出しといた。」 「……あ、ありがとう。」 ほんの数秒、言葉が詰まった。 (昨日のあれ、誰かが机から出したんじゃ……) けど、 「ありがとう」しか出てこなかった。 ⸻ 放課後。 鞄を閉じようとして、中のプリントがぐしゃぐしゃになっていることに気づく。 誰もいない教室。 風の音だけが鳴っていた。 (言えないな……こんなの。) (あの人たちに言ったら、きっと空気が変わる。) 深呼吸して、もう一度丁寧にプリントを伸ばした。 ⸻ 翌日。 いつもの昼。 同じ笑い声、同じ位置。 「なあ、成瀬。」 「はい?」 黒瀬が目を細めた。 「なんか顔、暗くね?」 「そうかな?」 「……寝不足とか?」 「たぶん、そう。」 黒瀬はパンをかじりながら言った。 「無理すんなよ。」 それだけの言葉。 でも、その声が妙に優しくて、まひろは思わず息を止めた。 (気づいてる……?) そう思った瞬間、黒瀬はいつものように視線を外した。 それが少しだけ、救いに変わった。 ⸻ 放課後、帰り道。 ふと手のひらを見た。 今日も小さなインクの跡がついている。 でも、昼の笑い声がまだ耳に残っていた。 (俺は、ここにいたい。) それだけを、静かに胸の中で繰り返した。

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