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3 若芽の災(3)

 玲陽は隊士たちを見回した。まっすぐな期待に満ちた目が見つめてくる。玲陽は、この手の眼差しに弱い。  この宿場は数年前まで、わずかな宿と馬借しが並ぶ程度だった。それが、去年の夏に大棚が店を構えて以来、急速に発展した。  この地の利点はまず、広大な耕作地帯に接し、食料の入手が容易であることだった。さらに都にも近く、一日で行き来ができるのも、商人にとっては売りやすく望ましい。  しかし、あまりに短期間で人が集まったため、町としての機能整備が追いついていなかった。  道幅は広いが土がむき出しで柔らかく、路面には荷車の轍が随所にある。井戸は大棚の裏に一箇所だけだ。立ち並ぶ建物の裏手から川の水を引いているが、管理は十分とはいえなかった。水の流れが自然と蛇行し、いたるところにぬかるみができている。  蓮章と旦次は、宿場に入る前に異変に気付いた。甲高い叫び声がいくつも響き、賑わいとは別の騒がしさが押し寄せる。町の奥から、血相を変えた人々が、何人も走り出してきた。 「賊だ! 胡断だ!」  誰かが叫ぶのが聞こえた。 「当たり、か。どうする、梨花?」  旦次が馬足を緩めた。 「胡断は面倒だろ。おまえ、恨まれているから、正体が知られると……」 「だが、出くわしてしまったものは、仕方がない。とりあえず様子を見て、勝ち目がないなら逃げる」  蓮章は迷わず、騒ぎの中心へと馬を進めた。 「全く、敵を作りすぎだぜ」 「文句なら涼に言え。九割はあいつの責任だ」  蓮章は、逃げる人々の動きから、襲撃の位置を見極め、馬首を巡らせた。  旦次は大槍に手をかけた。涼景の留守中に蓮章を守るのが、自分の役割だと心得ている。 「俺より前に出るな」  蓮章は少し馬足を落として旦次の後ろに距離をとった。自分の力量は、本人が一番わかっていた。彼らの日常の中には、生死の境界線が至る所にある。 「援護する」  蓮章は鞍につけていた弓を引き寄せた。  行く手に、広い道幅一杯に、十数頭の馬が広がっているのが見えた。  一人の男が、大きな店の前で指示を出し、十余名の男たちが駆け足で慌ただしく動いている。  店先に並べられた草履や馬具、旅支度の商品が地面に散乱し、縛られた女が何人かまとめて座らされている。女中や商人、旅の者など、服装は様々だ。  女たちを見張る者、店の中から重そうな箱を担ぎ出してくる者、女を運ぶ荷車を馬につなぐ者もいる。彼らの動きに無駄はなく、手分けして次々と馬の背に略奪品をくくりつけていく。  手際の良さと馬の扱いから、胡断に間違いなかった。  一度、引くか……  蓮章は警戒を強くした。胡断を相手に、自分はほぼ、戦力にはならない。正面から当たっても、この人数に旦次一人ではどうにもならない。囚われた女たちを残すのは忍びない。  せめて、彼らだけでも解放できれば……  蓮章が策を練ったとき、ひときわ大きな悲鳴が上がった。商人らしき着物の男が店の中から飛び出し、血を流して倒れ込む。背中に刀傷を負っている。  反射的に、旦次が飛び出した。蓮章が止める間もない。  商人を追いかけて切りかかった胡断の一人を、馬上から旦次の槍が仕留めた。旦次はそのまま馬を飛び降り、躊躇なく、周囲の胡断を殴りつけた。 「先走りやがって……」  蓮章は馬を降りると、素早く近くの軒下に姿を隠した。 「急げ!」  指示役の声が飛ぶ。  胡断の特徴は、その素早さだ。猶予はない。  蓮章は、振り向きざまに弓を構えた。続けて三本を放つ。狙い違わず、馬の首の付け根に麻酔効果のある毒矢を撃ち込む。馬は驚いて荒れ狂い、荷物を放り出して馳け廻る。荷車が繋がれていた馬が暴走し、凹凸のある地面で跳ねて、車がひっくり返った。  女たちが悲鳴を上げ、抑えようとした胡断が馬蹄に蹴られて吹き飛んだ。 「馬を抑えろ!」  胡断がそれぞれの仕事を放り出し、総出で馬の綱に取り付いた。複数人で一頭の綱を引き、どうにかなだめていく。暴れ馬の興奮が他の馬に伝染し、混乱の度合いが一気に高まった。 「今だ!」  蓮章は素早く飛び出すと、女たちに駆け寄り、手と足の縄を切った。  自由になった女から先に、必死で駆け出す。悪路につまづいて転がるように、その場から逃れる。 「何をする!」  蓮章の動きに気付いた胡断が、数名、蓮章に飛びかかった。旦次は槍を刀に持ちかえ、立て続けに打ち払った。  やがて、薬が効いてきたのか、馬たちは脚で空を掻き、倒れこむ。舌打ちをしながら、胡断の総勢は残った馬をかき集め、それを囲むように背中を合わせて円陣を作る。  指示役が蓮章たちを睨みつけた。一望できる胡断の戦力は、負傷者を除いて十五名だ。  旦次が舌打ちした。蓮章も、普段からは想像もつかない厳しい表情で胡断に相対した。 「梨花、どうする?」 「おまえ一人で全員を倒せるなら、押し切るが?」 「無理言うな。俺は仙水じゃねぇぞ」  本当であれば捕獲したいところだが、今回の目的はそもそも、盗賊討伐ではない。取り逃せば左近衛の夏史あたりに嘲笑われるだろうが、玲陽を危険に晒すわけにはいかなかった。  蓮章は、地面でうずくまっている怪我人を見た。この店の者だろうか、目につくだけで三名、負傷して動けずにいる。 「助けている余裕はないぞ」  旦次が小声で蓮章の視線を制した。 「何者だ!」  自分たちの優位を察して、指揮官は蓮章たちを見下ろした。  蓮章は弓を構え直し、 「俺たちは紅蘭の警備隊だ。おとなしく投降する気がないなら、自分の命だけ持って失せろ」 「ほう。都の衛兵にしては、ずいぶん荒っぽいな」  指揮官は蓮章の全身を舐めるように見た。 「おまえの体……高値で売れそうだぜ」 「おまえの命より高くつくぞ」  細いが、しなりの強い蓮章の弓が反った。鋭く睨む灰色の目に気づいて、指揮官は短く声を上げた。見る間に顔がこわばる。 「その目、聞いたことがある。おまえ、遜蓮章……か?」  蓮章は黙った。これだから、目立つ体は厄介だ。 「……そうか、おまえら『涼景』か!」  指揮官の言葉に、胡断の間にざわめきが立つ。  自分たちをこのような境遇へ落とした仇こそ、涼景である。当然、蓮章は涼景の軍師として、同等かもしくはそれ以上に恨まれている。 「そうとなれば、引くわけにはいかないな」  指揮官は決心した。 「蓮章を手に入れれば、いくらでも涼景を動かせる。それに、おまえを仲間の中に放り込めば、面白いものが見られそうだ」  旦次が後手に蓮章を庇いながら、一歩、後退した。 「周囲、援軍に備えろ。二班は各個奴らに向かえ。蓮章は生け捕れ! もう一人は殺せ」  指示に応じて、胡断が迅速に動く。  半数が展開して周囲の警戒に当たる。残り半数が二手に分かれて、旦次と蓮章に近づいた。 「やるのかよ……」  旦次は渋い顔で、大ぶりの直刀を守りに構えた。  接近戦となれば、旦次は涼景に次ぐ実力者だ。その力量は、胡断たちにも一目で知れた。  強敵、と定められ、蓮章より多い数が旦次に向けて襲いかかった。地を転がって刃を逃れ、素早く体勢を立て直す。同時に振り下ろされる刀を交わす。ぎりぎりまで引きつけて同士討ちを狙うが、訓練されている胡断には通用しなかった。一呼吸ずれて刀が空を切る。 「くそっ……」  旦次は攻勢に出る間がない。防ぐ一方でじりじりと押される。  後方で蓮章の目が鋭く瞬いた。旦次はうまくかわしているように見えるが、胡断が意図的に空けた方向へと後退している。 「旦次、引くな!」  すぐに旦次との間に距離が開き、そこに残りの胡断が立ち位置を取って蓮章に刃を向けた。  分断された!  蓮章は小さく舌打ちした。  二手に分かれた小隊が、互いの動きを確かめながら、自分たちに優位な戦況を作っていく。相手が二人きりであろうと、そこに油断はなかった。  胡断は個人では動かない。陣形を意識して集団で戦う。  これだから、面倒なんだ。  旦次が気づいた時には遅かった。蓮章の身を守ることができる距離まで、近づけない。  蓮章に狙いを定めた四人が、すり足で距離を狭める。止むを得ず、蓮章は腰の直刃を抜いた。率直に、剣術は苦手だった。  胡断は皆、手練れだ。  もっとも近くにいた一人が、踏み込むと同時に刀を振りかぶった。蓮章は咄嗟にとびのいて距離を取った。馬上で使うことを目的にした胡断の刀は間合いが長い。一つ、攻撃から逃れるたびに、包囲が狭められる。生け捕るために慎重になっているが、殺す気ならば、とうにやられているだろう。  最悪……  蓮章の脳裏に涼景の顔がちらつく。  どうにか次の攻撃を避けて、後ろにのけぞる。背中が建物の壁に阻まれる。三人が蓮章ににじり寄る。後ろの一人の手には、捕らえるための縄が握られていた。 「梨花!」  旦次がどうにかしようと包囲の突破を狙うが、思うようにならない。 「傷つけるな。値が下がる」  指揮官が叫んだ。  刀が蓮章の頬をかすめ、すぐそばの壁に突き立つ。ぞくっと身体が縮んで硬直する。その一瞬を狙って乱暴に腹を蹴り上げられ、蓮章は崩れた。泥が髪に跳ねた。二人がかりで押さえ込まれ、腕が背中にねじられる。  涼!  咳き込みながら、不覚にも、涙が滲む。  悔しさにきつく目を閉じた時、足元の地面を通して、馬の足音が響いてきた。  まさか!  蓮章は息を呑んで顔を上げた。  白い馬に金色の髪が、鮮やかに視界に入った。  陽……!  玲陽は、さらに速度を上げてこちらに馬を走らせてくる。その後ろには、残してきた隊士もぴたりとついている。  待ってろって言ったのに……これだから、暁は……  蓮章は思わず、半面で笑った。  先頭の玲陽は、胡断が射た矢を、太刀で払い落とした。さらに身を低めて横一文字に構え、突進してくる。駆け抜けざまに、蓮章のそばにいた胡断二人の胸と腹を、一太刀で薙いだ。鮮血が走り、それが蓮章にまで降りかかる。致命傷ではないが、十分な痛手である。呻いた胡断が数歩下がり、それをかばって包囲が崩れる。  後に続いていた三人の隊士が、旦次を取り巻いていた胡断を馬で蹴散らした。旦次も形勢を逆転して、一人を打ち据え、蓮章の元に走った。そのまま、蓮章の縄を切り、抱え上げるようにして後退する。馬から降りた三人の隊士が、四散していた胡断の動きを見ながら、守りの形に前に出る。  一方、玲陽はそのまま、店の前で混乱していた胡断の中を突っ切った。  指揮官が横にとびのいて、玲陽の太刀を避ける。  玲陽は落ち着いて手綱をさばき、すぐにとって返して刀を構える。もう一度指揮官の脇を抜けて蓮章のもとまで駆け戻った。  素早く陣形を立て直し、胡断は円陣に戻った。  蓮章は気持ちを切り替えて、戦況を見回した。  胡断は指示役をいれて十二名。  こちらで戦力になるのは、自分を除いて五名。ただし、そこには警護対象である玲陽も含まれている。玲陽の実力は未知数だが、並の隊士よりは使えると考えて良さそうだった。

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